「お前は、かつて俺に剣を突きつけて前向きに
生きるよう促したはずだ。
晋という大国の君主が我らになにかを期待して
いるのであれば、それに従って行動するのが
筋というものではないか。
当然、見返りがあるはずだからな」そう言うと、
それ以上子仲の話には取りあおうとしなかった。
子仲の胸は不安で満たされた。「子胥どのは、
どう思います?」質問された伍子胥は、冷酷に
言い放った。
「やりたいようにやらせておけばいいさ。
実を言うと私は少し幻滅しているのだ。
私の父が精魂込めて育成した男が、あんなに
子供っぽい奴だとはな」
「それは、ある程度仕方のないことではないか
と思いますが……。
子胥どのは太子を見捨てるおつもりですか」
「なにもそういうつもりで言ったわけではない。
太子の尻拭いこそが、我々の役目だと言いた
かっただけだ」
伍子胥の言葉は、野卑な表現だが正しい。
子仲の見る限り、太子は精神がやや不安定な
ところがあり、危なっかしいのである。
しかし主君として仰いでいる限り、臣下としては
その判断を尊重するべきであった。
しかし太子には確かによい面もある。
彼は、費無忌暗殺に失敗した子仲を責めなかった。
また、守り役の伍奢を心から尊敬しているなど、
基本的には優しい男である。
しかし父親から死を賜るなどの相次ぐ苦難を経験
した彼は、強く、逞しく成長しようとしていた。
もしかしたらその過程にやや無理があった
のかもしれない。
太子を呼び寄せた頃公は、ひとつの策を与えた。
それに応じるあたりに、彼の心が未成熟であった
ことの証が示されていると言えよう。
「太子は、鄭国に歓待されたと聞いている。
信用されている証であろう。
そこで言っておきたいのだが、余は鄭国を併呑
したいと考えている。
太子よ、御身が鄭の内側から手引きし、余が率いる
晋の軍隊が外側から攻めれば、鄭国を滅ぼし、
その地を晋の領土とすることが可能だ。
このことを聞き入れてくれれば、鄭を滅ぼしたのち、
御身をその地に封じよう」
太子はこの誘いに乗ってしまった。
子仲と伍子胥はそれを知って臍ほぞを噬かんだが、
この時点でできることはなにもなかった。
太子一行は晋の頃公の意を受けて再び鄭国に入った。
鄭の君主である定公はこれを受けて驚いた様子を
見せたが、正卿の子産は落ち着いていたという。
「戻られましたね。
晋国に身元を保証されたのでしょう。そうだとしたら
なおさら邪険にはできません」と言った子産は、
再び歓待の儀を催した。
彼らを骨抜きにしようとしたのである。
「子産は、気付いているな」
祝宴の中、伍子胥は子仲の耳元でそう囁いた。
子仲は頷き返す。
「きっと、我々に機会を与えないつもりなのでしょう」
「うむ。おそらくそうに違いない」子産は頭が切れる上に、
勘のよさもある男であった。
それゆえ誰が見ても太子建などには対抗できる
相手ではない。
子仲は計画中止の必要性を意識し始めた。
「太子には、やめさせましょう。どんなに綿密に
立てたつもりの計画でも、必ず子産のような男には
露呈します。
おそらく彼は、こうなることを見越して我々を
晋に赴かせたのだ!
」伍子胥は同意した。「その通りだ。
これまで太子にはやりたいようにやらせてきたが、
この辺りが本当に尻拭いが必要な時期なのかもしれない。
まずは太子を説得せねばならぬ。子仲、できるか」
「なんとかします」子仲は太子のもとへ赴いた。
自身を取巻く謀略と悪意の数々に、太子建は
気付くことができなかった。
彼を取り巻く人々の中にはうすうすそのことに
気付いていて、注意を喚起してくれる者が存在
していたのにも関わらず、
彼は自身の意識の高揚と、わき上がる興奮を抑えきる
ことができず、その意に従うことができなかった。
したがって彼の運命は、彼自らが招いたものだ
と言っていいだろう。
太子建は計画を中止するよう進言した子仲に
激怒し、彼を殺そうとしたのである。
「子仲、貴様! 俺の栄達を阻止するつもりか!
臣下としてあるまじきその態度を正すには、
死をもって償わせるしかない! 首を出せ!」
太子の精神はやはり不安定であったと言わざる
を得ない。突如腰の剣を抜いて斬りかかろうとした
その姿は、やはり伍子胥の言う通り子供のようであった。
子仲は、遁走した。
彼は別室で待つ伍子胥のもとに駆け寄り、
息を切らしながら叫んだ。「子胥どの!
太子はもう駄目だ!」
説得に向かった子仲の身に命の危険が迫って
いることを瞬時に察した伍子胥は、彼の手を引き
宮殿の中央へ走った。
その行く先には、子産がいる。
「我々は、殺されようとしている。子産どの、
どうかお助けいただきたい!」
すでに祝宴は終わり、残された執務を片付けよう
と卓に向かっていた子産は、勢いよく席を立った。
「どうしたというのですか」
伍子胥は、子産に説明を始めた。
「子産どのにはすでに知ってのことかもしれない。
しかしあえて白状する。
我々の主君である太子建は、晋に言い含められて、
この鄭国を乗っ取ろうとしているのだ。
我々はそれを諌めようとしたが、逆上されて
いま首を斬られようとしている」
子産は、すぐさま反応した。
「なるほど、よくわかりました」
そう言うと子産は執務室を出て、宮中の警護兵
を呼び出した。彼の号令に伴い、甲冑をつけた
屈強な兵士たちが宮殿内に散っていく。
そして数刻後、太子はとらわれの身となったのである。
「計画はあらわとなりました。太子、観念してください」
子産は手枷をはめられ、膝を折った太子に向けて
上から声をかけた。
太子は顔もあげない。
「私はこのことを公表し、正式に晋に抗議する
つもりです。そうすれば晋公の輿望よぼうは地に落ち、
天下の笑い者となりましょう。
あなたはその手助けをしたことになります。
現世のみならず、後世の物笑いの種となる
恥辱は耐え難いことでしょう。
よってここで死ぬことをお勧めします」
そう言って、子産は短剣を太子の前に放った。
「手枷をはめたままでも、ご自分の喉元を刺す
ことはできましょう」
しかし太子は首を左右に振った。
自害はしない、と言うのである。
「仕方ありません」
子産は左右の兵を呼び寄せ、太子の首を
斬り落とすよう命じた。
それはあたかも熟れ過ぎた果実を枝からもぎ
取るような、乾いた口調であった。
「始末するのだ」
命じられた兵は、まったく躊躇する様子も見せず
に太子の首を斬り落とした。
それは、あらかじめ定められた台本の通りに
行なわれた演劇のように、ほんの少しも乱れる
ことなく行なわれたものであった。
しかし、ごく僅かな変化はあった。
ことが済んだ際、子産の口の端がほんの少し
上がったのである。
これは、彼の計画どおりにことが運んだ証であった。
子仲と伍子胥は鄭をあとにした。太子を守りきれず、
最後には自らの手で葬り去った形となった。
彼らは、未来へ抱く希望すら持ち合わせていなかった。
どんな偉大な指導者も、 哲人も一人で人格を
形成した人はいません。
人は皆凡夫なり、と聖徳太子はいったそうですが、
人は皆、縁の中でしか生きられない、 その意味では
人は皆一様に凡夫です。
一篇の詩が思い出されます。
生きているということは、誰かに借りをつくること
生きているということは、その借りを返していくこと
誰かに借りたら、誰かに返そう
誰かにそうしてもらったように、誰かにそうしてあげよう
誰かと手をつなぐことは、その温もりを忘れないでいること
巡り合い、愛し合い、やがて別れのその時、
悔いのないように今日を明日を生きよう
人は一人では生きてゆけないから
誰でも一人では歩いてゆけないから
この詩は、永六輔さんが作詞し、中村八大さんが
作曲した「生きているということは」という歌の中の
言葉です。
「借り」というのは、「恩」と言いかえても
いいかもしれません。
恩を受け、その恩を返すことを「恩返し」と言います。
逆に、恩を受けながら、それをありがたいとも思わず、
その恩を返さない人を「恩知らず」と言います。
また、その人がどこに行ったかわからなくなったり、
すでに亡くなってしまったりして、恩を返せない
時があります。
そんな場合に、受けた恩を、受けた人にではなく、
別の人に返すことを「恩送り」と言います。
英語では「ペイ・フォワード(Pay it Forward)」と呼ばれ、
バトンリレーのように次々に、恩送りをしていくこと
を指します。
映画「ペイ・フォワード」で有名です。
映画では、先生の板書から始まります。
「幸せを連鎖せよ」と。…
「刻石流水(こくせきりゅうすい)」という言葉もあります。
受けた恩は石に刻み、自分が与えた恩は水に流す、
ということです。
受けた恩は絶対に忘れてはいけないが、
かけた恩(情け)は忘れてしまえ、と。
生きているということは、誰かから恩を受けている
ということ。…
どんな小さなご縁も大事にして…
恩を返し、恩を与える人でありたいと思います。