貧者の一灯 ブログ

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妄想劇場・特別編

2021年11月09日 | 流れ雲のブログ

 

 







歌:あなたが欲しい     
作詞:松井五郎・作曲:水森英夫

誰が最初に 見つけたの 白い背中の 小さなホクロ
なにも知らずに いる方が 知るよりつらい こともあるのに
あなたが欲しい あなたが欲しい
心の芯についた火が 体を燃やして狂いそう
あなたが欲しい あなたが欲しい














息子へ彼氏が語るのは

これからの歩み 婚姻届を出す前に、子供達に報告をしたい。
「浩輔君と祐輔君に会いたい。

直接僕から話したいので、来週の木曜日か金曜日夕方
時間を空けてほしいと連絡してくれる?」

「わかりました。今、電話してみるね」
「浩輔、俊さんとお母さんから大事なお話があるの。

来週の木曜日か金曜日夕方時間を空けてほしい。
祐輔にも連絡して二人で決めて、連絡待っているね」

三十分後、浩輔から連絡が来た。

「金曜日の夕方でいいのね。ありがとう。
場所と時間はラインするね」

「浩輔君の連絡先教えてほしい」
「分かりました」
「二人の賛成があれば安心だね」
「ええ、ありがとう」

金曜日、約束の時間に着いたらすでに三人はお茶を
飲んでいた。

「あれ、早かったのね。私、時間を間違えた?」
「違うよ。僕が浩輔君達に早く来てもらった。
僕の紹介をしようと思って」

「今日は、早めに時間を頂きありがとう。
実はお母さんにプロポーズをした。

お母さんは二人の賛成がないと不安なようで、
今日は来ていただいた。

お母さんとお付き合いをして、感じたのは女性ってこんなに
優しいしこんなに笑う、こんなにしっかりしているんだと感じた。

僕は五十歳で独身。母親を十歳の時、病気で亡くし父と
二人で暮らしていたが、僕が二十六歳の時に父も亡くなり、
兄弟はいない、 親戚も縁遠くてお付き合いはない。

一人で、がむしゃらに勉強して、三十歳に今の会社を起業し、
会社は軌道に乗り社員は十人います。

これまで五、六人の女性とお付き合いもしたけど、
地位やお金が気にいってついてくる感じが僕は嫌だった。

独身が楽だと思い一人です。さっぱりとした人生です。
これが戸籍謄本、住民票、会社の登録証、不動産の
登記簿謄本、

あとは自宅と不動産は後二年で完済です。

給料明細書です。その給料うち二百万は返済、百万は積立、
あとは予備費、生活費、こづかいです。

僕はあまりお金を使わないです。 お母さんはいまだに僕の
給料に興味がなく聞きません。

今、月二十万をこづかいにしてと、カードを作って持たせて
いるのですが、月五万も使ってない。僕はびっくりしている。

女性ってブランド物や靴とかいくらでも使うイメージがある。

結婚したら、五十万入れるから毎月全部使ってと言ったら
お説教、お金は使うのは簡単ですが、働いて貯めるのは
大変です!と少し怒っていた」

「母さんらしい」
「本当に素敵なお母さんだね」
「本当に優しい母です。どうか大切にしてください。

僕達も気が付いていて、最近母が良く笑っているので、
俊輔さんのおかげだねと話していたのです。

ありがとうございます。

寂しがりやの母です。よろしくお願いいたします」
「賛成してくれるのだね。良かった。嬉しいです。

それと、これはお母さん名義の定期預金です。
僕に何かあったら財産はお母さんへ、

何かあって別れたりする時があっても困らないようにしている。
でもお母さんには内緒だよ。多分、怒るから」

そしてゆりが来た。 私は、ふたりの愛する息子達、
愛する俊さんがいて、とても幸せ。

「さぁ、食事を始めよう」 四人で美味しく頂きワインで乾杯した。

「来年の正月、良かったら、ホテルで迎えませんか。
友人のホテルですが、リニューアルオープンなので部屋を
予約したのです。

奥さんと相談してみて、出来たら新年を一緒に迎えよう。
僕に招待させてほしい。昼に帰ればいい」

「分かりました。妻と相談して母に連絡します。
俊輔さん、母をよろしくお願いいたします」 「分かりました。

僕が大切し守って幸せにします。

今日はありがとう」
私は、幸せで涙が止まらなかった。














その事、親戚にボロカスに言われて育ったよ。
辛かった。

で、離れて住む母方の厳しいばあちゃんかおって
「学校のテストは100点が当たり前!」って

他の孫には言うのに私には一回も言うたことなくて。
「元気か?元気やったらええねん」とだけ。

小学生やったけど、あぁ、私の事を思ってくれる人がおるって、
生きていけるっておもったよ。

せやから、めったに会われへんのに、何を話すわけで
ないのに大好きやった。

中学になったとき、そのばあちゃんが肝臓癌になってん。
もちろん告知とかない時代。 余命3ヶ月。
でも、本人やもん。わかるわなぁ。

当時、会社作ったじいちゃんが余所に子供作ってた。

お妾さんは、きっつい人で「私はええ暮らしがしたい!
だから子供産んだ」と言える人やった。

おばあちゃんからは、その人を後妻にしたら
子供や孫が可哀想やから、おじいさんよか
一日でも長生きせなあかんねんわ。 っていわれた。

優しい口調やけど、なんや激しいもんもかんじた。

それからずっと飲み薬だけ飲んで普通に暮らしてた。
そのうちじいちゃんが晩発性の骨髄腫になってん。

広島に原爆投下後に行方不明の妹を探しにはいった
からやろね。

あっと言う間にじいちゃんは痩せ細っていった。
修学旅行のお土産を渡しに病室内に見舞いにいくと、

妾さんが派手な服で付き添ってて、来るなとばかりに
物凄い形相で睨まれた。
子供でもお構いなしやなと思った。

11月、じいちゃんは亡くなった。

12月、初めてばあちゃんがうちに泊りにきた。
長生きする、という紫色の布団を敷いた。

夜、ばあちゃんに「あんたは丙午やからおばあちゃん
と一緒やろ?

苦労するけどまけたらあかんで。あんたが迷信通りに
離婚したりしたら 

60年後に産まれる丙午の女の子が可哀想な目にあうから、
歯、食いしばってもしっかり生きなはれよ。」

目をじーっと覗き込まれて…

私な、癌なんよ、もう長くないのもわかってるんや。
おじいちゃんものうなったし やれやれやねん。
あとは春にみんなの合格みれたらええねん。

告知してないのは知ってるから嘘をつきとおした。
真っ正面から目を見返して

「いややわー癌やなんて!
冗談言うたらあかんでー(笑)」 と返した。

真っ正面からの目を見ながら。 逃げずに嘘をついた。
でもな、、嘘をつくのはあまりにも辛いんよ。

最も信頼する祖母に。 嘘をつく私。
心、壊れたんよ。

夜中トイレで服を口に押し込んで声を殺して泣き続けた。
誰にもバレないように。

壊れた心は崩れる一方やった。
3月、高校、大学の合格報告をした。

白い部屋、白いシーツ、白い着物パジャマ、白髪
ベッドの上でニコニコと正座しながらも 

もう半分この世の人ではない感じに 白く透き通るように
優しく明るく光って見えた。

4月初めに他界。 私は嘘つきです。

大好きなおばあちゃんに嘘をつきました。
代償に心の一部がえぐり取られたまま生きてきました。

けど、言われた事は守るから。次の丙午に辛い思いは
させへんようにしっかり生きるから。

余命3ヶ月から二年半も生きたその丙午根性見習うわ。


時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる
愛されないということは不運であり、愛さないということは
不幸である。……