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堀江貴文氏、自身のしくじりを激白「調子に乗っているときが危ない」

2017-07-13 03:47:38 | 日記
堀江貴文氏、自身のしくじりを激白「調子に乗っているときが危ない」

2015-03-16 05:00


4月20日放送、テレビ朝日系『しくじり先生 俺みたいになるな!!』ゴールデンレギュラー初回SPの先生は堀江貴文。レギュラー出演する担任役のオードリー・若林と生徒役の平成ノブシコブシ・吉村(C)テレビ朝日


 4月からゴールデン帯に進出するテレビ朝日系“反面教師”バラエティー『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(毎週月曜 後8:00~8:54)。枠移動後、最初の放送は初回スペシャルとして4月20日午後7時から放送される。“しくじり先生”としてホリエモンこと堀江貴文氏が教壇に上がり、“新たな挑戦に燃える人たちが自分のように逮捕されないための授業”と称した講義を展開。堀江氏は「調子に乗っているときがいちばん危ないので、皆さん、気をつけてください(笑)」と節目の春にふさわしいエールを送る。

 2000年代初め、IT業界が急成長していた頃、“時代の寵児”とよばれ、さまざまなイメージ調査で上位にランクインしていた堀江氏。当時、彼は「自分にできないことはない」「やりたいことはすべてやる」と突き進んだ結果、2006年、証券取引法違反容疑で逮捕された。

 このほど行われた収録で堀江氏は、自身がしくじった“大きなお買いもの”、世間を騒がせた“あの行動”の真実、獄中での衝撃エピソードなど、過去の失敗を自虐ツッコミ満載で激白。「本が1冊、書けそうなぐらい、濃い授業ができました。しくじるのは悪いことばかりではない」と充実した表情をみせた。

 授業中、堀江氏は自身がファンだという8.6秒バズーカーの話題のギャグをもじったツッコミをも披露し、教室は「面白すぎる!」と大興奮。「直前で、スタッフの方に頑張ってサングラスを用意していただいた甲斐がありました」と満足そうに話していた。

 深夜帯からゴールデン帯に上がることが番組の“しくじり”になるのでは、と懸念の声があがっていることに応えて、担任役でレギュラー出演するオードリー・若林正恭は「そういう方にこの授業をぜひ見ていただきたい! 深夜より、イッちゃってます(笑)。そのぐらい渾身(こんしん)の授業を、堀江先生にやっていただきました。堀江先生の“ラッスンゴレライ”は必見です!」と太鼓判。

 生徒役の平成ノブシコブシ・吉村崇も「コワイ人かと思っていたら、堀江先生はすごくピュアな方でした! ディープすぎる授業で、ゴールデンタイムに一石を投じるような番組になると思います!」と吠えていた。

 同局系深夜枠で高視聴率を獲得している同番組(毎週木曜 深0:15~0:45※3月まで、一部地域を除く)。人生で“しくじった”経験を持つ人たちが“先生”となって授業を行い、同じ失敗を繰り返さないように学ぶ“反面教師バラエティー”として、昨年10月にレギュラー放送がスタートした。

 深夜枠ながら同時間帯で群を抜く視聴率7%超えを連発し、最高視聴率8.8%(2015年2月26日放送)をマーク。昨年11月にはギャラクシー賞月間賞も受賞した。先月15日には番組初のゴールデン2時間企画『しくじり先生 ゴールデン ダメ家族改善スペシャル』が放送され、12.6%を獲得していた。視聴率はすべてビデオリサーチ調べ、関東地区。

 これまで、“天狗になりすぎちゃった先生”として浮き沈み人生を熱く語ったオリエンタルラジオ(14年10月2日&9日放送)を皮切りに、“王道から外れちゃった先生”元木大介(14年11月20日放送)、“ブリッ子で同性から嫌われてしまった先生”さとう珠緒(15年1月22日放送)、“その場のノリでひとりぼっちになっちゃった先生” ダイアモンド☆ユカイ(15年2月26日放送)など、バラエティー豊かなしくじり先生が登壇し、過去の失敗を赤裸々に告白。“失言し続けてしまった先生”として杉村太蔵(15年1月8日放送)が教壇に立った回は、ネット上で“神回(=面白すぎる回)”だと大きな話題を呼んでいる。

小保方晴子が別人と話題に!?

2017-07-09 11:38:59 | 日記
小保方晴子が別人と話題に!?



ノーベル賞級の「歴史的大発見!」と世の中を歓喜の空気に包んだSTAP細胞研究発表があったのは2014年1月のことでした。
ですが、その後の展開は皆さんご存知のとおりです。
理系女子=リケジョの星と言われ、メディアで持ち切りだった小保方晴子は論文捏造疑惑・博士号取り消しにより、すっかり姿を消していましたが、およそ2年ぶりにメディアの前に姿を現しました。
5月24日「婦人公論」で瀬戸内寂聴と対談している様子が、7ページにわたって掲載されています。
その「婦人公論」の1ページの画像が下記の画像です。
【写真】現在の小保方晴子が別人と話題に!!変化の理由は?
左Before画像はSTAP細胞研究発表の頃の小保方晴子ですが、右after画像は「婦人公論」に掲載された小保方晴子です。
この小保方晴子を見て、多くの男性がどよめきました。
小保方晴子、あの時から綺麗だと思っていたけど、超絶美人になってる。
美しすぎる。まるで女優みたいだな。
小保方晴子こんなにスタイル良かったんだ?
小保方晴子がこの時着用していたワンピースは、ブランド「レッドヴァレンティノ」で価格は約12万円。
当時から、女性である事を意識し女らしい服装や髪型に気を遣っていた小保方晴子ですが、今回は以前より増して華やかなその姿見たさに、「婦人公論」は女性誌でありながら男性の購入が絶えなかったと言います。
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小保方晴子の手記「あの日」

今年1月28日には、小保方晴子の手記「あの日」が講談社から出版されています。
当時の研究に対する真実や「STAP細胞はあります!」と訴えかけていた小保方晴子自身の苦慮の思いなどについて253ページ・15章で構成されており、「世間を大きくお騒がせしたことをおわびします」という前書きから始まっています。
小保方晴子は、当時自殺まで考えたと語っており、いつからやり直せばあのような騒動を起こさなかったのかと自問自答を繰り返していたと言います。
世界的なヒロイン・マドンナから一転した時の小保方晴子の画像が下記の画像です。
【写真】現在の小保方晴子が別人と話題に!!変化の理由は?
晴れ晴れとした表情が一転して曇りのある表情に変わり、この写真で見ても同一人物とは思えないほどの別人です。
ここでは、内容については触れませんが、手記「あの日」ではその真相について綴られており、小保方晴子は今まで一人で抱えていたものをようやく手放せたという思いではないでしょうか。
それが今回メディアの前に現れた小保方晴子の美しさを際立てている要素になっているのでしょう。
「人生をやり直すことができたとしても、私はやはり研究者の道を選ぶ」
「誰かを騙(だま)そうとして図表を作成したわけでは決してありません」
「一片の邪心もありませんでした」
小保方晴子は、自らの潔白を主張すると共に、やはりそれでも研究者の道を選ぶと語り、今回の手記出版では彼女自身の中で何かがふっきれた様子をうかがわせています。
小保方晴子と瀬戸内寂聴との対談

【写真】現在の小保方晴子が別人と話題に!!変化の理由は?
「婦人公論」での瀬戸内寂聴との対談が行われたのは、4月26日のエッセーで瀬戸内寂聴が小保方晴子に対し「必ずあなたはよみがえります。」とエールを送った事がきっかけと言われています。
かなり痩せてしまい、それも美貌を惹きたてている要因にはなっていますが、陰謀により天国から地獄へ突き落された悪夢のような日々を乗り越えた人間に芯の強さ以上に美しいものはないのではないかと考えられます。
今後、小保方晴子がどういった道を行くのか、彼女の研究者としての成功を心から期待したいと思います。
STAP細胞の真相について気になった方は、小保方晴子の手記をご覧になってみて下さい。
今回は以上になります。最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

矢沢永吉、今年もヨロシク武道館 止まらない最多更新142回へ

2017-07-08 17:42:16 | 日記
矢沢永吉、今年もヨロシク武道館 止まらない最多更新142回へ
[ 2017年7月7日 10:30 ] 芸能

 
矢沢永吉(67)が1977年に日本人ロック歌手で初めて日本武道館(東京都千代田区)公演を行ってから40年を迎えた。都内のスタジオでインタビューに応じた矢沢は「今年も年末に武道館でやります。計26本の全国ツアーも敢行する」と発表。自身が持つ同所での最多公演記録を142回に更新する。武道館への思いから、将棋の藤井聡太四段(14)、豊田真由子議員(42)の暴言暴行問題まで“永ちゃん節”炸裂(さくれつ)の70分間――。

 初の武道館公演から40年。最多公演記録が今年で通算142回に達することに「ワーオ!」と両手を広げて驚いてみせた。でも、すぐに真剣な表情で「幸せです」と語った。

 「外タレを含めて今も武道館でやりたい!というアーティストがたくさんいる。その場所でこれだけやってこられたのは幸せです。昔、俺にはこれしかないのかよって思うくらいライブに明け暮れていた。でも最近思う。“これしか”って、いい言葉じゃんと。ひとつでも俺には“これしか”っていうのがあって良かった」

 1972年に伝説のバンド「キャロル」でデビューしてから2年半後。ソロ歌手となった矢沢は4トン半のトラック2台に機材を積んで全国を回った。

 「とにかく町から町へとライブやって。でも、それがヤザワを全国区にしたんだ。歌手にとって最大のプロモーションはやっぱライブですよ。お客に実際にCDを手に取ってもらうには、全国の皆さんにライブを見せて渡り歩く、それ以上の方法は今もないと思う」

 68歳になる今年も武道館5本を含む全26公演のツアーを敢行する。タイトルは初武道館公演の77年と同じ「トラベリン・バス」に決めた。「今でも全国を歌い回れるのは、あの頃に年間120本のライブでがむしゃらに歌っていたことが財産になっている。僕が一番うれしい言葉はファンがメールや手紙で“永ちゃん、手抜かないね”と言ってくれること。ドームも武道館も町の小さな箱でも“まったく手を抜かないね”って。僕にとって一番の褒め言葉です」

 矢沢が人生で最も大事にしている瞬間がある。それは、ライブ終演後の舞台裏でシャワーを浴びた時。「今日俺は勝ったよな?」と40年以上、常に自分に問いかけてきた。

 「ヤザワにとっての武道館は、僕一人でつくったものではない。ファンとともに築き上げてきたんだ。“俺は今日、ちゃんと客を張っ倒せたか?”と自問自答しながらね。今まで2回だけ武道館やらなかったけど“永ちゃん、これじゃ年越せねえ!”って声、凄かったんだから(笑い)」

 25公演以上のツアーを敢行するのは7年ぶり。「最近、朝に足つるのよ。加齢だね。ヤザワ、もしステージ中に足つったらどうしようって思うワケよ。でも客は知ったこっちゃない。そんな不安とファンへの感謝を胸に、その上でやり続けていく、STILL ROCK。この感じ、シブいよね」と笑った。

 ▽矢沢の77年武道館公演 1月にスタートした全国ツアーの最終公演として8月26日に開催。「カモン・ベイビー」に始まり「アイ・ラヴ・ユー、OK」「ファンキー・モンキー・ベイビー」など、キャロル時代の曲を含む26曲を熱唱し、満員の1万3200人のファンが熱狂した。同年末発売のアルバム「スーパー・ライヴ日本武道館」に収録。

 ◆矢沢 永吉(やざわ・えいきち)1949年(昭24)9月14日生まれ、広島市出身の67歳。68年高校卒業と同時に上京し、72年にバンド「キャロル」を結成。75年4月の日比谷野音公演をもって解散し、同年9月にアルバム「I LOVE YOU,OK」でソロデビュー。78年にシングル「時間よ止まれ」が大ヒットし、著書「成りあがり」が100万部を超えるベストセラーとなる。81年全米デビュー。97年にロンドンでロッド・ステュワートらと共演。09年に自らレコード会社「ガルル」を立ち上げた。




小林麻央 懸命のがん闘病を支える“万全医療チーム”の献身

2017-07-04 09:32:07 | 日記
 
亡くなれた真央さんの御冥福をお祈り致します。

5月の記事で「小林麻央 懸命のがん闘病を支える“万全医療チーム”の献身 」につて支える側も大変だったと感じとれます。

ー以下 当時の記事ー

「麻央さんは入院先の女性主治医に支えられて、治療に前向きに取り組んでいるようです」(医療関係者)
 
自宅で療養していた小林麻央(34)が、都内の有名大学病院に再入院したのは4月22日のこと。当日のことをブログに《家で回復させたかったのですが、今は、自分の力では難しいので、医療の恩恵を受けて、元気になりたいと思います》とつづった。
 
麻央が回復を託した主治医については、“がんの陰に隠れないで”と麻央のブログ開設を後押しした経緯とともに、本誌が昨年報じた。
 
「主治医は、40代前半の有能な乳がん専門医。患者に真正面から向き合う、きめ細やかな医療に定評があり、麻央さんも慕っているようです。重い病気の患者にとって、自分のことを受け入れてくれる医師は大きな存在。治療に対する希望を与えることができるのです」(前出・医療関係者)
 
麻央を前向きに導いてきた主治医は現在どのような治療を施しているのだろうか。乳がん治療に詳しい内科医はこう語る。
 
「麻央さんは、4月24日のブログに輸血をして痛み止めの量を増やしたら、息苦しさが軽減したと書いています。これはDIC(播種性血管内凝固症候群)の治療をしているためだと思われます」
 
DICはがんが引き起こす疾患だという。
 
「大量の血栓が発生し、呼吸困難、急性潰瘍による下血などを起こします。麻央さんが息苦しさを訴えていたということは、肺に血栓ができていた可能性があります。治療法はまずは輸血。栄養もたくさん入れられますし、血液のバランスが改善されます。治療後、体はだいぶ楽になっているようですから、“緩和ケア”は成功したのではないでしょうか」(前出・内科医)
 
麻央は痛みに耐えながら回復に向けた治療に取り組んでいる。それを支えるのは、「もう一度家族と一緒に日々を過ごしたい」という強い“願い”だ。5月4日のブログで《大きくなっても相談し合えたり、助け合えたりする姉弟でいて欲しいと願っています。(中略)早く2人に会いたいな》とつづっている。
 
「信頼できる医師が常にそばにいることで、気持ちもだいぶ違ってくるのでしょう。成長した子供の姿に思いを馳せているところなど、先のことを考える余裕が出てきたように見えます。このままがん細胞に立ち向かっていく気力と体力が出てくれば、早めの退院の可能性も高まるのではないでしょうか」(前出・内科医)
 
そんな麻央の思いに応えようと、万全の医療体制が整えられている。
 
「主治医は麻央さんの意を汲んで、少しでも不安を和らげるように彼女が打ち解けた看護師を常にそばにおくようにするなど、チームで寄り添うような治療をしていると聞いています」(前出・医療関係者)
 
女性主治医の“緩和ケア”によって元気を取り戻しつつある麻央。一刻も早く家族と一緒にすごせる日が来ることを願うばかりだ。