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0年前、ナムコ社長の鶴の一声「受付はロボットにして」一言から

2016-02-24 21:07:24 | 日記
30年前、ナムコ社長の鶴の一声「受付はロボットにして」社長の一言からで4ヶ月で完成したロッボトの話しです。
まだコンピューターとか頭脳となる技術革新、AI(人口知能)とか確立できない時代に経営者は、夢に向かい無謀な挑戦する。そんな人がいるから夢が現実になって行くのかと思います。現在のPepperの先輩?誕生秘話は、ゲームメーカーがたった4カ月でゼロから作り上げた!まさに至難の業だっとも言える。
受付ロボットは来客にも衝撃を与えたが、それ以上に子供たちに人気だった。
当時の価格は400~500万円。
ビルの入口の自動ドアを抜けると、「おはようございます」という女性の声がする。初音ミクを思い出させる合成音声だ。あいさつし、来客が来れば「いらっしゃいませ。受付はこちらの画面にて承っております」と内線電話に誘導する。よく見ると、しゃべる内容に応じて口が動いている。うちのPepperより優秀かも……。(笑)
その後、博覧会内の遊園地事業の運営という大役を担い、ナムコのロボットプロジェクトはいったん幕を閉じた。
引用:YAHOOニュース
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ナムコ社長「受付はロボットにしろ」 30年前の無茶ぶりを伝説的クリエイター陣が語る
Pepperの先輩にあたる受付ロボットがいる――2月某日、そんなタレコミがITmediaのもとに届いた。Pepperは今や携帯ショップやショッピングセンターなど街中の至る所で見かけるが、ITmediaでも受付ロボットとして立派に働いている。
【ナムコの顔「受付小町」&マッピー、当時のレア資料も(画像あり)】
 先輩といってもせいぜい2~3年上なのだろうと思っていたら、なんと開発されたのは1985年で、30年以上も前。Pepperどころか筆者(27歳)より年上だ。1980年代のロボット……ガンダムみたいなごついモビルスーツ? ちょっと想像がつかない。その正体を突き止めるべく、門前仲町にあるバンダイナムコスタジオのオフィスに向かった。
 ビルの入口の自動ドアを抜けると、「おはようございます」という女性の声がする。初音ミクを思い出させる合成音声だ。声のする方を見ると……。
 ナムコ(現・バンダイナムコエンターテインメント)の人気キャラクター「マッピー」がいた。さすがに声の主ではないだろう。受付台に置かれた存在感たっぷりなマッピー像の後ろを見ると、華やかな桜色に染まったヒト型の受付ロボットが優しくほほ笑んでいた。
※バンダイとナムコの経営統合をうけ、グループ各社のゲーム事業を統合し、バンダイナムコゲームス(現・バンダイナムコエンターテインメント)が誕生。そこから開発部門を分社し、バンダイナムコスタジオを設立。記事中のナムコは、統合前のゲーム事業部分を指す。
 彼女が、御年31歳のベテランロボット「受付小町」。目や鼻はなく、つるりとした滑らかなデザインはどことなくPepperと似ている。歩くことはできないが、胴や両腕が動く他、おじぎもできる。ちょうど朝10時の出社ラッシュに訪問したので、受付小町の前を多くの社員が通り過ぎていく。そのたびにおじぎをしながら「おはようございます」とあいさつし、来客が来れば「いらっしゃいませ。受付はこちらの画面にて承っております」と内線電話に誘導する。よく見ると、しゃべる内容に応じて口が動いている。うちのPepperより優秀かも……。
 この時代を先取りしすぎたロボットを開発したのは、「パックマン」でおなじみのナムコ(当時)だ。受付小町は「ナムコミュージアム」や「ファミスタシリーズ」などのゲームにも登場する、知る人ぞ知る存在。ゲーム会社のナムコがなぜそんな早期にロボット開発に乗り出したのか? 当時の小町の企画・開発、そして今回レストア(修理)とリニューアルを担当した5人のキーマンに話を聞いた。
 また、小町の企画書や初期デザイン、1980年代にナムコが開発したロボットなど貴重な資料と共にナムコの歴史も合わせて振り返っていく(当時の企画書や資料などはバンダイナムコスタジオより提供)。
●受付小町に関わるキーマンたち(いずれも旧ナムコに入社)
遠山茂樹
1981年入社。バンダイナムコスタジオ AM第3開発本部 コンテンツデザイン3部 AM企画7課 エグゼクティブプランナー。
代表作は「ゼビウス」(メカデザイン)、「ガンバレット」(企画)、「プロップサイクル」(企画)など。「ニャームコ」「マッピー」「ピュータン」などロボットの企画デザインも担当する。「キュージくん」の企画・開発担当。
佐々木洋
1981年入社。ナムコ企画開発本部 新規事業企画部第3企画チーム。
アトラクション企画開発ディレクターとしてナンジャタウンのアトラクション全般を手がけ、「幸せの青い鳥」「魔法体験!マジカル学園」「ゾンビブレイカー」などを担当する。受付小町の企画・開発担当。
(ここでは2006年にアミューズメント部門および新規事業部門が独立した新生ナムコを指す)
豊田淳
1990年入社。バンダイナムコスタジオ NE戦略本部 NE戦略部 NEプロジェクト推進課 課長兼AC連動制作課 課長。
代表作は「テイルズオブエターニア」(原案、ディレクター)、「テイルズオブレジェンディア」(プロデューサー)、「TEKKEN ARENA」(プロデューサー)など。受付小町のリニューアル担当。
指田稔
1990年入社。バンダイナムコスタジオ AM第2開発本部 コンテンツ開発3部 AMVA3課 ヘッドアートディレクター。
代表作は「ギノウタイ」「テクノドライブ」(デザイン、アートディレクション)、「ミスタードリラーシリーズ」(デザイン、アートディレクション)、「エースコンバット3」(グラフィックデザイン)、「百獣大戦アニマルカイザーシリーズ」(演出、アートディレクション)など。受付小町のリニューアル・デザイン担当。
石井源久
1999年入社。バンダイナムコスタジオ ET開発本部 未来開発部 クリエイション課 リードエンジニア。
「屋内砂浜 海の子」「ロストランドアドベンチャー」「ナレルンダー!仮面ライダードライブ」「マキシマムヒート」などでプロジェクター、ドームスクリーン、Kinectセンサー、立体視技術などを活用したゲームの空間設計・技術ディレクションを担当する。受付小町のリニューアル・プロジェクションマッピング担当。
●「受付はロボットにして」社長の一言から4カ月で誕生
 「1985年にナムコ本社が大田区矢口に移転することになったとき、中村雅哉社長(当時)から、ナムコの受付は当然ロボットだろって言われたんですけど、よくよく聞いてみると4カ月で作らないといけなくて……」と、佐々木さんは当時を振り返る。
 なぜゲーム会社のナムコがロボットを? しかも、たった4カ月で完成できるの? と、早くも疑問でいっぱいの読者もいると思うので、まずはナムコの歴史をひもといていきたい。ナムコの前身である中村製作所は、1955年に百貨店屋上に木馬2台を設置するところから事業をスタートしている。昔、遊園地やデパートの屋上で見かけたパンダの乗り物を思い浮かべてほしい。
 ナムコといえば「ゼビウス」「パックマン」などビデオゲームのイメージが強いが、「エレメカ」(体感型のアミューズメント機器)と呼ばれるアーケードゲームを多数手がけている。「ワニワニパニック」や「コズモギャングス」、潜望鏡をのぞいて魚雷を撃つ「サブマリン」などは、知っている人も多いだろう。
 1980年代、そんな“エレメカのナムコ”に早くもロボットブームが到来した。1980年は原子力ロボット「アトマ」、1981年は迷路脱出ロボット「マッピー」と次々にロボットを開発。1985年の国際科学技術博覧会(つくば科学万博’85)に向けてロボットプロジェクトチームを作るなど、中村社長主導でロボット事業に注力した。
 佐々木さんは「ナムコは未来という言葉が好きなんです。その象徴がロボットで、ゲームのノウハウでロボットを作れるんじゃないかという壮大な夢を描いていました。時代を先取りしすぎましたね(笑)」と笑顔を見せる。ゲームスペース「ミライヤ」にオリジナルビデオ「未来忍者 慶雲機忍外伝」「バンダイナムコ未来研究所」。確かにナムコは未来にあふれている。
 結局つくば博でロボット館を設立するという当初の夢はかなわなかったが、つくば博のマスコットロボット コスモ星丸ロボットの開発・提供、博覧会内の遊園地事業の運営という大役を担い、ナムコのロボットプロジェクトはいったん幕を閉じた。
 そのタイミングで生まれた受付小町はナムコのロボット事業の集大成とでもいうべき存在だが、たった4カ月でゼロから作り上げるのは至難の業。そのとき、佐々木さんはとあるロボットを思い出したという。
●受付小町のさらに先輩!?
 それが「説明小町」という、受付小町とうり二つの商品プロモーションロボットだ。カラーや一部機能こそ異なるものの、見た目やおおよその仕様はほぼ現在の受付小町と同じ。ビデオデッキの再生など、どことなく時代を感じさせる機能を備える。この説明小町、10台ほど生産され、近年は北海道夕張市で目撃情報があったのだが、他の小町は相変わらず行方不明。どこかで小町を見かけたという方がいればぜひITmediaにご一報を。
 受付小町は、この説明小町をベースに改良を加えて誕生。デザインは佐々木さんとデザイナーの冨士宏さん(ワルキューレシリーズ等のキャラクターデザイナー、現在は漫画家)が担当し、いくつものカラーバリエーションを考えた。コンセプトは「近未来でおしゃれなロボット」。小柄な女性をイメージし、見る人に想像してほしいということで、目や鼻、口などの立体物は付けなかった。
 受付小町という名前は、約30案の中から選定。佐々木さんによると、「カッコイイ横文字の名前が候補に挙がる中、ナムコでは“鉄拳”など直球勝負の名前がカッコイイという考えがあった」ので、受付小町というストレートな名前に決まった。
 価格は400~500万円ほどで、さすがに当時受付小町の購入を検討する企業はなかった。だが、そんな小町のうわさを聞きつけ意外な訪問客が現れる。
 意外な訪問客の正体は、近所の子供たち。受付ロボットは来客にも衝撃を与えたが、それ以上に子供たちに人気だった。遠山さんが「お母さんが小さい子供の手を引いて、玄関に来るんですよ。いいですか? って(笑)」と話すと、他の担当者も「そうそう!」と当時を懐かしんだ。
 また、今はマッピーと一緒に出迎えてくれる小町だが、当時は「キュージくん」という相棒がいた。キュージくんはその名の通り来客にお茶をくむ給仕ロボットで、開発部員の手作りという一点もの。小町と連携し、価格は400~500万円
 だが、作り置きのお茶の味がイマイチだったのと、衛生面の管理が大変だということで残念ながら引退を余儀なくされた。指田さんがナムコに入社した1990年にはすでに倉庫の中に眠っていたという。
 相棒のキュージくんがいなくなった後も、小町は“ナムコの顔”として受付に立ち続けた。だが、ある日突然故障してしまった小町は、受付嬢人生最大の危機にさらされることになる。ただのオブジェと化した小町はキュージくんと同じ運命をたどってしまうのか……。
 気になる彼女の運命の行方は、近日公開予定の記事でお届けする。マッピー像に隠された秘密、ナムコのエレメカ担当者が現代のロボットブームに思うことなども合わせて紹介していく。

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