シニア・ソレイケ

昭和生まれ専科

納豆にコロナウイルスの予防効果あり

2020-06-08 | 半閑半眠-ロスの細道
コロナ過で長いこと我が家に居候していて最近やっとイギリスに帰った娘から、今朝、英国の地元の新聞に、ビタミンKがコロナ予防に効くらしいという記事が出たとの連絡があった。理由として、コロナが原因で亡くなった人の殆どにビタミンKの不足がみられたという。

ビタミンKは、ほうれん草、ブロッコリー緑野菜やブルベリーや野菜とフルーツがK1タイプ。 体が吸収し易いK-2タイプ(オランダやフランス製のハードチーズ、ブルーチーズ)が効くとかで、納豆いはこのK2が豊富らしい。

そこで早速、面白半分、興味半分で納豆消費量と今日時点の県別コロナ感染者数、死亡者数の相関図(懐かしい表現だ)を作成したのが下記の表。
青線(右肩上がり)は「納豆の消費が少なく、患者数などが多い」県で、赤線(右肩下がり)は「納豆の消費量が多く、患者数などが少ない」県。

これを素人目で見ると、確かに納豆を多く食べる上位11県は感染者数、死亡者数が少ない。 コロナウイルスの感染は、人口密集度、医療機関の充実、中国人が好きな県など要因は数々ござれど納豆に予防効果があるらしいとは新発見ではなかろうか。

先日も、偶々、福島の知人に岩手県が現在も感染者ゼロを記録している理由を問い合わせたが、地元でもミステリーとなっているとのこと。 岩手県出身の友人曰く、岩手はガイジン観光客が少ない、地場の妖怪が護っているからだ、ということだが、納豆消費量から見ると確かに結構説得力がある。 確かに納豆消費量が多い東北、関東の各県が順当に感染数が低くなっているが、同じ北にある北海道が納豆消費量で東京の次になっていて、ご存知のように感染数は多い (理由は、東京と共に中国人観光客は大勢押し寄せたからだとは思う)。

もし、ホントに納豆がコロナウイルス予防になるんなら、明日から水戸の納豆のメーカーの株が急上昇するに違いない。しかし、残念ながらこちらには日本の証券会社は一社も無いのでみすみすチャンスを逃すことになるが、先日のように「風が吹けば桶屋が儲かる」的に思考を辿ると次のようになるかも。

納豆はコロナの予防効果あり
納豆は大豆からできている
アメリカは大豆の生産量世界一
中国がアメリカの経済制裁を科した報復に、大豆の大量輸入を停止
アメリカに大豆が余る
トランプが、この話に飛びつき「大豆を食べよう」キャンペーンを始める(何しろ、殺虫剤を注射しようと公然と発表する思考の持ち主だから、票になれば何にでも飛びつく)
これが当たって大豆が売れ、トランプの株が急上昇
トランプが再選される

今回も着地失敗。

皆さん、どうぞ続けてご自愛のほどを。






私には分からない

2020-05-23 | 半閑半眠-ロスの細道
「隔離政策」が始まってもう2週間以上となる。「アパルトヘイト」Apartheidならぬ、「アパルトペイシェント」Apart-patientだ。

こんなときこそ普段できないことを、と思って武者小路実篤の「人生論」を読み始めたことは既報のとおりだが、あれから3週間以上経ってようやく70ページを眺め終え (注:読み終えたのではない)、もうこれ以上は無理とサジを投げた。 しかし流石は武者小路実篤先生。 日本を代表する小説家であり、貴族の出でもある偉い人は言うことが違う。 曰く

• 書きたいことは多いのだが、うまく書けるかどうか、わたしは知らない

• 何か目的があって自然は人間を生まれるようにしたのか、わたしにはそれは分からない

• (単細胞は)元素のあるところ、否、電子のあるところ、必ず生まれるべくしてうまれたのか、わたし知らない

• 母があれば子供を可愛がるのは当たり前というだろう。当たり前に違いないが、その当たり前は何処から来るのか。その人はおそらく知るまい、わたしも知らない

• 自然が何故こんなにまで深刻な感情を人間に与えたのか、わたしは知らない

僅か70ページ内で、これだけ「知らぬ、存ぜぬ、分からない」と言っておきながら話を数百ページも続けられるのは凄いが、その「知らない、 分からない」の部分だけなら自分にも書けるかも知れない。 

そこで今回は武者小路実篤著「人生論」はさておき、試しにペンネームを先生にあやかり「無茶工事高血圧」に変えて「生活論」を記してみたが、諸兄姉の役にたつかどうか、わたしは知らない。

• 娘の友達(米仏の混血でチョー美人)がマスクを自作したという。材料は自分のブラジャーを改造したのだという。確かに考えるまでもなく、(大カップとか中カップとかに分かれるらしい)その形状から鼻と口を包み込むにふさわしい二つのマスクができるが、流石に娘にそれを貰ってきてくれとは言えなかった。 代わりに家内に家にある布生地でマスクを作ってくれといったら、小生の履き古しのパンツで作ろうかと言われ断念。 しかし、ブラジャーの素材は何か、わたしは知らない。 がしかし、それをしたら呼吸数心拍数共、本能的に多くなるか、わたしは知らない。

• もしその「ブラジャーマスク」でコロナウイルス感染症の症状のひとつである「呼吸困難」に陥って死んだら、死因は「安楽死」と書かれるのか「窒息死」と書かれるのか、わたしは知らない。

• 「新型コロナウイルス」による隔離規制で、「会ってはいけない」と親父にきつく言われた若い恋人同士は、窓越しに会うしかなくて気も狂わんばかり。 これを「ロミオをジュリエット症候群」というのか、わたしは知らない。

• 「新型コロナウイルス」のせいで世界経済はが先行き不透明。 失業率急上昇。 こうなると今後の年金の支給はどうなるのか、わたしは知りたい。



人生の坂を下りながら考えた

2020-05-23 | 半閑半眠-ロスの細道
とうとう我が社も新型コロナウイルスの影響で自宅勤務となった。 このご時世でこの年齢からすれば、いまだ自宅であれオシゴトをさせてもらえるのはありがたいことだと感謝すべきと感謝している。

家に居れば、当然会社に居る時より一段と気合の抜けた生活態度となる。
そんな折、何のきまぐれか半世紀以上本棚に眠っていた武者小路実篤の「人生論」(文庫本)を読み始めた。当時、何処まで読んだか全く記憶にないし、第一こんなホンが我が家にある方がホンに不思議だ。本に興味を持つのは我が家では他に飼い犬(何故か本を歯で噛み千切るのが好き)くらいしか思いつかないが、そうかと言ってこの犬は50年も我が家に居た訳ではない。となると自分が酔って精神耗弱のとき買ったか、他人様のものを借りてそのまま返し忘れたか位しか思いつかない。
しかし伊達に歳をとったわけではない。この本を開いただけでその全編を次の2点に集約できることを一瞬で見抜く。

① この本の文字はあまりに小さく、行間があまりにもビッシリつまっている。つまり「人生論」とは2階からでもこれを読むことができる目の良い若者が読むものであって、人生の終わり近くで老眼鏡の世話にならないとだめな者が読むものではないと。 それにしても昔の出版社はエライものだ。もしかしたら当時は紙の節約が必要だったかも知れないが、今日日この本を出版しようと思ったら、字を大きく行間の間取りを十分にとって3倍くらいのページ数と重さにして、値段も5倍位に設定しただろう。

② 何であれ自宅勤務のときにしかこんな本を読むことはないし、読めば半ページも読まないのに直ぐ眠くなるので、今まで毎晩9時間しかとっていない睡眠不足を補うにはうってつけのものだ。

そんなことで今更読んでも人生の手遅れと知りつつも、この「人生論」読み始めた。出だしは人の体の不思議から始まって苦痛の話に続き、更に健康の話にいく。

その言に曰く、『人間は死を苦痛に感じるから生きようと思うし、これが楽だったら人間は死滅している。そして苦痛を減らして生きるためには健康でなくてはならないが、人生にとって健康は目的ではなく、最初の条件である』。つまり健康でなければ働けない。働かなければ人生を全うすることができない(と言っていると思う)。そう言えば小生の知り合いにも「オレは健康のためなら死んでもいい」とマジで言っていた奴が居たが、その後どうなったものやら。健康器具や健康食品を買っても「高いモンだから勿体なくて使えるわけないじゃないか。それにこの○○は貴重なモンでそう簡単に手に入らないから飲むのが惜しいんだ」と言っていた。

更に曰く『病気や負傷で苦しいときにそれを治す力の無い者は、その資格と力のある人に任せることが肝要』とも言っている。つまり、知人が病気で苦しいときに下手な同情や見舞いの押し付けは自己満足でしかなく、治す専門の医者に任せておけということ。 それはそれで正しいが、小生の場合は少々違う。 できれば『見舞金』という目に見える形で送ってもらえればありがたいし、その金額の多寡でその人の全てを評価するので遠慮せず自己満足して欲しい。 多ければ、こいつは思ったより義侠心、人情、友情があるな。 少なければ、やっぱ奴は口先人間だ、パープーだ、と評価するかも知れない。

ここまで(約20ページ)読むのにほぼ1週間位かかっているが、これを読みながらひょいと夏目漱石の「草枕」の冒頭の「山に登りながら考えた」というおなじみのフレーズが思い浮かんだ。 そこで「人生論」を読む方はまだ気が遠くなるほど長いが小生の残りの人生は短いので、先ずはこっちから先に片づけることにする。

夏目漱石の場合
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。 意地を通せば窮屈だ。 とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。 こへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

サラリーマンの場合
(出世の)階段を登りながら、こう考えた。
地味に働けば目立たない。 上司を刺せば飛ばされる。 正論通せば責任に。 とかくに会社は住みにくい。
住みにくさが高じると転職したくなる。 何処へ勤めても住みにくいと悟ったとき、定年となる

ホステスの場合
(オンナの)道を歩きながら、こう考えた
指名が段々減ってきた。 客に口説かれる方から客を口説く方へ。 歳でドレスが窮屈だ。 とかくにキタの新地は住みにくい。
住みにくさが高じると居づらくなり、もっと北の方に行きたくなる。 津軽のバーでも住みにくいと悟ったとき、子が出来た。

トランプの場合
(票を)数えながら、こう考えた
弾劾なんかどうでもいい。 なんでもフェイクと言えばいい。 選挙に勝つならなんでもアリ。 とかくに政界は住み易い。
住み易さが高じると再選を目指したくなる。 再選しても嫌われてると悟ったとき暴発する。

小生の場合
(人生の)坂道を下りながら、こう考えた
年金生活ままならず。 英語が全然通じない。 他人の意見に歯向かえない。 とかくにアメリカは住みにくい。
住みにくさが高じると「日本」に帰りたくなる。 日本に帰っても住みにくいと悟ったとき、お迎えが来る。

皆さんの場合は?

5つの銅貨と握手

2020-05-22 | 半閑半眠-ロスの細道
カリフォルニア州の外出禁止令(Stay-at-Home)が実施されて5週間以上経つが、自身はこれに先立つこと数年前から自主的に実施している。

その5週間に、オフィスに行くときに履くズボンのファスナーの一番上のボタンもかからなくなってしまったが、これは毎日の「箸とワイングラスの上げ下げ」の運動量程度では足りないため太ったとばかり思っていたが、どうも勘違いでズボンは履かないと1か月で相当縮んでしまうという真相に気付いた。 それが証拠に鏡に横向きで思いっきり腹に力を入れて姿を映すと、それほど太っていない(但し、その姿勢は13秒ともたない)。 道理で、もう何年も着ない背広その他の洋服類が全てきつくなったわけだ。

これだけ世間との接触が断たれ、グータラしていると今日が何曜日か分からなくなり、ロビンソン・クルーソーやムショ暮らしの気持ちが良く分かるようになる。

そんな折、最近では新型コロナウイルスの接触感染を避けるため、他人と会った時の握手を止めて肘(上腕部)をぶつける仕草に変わったことは皆さんご存知のとおり。 これが目新しくカッコよく思えるが、未だその機会はない。唯、この肘をぶつける相手が女性のときはどうなんだろう。日本では昔から「肘鉄を喰らわす」という言葉があるので、日本人同士ではどうもイメージがわかない。

この挨拶や親愛の情を表現するのに西洋の伝統的「握手」はいい慣習で、初対面の相手(女性に限る)と握手するときなどは結構ドキドキする。今にして思えば、高校生の頃小生が握手してあげた相手(女子)は2-3日手を洗わなかったと思うが、果たして自分にそのような機会が本当にあったかどうか古いことなので記憶が定かでない。

昔、映画「5つの銅貨」(劇の中で歌われた「聖者の行進」が有名)の中で、レッド・ニコルス(ダニー・ケイ)が子供と握手するときに手をチャッチャッとからませ、最後に握手する姿が今も忘れられない。これを真似をしたかったが、当時はビデオもないのでやり方を覚えられなかった。もし、誰かこの握手の仕方を知ってる人(女性に限る)が居たら是非教えて欲しい。

それと初めてアメリカに来た時、若い衆が握手の手を放さず上下に2振った後1、2回絡ませて最後に「いいね」マークみたいにしたお互いの指をがっちり握るという仕草も「オレ達、団結してるゼ」みたいでカッコヨカッタ。 それからいかにもアメリカらしいのは、例のハイタッチ(ファイヴ)やグーでこぶし同士を当てるなどなど。

そう言えば、最近は頼まれていないが(記憶が正しければ「昔も頼まれたことはないと思う」)「握手会」なるものが日本にはある。 アイドルのDVDを買うと1個につき1回お目当てのアイドルと握手できるという。そのためファンは一人で何枚もDVDを買うとか。

この「握手会」も今回の騒ぎで多分NGだろうが、もしこれが復活して、かつ自分をAKB48か乃木坂46のプロデューサーに抜擢してくれたら新しい「握手会」を提案したい。
今までのように握手券1枚でただ握手するだけじゃなくValue addedで、「空手の型」みたいに、ファンはアイドルと握手の前に「ナイファンチ3段の型でお願いします!」とか「ウルルンハ―でお願いします!」「ワタクシはパープーレン・クーサンクー大でお願いします!」。中には「アウン・サン・スーチーでお願いします!」って大声で宣言した後、左右の手を組み合わせて色んな型を表現。選んだ型、スピード、力強さ、迫力、キレ、難度で評価し、その点数によりアイドルから熱烈なお返しがあるというのはどうだろう。 そして最低得点は「家事用ゴミ手袋したままの握手」。 最高点は「ハグ」。

しかし、残念ながら今のご時世と、現在外出禁止令施工中の米国に居るので当分無理かも知れない。それに、そんなおいしいお約束をしても「空手の型」だけに空手形と思われる可能性が高い。

諸兄姉の安全と健康を祈る。


風邪がふいたら

2020-05-22 | 半閑半眠-ロスの細道
自主謹慎というか閉門蟄居というのが正しいのか、「新型コロナウイルスによる外出禁止令(カリフォルニア州)で巣ごもり状態になって早や5週間が過ぎようとしている。一般の人には。何度も言うが、自分はこのStay-at-home令が出る前から在宅を実施している。

これだけ時間が経つと街行く人々の髭面や長髪が目立つようになったが、他人と会うことが無いので、爾来髭を一回も剃っていない。 こうなってくると面白いもので、どれだけ伸ばせるかイケるとこまでイキたくなる。記録もヒゲも鼻の下もその気になれば伸びるものだ。

しかし、これだけ家の中でゴロゴロしてヒマを持て余しても仕事はなかなかする気にならない。今回の新型肺炎は咳だけでなく、倦怠感があるということなので、もしかしたら、いつの間にか倦怠感だけうつったのか心配になる。 倦怠期だったら既に抗体があるので自信があるが…。

そんな折、新型コロナウイルスによる風邪が流行ったら「風がふいたら桶屋が儲かる」的なつながりになるか自分なりに考察してみたら次のようになった。

新型コロナ風邪が流行ると家に籠る
家の中に籠るとやることがなくなる
やることがないと雑文でも書こうと思う
思うだけで何も浮かばないと、少しくらいはと思って外出する
しかし運動不足と肥満で、歩いても直ぐに疲れてベンチで一休みする
一休みしながら、携帯電話を待ち受けにする
その目の前を歩いて通った人が咳をゴホンとする
それを聞いて「咳のゴホン 待つ」という民謡を思い出す
「関の五本松」は島根県出雲地方の民謡
出雲は神様の集まる所
今年の出雲は、神様も「緊急事態宣言」で集まれない
神様が集まらないので、島根はシマネ~状態になる
シマになると、シンジコにシジミを採りに行く
シジミのエキスが二日酔いだけでなくコロナに効くという風評がたつ
シジミ汁が出回る
味噌が売れる
お米が売れる
炊飯器が売れる
量販店が儲かる
中国人が買い占めにまた大挙押し掛ける
更にパワーアップした最新型コロナが流行る
最新型コロナ風邪が流行ると家の中に籠る
家の中に籠るとやることがなくなる
やることがないと雑文でも書こうと思う…。

着地失敗。

熊本大震災への支援

2017-04-26 | ト・イッタ~
熊本の大震災から1年が経ち、東日本大震災からは6年が経つ。

こちらの日本語テレビでも、毎日NHKの「あの日わたしは~証言記録・東日本大震災」を放映していて、当時を必死に生き抜き、現在も苦闘している人達、そしてそれをサポートする人達の姿を紹介している。

処が、その復興の責任者であるハズの復興大臣の「大震災が東北でよかった」という信じられない放言が伝えられた。彼は、1か月くらい前も「被災者が帰れないのは自己責任」だと言っていたから、その無神経、無責任ぶりに、皆、呆れ果てていたところ、昨日、本人辞任の発表があった。本人は殊勝にお詫びしていたが、内心は人に指摘されるまで気がつかなかったんだから、腹の中では「事故みたいなもんだ」と思っていたのかもしれない。この場合は「事故責任」と言うべきか。しかし、感情としては「更迭」にして、2度と世間様の前に顔を出さないようにしてもらいたかった。

熊本も含め、その復興作業も最近はボランティア活動も少なくなり、地元では支援を呼び掛けているという。この支援を復活させるためのキーワードを問われれば、勿論「支援カムバック」。

先日、この話を知人にしたら、映画「シェーン」を観たことが無い人だったので、意味が全然通じなかった。戦後は遠くなった。


ムーンウオーク

2013-07-13 | 思いつくまま

最近は出張が多く、どうもブログへの記事掲載を忘れがちだが、このサイトは60日以上何もしないと(つまり誰も見てくれていないということ)、自分で何か記事を載せなければならないようだ。

そんな訳で、急に思いつきで記事を書くことになったので、何時もの出張時のことをチョット書く。

アメリカでの出張は殆ど飛行機。尤も小生の勤務する会社の本社はケンタッキーの北の端にあるが、ここの人たちは概ね自動車を運転して、片道8時間なんてとこに平気で日帰りする。とても小生にはマネできない。

ま、そこで空港の話になるが、アメリカで空港を使った方々はご存知のとおり、到着地についてターミナルから手荷物受取所に行く場合、必ずあるのがゲートで、そこを一歩外に出ると到着ゲートの方には2度と戻れない。勿論そこには必ず検査官が見張っている。

さて、そこで何時も思うのだが、その検査官も1日唯人が通るのをボーッと見ているのだから、そこから1-2歩出た処でマイケル・ジャクソンの「ムーンウオーク」でバックしたらどんな反応があるだろう。 もし、戻れたら良いか悪いかは別にして話題の主になれると思うが、先ずその「ムーンウオーク」を何処で習ったらいいのだろう。



戦艦アイオワ

2013-04-07 | 思いつくまま

家に送られてくるジャンクメールの中に、偶々いろんな割引クーポンの入っている冊子が入っていたので、一杯やりながら目を通していると、家からさほど遠くない(と言っても35-6Kmはあるか)ロングビーチ市のサンペドロ港に、退役した戦艦アイオワが停泊していて中を見学できる割引券があった。

我々の年代だと、ハワイ真珠湾の記念碑となっている戦艦アリゾナ、日本の降伏調印式の舞台となった戦艦ミズーリと並んで、何故かこの名前に馴染みが深い。インターネットで調べてみると、あるわあるわ。米国が建造した最後の軍艦ということで、終戦1年前の1944年に戦艦部隊の旗艦としてサイパン、テニアン、グアム、ロタ、ルソン島、レイテ上陸支援など太平洋を転戦したそうだ。道理で馴染と思った。

しかし、これを読んでいて興味深かったのは、この戦艦アイオワが建造された時代背景と今日の状況だ。チョットWikipediaの記事を無断拝借しよう。

「1936年に第二次ロンドン海軍軍縮会議から日本が脱退した。これを受け、同条約を批准した英米仏の三国は対応を協議し、1938年3月末にエスカレータ条項を発効した。この結果、米英仏は第二次ロンドン海軍軍縮会議で定められていた戦艦の主砲口径と基準排水量の上限はそれぞれ14インチから16インチ、35,000トンから45,000トンへと拡大された。つまり、当時の日本は条約を批准しながら制限を上回る46,000トン型の16インチ砲搭載戦艦、もしくはそれ以上の18インチ砲搭載戦艦を秘密裏に建造していると考えられていた。そこで米英仏は、これに対抗できる性能を持つ新型戦艦を持つ必要があると思ったわけである。こうした観点から、エスカレータ条項で認められた45,000トン級新型戦艦で、27ノット中速戦艦案が採用され、その結果建造されたのが戦艦アイオワである」そうだ。

話は戻るが、第一次世界大戦後、戦勝国である日本を含む連合国側は軍拡に走り、海軍力(特に戦艦)の増強を進めた。代表的なもののひとつに日本の八八艦隊計画があるが、当時艦隊建造のためだけに日本は国家予算の1/3を使い、維持だけでも半分弱を使うことになる。

現在の日本の国家予算を94兆円として1/3 とくれば31兆円だ。今の防衛費が4兆円、東北復興予算が3兆円くらいだから如何にその規模が凄かったか分かる。そこで各国が一定の軍備の枠組みを決めたのが「海軍軍縮条約」で、各国の戦艦保有数などを決めたが、日本はその国際枠組みから脱退して戦艦大和など大鑑巨砲主義に突き進み、その結果国民を無残な結果に陥れた。

そこで現在に目を転じてみると、第2次世界大戦後、米ソの冷戦と核開発が行われ、現在では地球上の人類を何十回か殺すことが可能な15,000~16,000発の核弾頭があるといわれている。そこでこれじゃいかんと核ミサイルの制限交渉などが行われているが、これは先の海軍軍縮条約と同じ発想だ。そして核が少なくなった弱点を補うために、自分たちは核を持っていてもいいが、他の国は持っちゃいかんというようなことを言っている。

このような背景を念頭に置いてみると、国連での枠組みや周りの制止も聞かず、国民に何万という餓死者が出ても核開発に突っ走っている北朝鮮が将に当時の日本ではないだろうか。先ほどのWikipediaの記載のように、当時の日本は条約に背いて制限を超える戦艦を極秘に持っていたようだが、北朝鮮の核兵器やミサイル問題も将に似たようなものである。

丁度、この文章を書いている最中に、北朝鮮が核実験したというニュースが飛び込んできた。北朝鮮内部では金正雲が指導者としてスゴイと言っているようだが、往時の日本も大同小異だったはずだ。

北朝鮮は、世界の主要国相手に「オレは力があるぜ、ワイルドだろぅ」と言わんばかりだが、丁度子供が公衆の中でギャアギャア泣き喚いて、廻りが困っているのを自分の力が強いので手を出せないでいると錯覚しているのに似ている。国連の安保理事会でも、世界中が自分に注目していることだけに満足しているようにも見える。

小生の小学校時代の社会の教科書に、1933年(昭和8年)に満州国を否認した国際連盟の決議に対し、我が国が席を蹴って退場したとあり、そのときの新聞記事の見出しが掲載されていたが、「ばらさよ盟連」と書いてあったのを覚えている(当時横書きは右から左に読む)。今の北朝鮮も似たようなものか。

閑話休題。こうしてみると、北朝鮮の今後も行き着く先も見えてくるような気がする。しかし、同時に思うのは、今からそう遠くない6-70年前(皆さんには相当昔に思えるだろうが、小生には、ついこの間のことのように思える)、日本は当時の世界から見たら、特に西洋人の白人優越意識から見たら、全く当時の日本は今の北朝鮮と同じようなことをしていた。そう思うと、北朝鮮をバカだチョンだというのはチョット気が引ける。

しかし、それにしても落語の噺の中の世界でも、政治の世界でも鳩山家を見れば分かるように、3代マトモに続いた家はないように北朝鮮も3代目。そろそろ先が見えてきたような気がする。

それはそれとして、北朝鮮は資源がないのが一番の強みかも。これでレアメタルや石油、ダイアモンドなんかが出ようものなら、それこそ米国が一番先に攻撃しているか、中国が自国に取り込んでいるかだろう。今日日、ゴールドよりもレアメタルがの方が価値のある時代。「金」さんだけでは対抗できないだろう。

菩提樹

2013-03-31 | 思いつくまま


つれづれなるままに、日本語テレビを見ていたら、インドの仏塔のことを放映していて、細かいことは忘れたが、その中に「菩提」という言葉が出てきた。

「菩提」というとシューベルトの「菩提樹」を連想するが、この「菩提樹」なるものと、仏教でいう「菩提を弔う」「菩提寺」などと関係ありやなしやと酔いに任せて宵のうちに調べてみた。

仏教の「菩提」を説明するにはボーダイな資料が必要だが、要はインド古代の仏教で使われたサンスクリット語(パーリ語?)のボーディの音写で、意味は「悟りの境地」のことだそうだ。たしかに、般若心経にも得阿耨多羅三藐三菩提(とく、あのくたらさんみゃくさんぼだい)という経文が出てくる。「この上なく崇高な悟りを得た」というような意味である。

そして「菩提を弔う」とは、死んだ人が安らぐように祈ることで、そのような祈りの場が「菩提寺」という(と思う)。

因みに仏教での木というと「菩提樹」と並んで「沙羅双樹」が有名だが、「これはナニかと尋ねたら」(このフレーズが分かるのは相当の高齢化と漫才が好きだった人である)、仏教では3大聖樹というのがあって、そのうちの2つがこれらだそうだ。まず「菩提樹」は、お釈迦様が悟りを開いたときに、その横にあった(後ろかも知れない)木で、「沙羅双樹」はお釈迦様が入滅したときに2本が対で4方(つまり8本)にあった木だ(とさ)。因みに、もうひとつは無憂樹で、これはお釈迦様の生まれた所にあった木だそうだ。

そこで小生の3大性樹はナニかと尋ねたら、先ず生家の庭にあったのがイチジク.
(無花果」と書くが、花を咲かせずに実をつけるように見えることに由来するそうな。道理でと思う。

次に我が家の家紋の「丸に剣片喰(けんカタバミ)」。「片喰(カタバミ)」は繁殖力が強く一度根付くと絶やすことが困難であることが「(家が)絶えない」に通じることから、武家の間では、家運隆盛・子孫繁栄の縁起担ぎとして家紋の図案として「剣」を加えて用いられた。五大紋の一つに数えられる。この「繁殖力旺盛」が小生に当てはまるかどうかは、諸兄に判断を任せる、

そして、現在裏庭に盛大に緑の実をつけている枇杷か。これがたわわに生る頃「ビワ・ガーデン」と称して友人たちとテーブルを持ち出して盛大にビールなどを呑んだものだ。最近は、犬がいないせいか、実が生って、さあこれからというときにリスが来て先においしいところを持っていかれてしまう。この辺が自分の人生とダブって見える。

話は「菩提jに戻るが、菩提の反対語は「煩悩」。簡単に言うと煩悩があるときは、菩提=悟りの境地にいないということだが、もっと簡単にいうと、美女が誘っても誘惑されない状態を菩提=悟りという。そうなると小生などは、生きている間は悟りが開かないことを祈るばかりだ。

さて、そこでシューベルトの「菩提樹」だが、これは「美しき水車小屋の娘」と並んで彼の3大歌曲のひとつといわれる「冬の旅」の中にでてくる曲だそうだ。余談だが近江俊郎が歌った「水車小屋の花」(鈴木比呂志作詞、米山正夫作曲)があるが、これは「美しき水車小屋の娘」をなぞらえたものか。この歌を知っているゴジンも、相当年季の入ったゴロージンのはずである。

「菩提樹」の歌詞はご存知と思うが、蛇足ながら付け加えておく。「泉に沿いて繁る菩提樹 慕い行きてはうまし夢見つ 幹には彫りぬ ゆかし言葉 嬉か無しに訪いしそのかげ」

説明によれば、失恋した若者が放浪の旅を続けていく曲で、絶望感と悲しみ、失われてしまったものへの憧れ、そしてそれを救う死を求めながら旅を続ける姿だそうだ。これを作曲した当時のシューベルトは、どうもウツの状態だったようだ。

それはともかく、本題の結論として、この題名の「菩提樹」は仏教の菩提樹とは関係なく、偶々、リンデンバウムという木が和訳すると「西洋菩提樹」になるだけで、これはシナノキ科の落葉樹で、お釈迦様のはクワ科の熱帯樹という別物だそうだ。しかし、その「リンデンバウム」が何故「菩提樹」と和訳されたのか分からないが、多分仏教の3大聖樹である「菩提樹」に似た木をヨーロッパ人が持ち帰り、これを自国語の「リンデンバウム」と呼んでいたが、そこへ偶々ヨーロッパ(何処だか不明)にアソビに来た中国人かインド人が自分の国にあった仏教に由来する「菩提樹」に似てた花をつけていたから、「オー・コレハ・ボダイジュ デース」とかなんと言ったから「菩提樹」になったものだと思う。そして、それに偶々興味を持った小生が、この雑文を書くに至ったという程度のことである。

蛇足ながら、ここまで書いてきて「菩提樹」という題名の映画があったような気がして、早速インターネットで探したらやはりあった。そこで、そのストーリーを読んだら、原題がThe story of Trapp Family Singersとあったので、アレレと思って先を読んだら、やはり、ジュリーアンドリュース主演の映画「サウンド・オブ・ミュージック」の前に、トラップ・ファミリーのマリアが書いた原作を映画化したものだった。兎も角、その映画「菩提樹」はYouTubeでも結構部分的にUp Loadされているからご覧になったらよろしかろう。

避難訓練

2013-03-31 | 思いつくまま

先日テレビで、大都市で地震発生の際の誘導訓練の模様を放送していた。
誘導するのは、普通のおじさんたちが誘導者を表すベストを着ていたが、この人たちでパニックになっている人たちを誘導できるのだろうか?

数年前になるが、旅行の帰途サンフランシスコ空港で乗り換える際、山火事の影響で送電線が切れてサンフランシスコの空港が閉鎖となったことがあった。そのとき、真っ先に乗り込んできたのが軍事服で武器携行の州兵だった。

彼はカウンターの上に上がって、居並ぶ旅行者に知りうる現況を伝え、今日中には復旧の見通しが立たないこと、サービスデスクの場所を説明し、それ以上は自分は何も知らないので質問は受け付けないとはっきり言った。それで終わり。後は各旅行者は、航空会社の社員に文句を言っても仕方が無いので、自分で電話を探したり、航空会社のカストマーサービスに電話したり各々の解決方法に向かった。

まあ、国によって事情は違うが、緊急時に役立つのは、やはり制服を着た人たちが居ることが一番抑えが利くような気がする。それが自衛官、消防士、警察官、いろいろあるが、この辺の心理にも気を配ったなら如何なものかと思う。