貧者の一灯 ブログ

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貧者の一灯・歴史への訪問

2022年06月24日 | 流れ雲のブログ















ある冬におきた火事は強い北風にあおられて、
百二十をこえる町が焼けてしまったのですが、
この大火事でも無事だった家がありました。

それは麻布(あざぶ)という町の山崎(やまざき)
という侍の屋敷で、まわりの家々が全部焼けて
しまったのに、この屋敷だけはどこも焼けず
にすみました。

これは、それにまつわるお話です。

ある夜、この屋敷の池に住んでいるカエルたちが、
屋敷の夜まわりにやってきた使用人を池に
引きずりこんで殺してしまいました。

この話を聞いた屋敷の主人が、大変怒って言いました。

「明日になったら、池のカエルを一匹残らず殺してしまえ!」
その夜、白い衣をまとった小さな太った老人が、
主人の夢枕に立ちました。

「われは、古くからこの池に住んでおるカエルの精だ。
池に引き込んでわれらが殺したあの男は、何も悪さ
をしていないカエルの子を踏み殺して数多くの
命をうばった。

われらカエルとて、子をおもう気持ちは人間と同じじゃ。
子をうばわれた親たちが、仕返しをしたまでじゃ。

しかしこの事で、お主は明日カエル狩りをするそうだな。
もしわれらの命を救ってくれたなら、火事の時は
われらカエルたちが力を合わせて、この屋敷
を守ってやろうぞ」

夢枕に立ったカエルの精は、そういって
消えていきました。

翌朝、目を覚ました屋敷の主人は、殺された使用人
がカエルの子を踏み殺していた事実を確認すると、
池のカエル狩りをやめることにしたのです。

それからしばらくして、あの大火事がおこったのです。

屋敷はちょうど風下なので、火の手から逃れる
方法がありません。

火は隣の屋敷を包み込んで、この屋敷が
燃え上がるのも時間の問題でした。

そのときです。

何百、何千というカエルたちが池の中から現れると、
お腹がぱんぱんになるまで水を吸いこんで、
屋敷に向かっていっせいに水を吹きつけたのです。

プシュー! プシュー! プシュー!

カエルたちは何度も何度も池の水を吸い、
繰返し繰返、屋敷に向かって水を吹きつけました。

すると真っ白な霧が屋敷を包んで、火は燃え移る
のを防いでくれました。

このとき広い池の水はほとんどなくなって、
底が見えていたそうです。

「おおっ、助かった、助かったぞ! 
カエルたちが、約束を守ってくれたぞ!」

カエルたちの活躍にすっかり感心した主人は、
それから池のカエルを大切にしました。

そのためにカエルの数はますます増え続けて、
屋敷はいつしか『麻布のカエル屋敷』と呼ばれる
ようになり、江戸の名所のひとつになったという事です。














欲しい情報はいつでもどこでも手に入る現代。
一方で、コミュニケーションを苦手と感じる人が
増えています。

自分の関心のない情報にも耳を傾け、
人間関係を温める、傾聴のコツ。…

1.《じっと我慢》


二つ話して、八つ聴く。このバランスを心得ていれば、
コミュニケーションは円滑になります。

ほとんどの人がしゃべりすぎ。
つい、話の途中で口をはさみたくなるものです。
じっと我慢をして聴くことから始めてみましょう。


2.《真意をくみ取る》
「聴」を分解すると「耳」「目」そして「心」。

人の話は耳だけでなくて「目」で相手の表情、
ジェスチャーを観察しながら、また「心」を動かし
ながら「本当はこの人は何を言いたのだろう」
と言葉になっていない部分があることを意識し、
相手を理解しようと努めること。

簡単ではありませんが、努力すれば真意も
くみ取れるようになります。


3.《感情を共にする》

話を聴くと、ついアドバイスしたり、
意見をはさみたくなるもの。
まずは受け容れましょう。

「自分を認めてくれている」
「わかってくれている」と感じると、
心が開き、 親しみを感じます。

目を見て「そうなんですね」
「いいですね」と相づちを打ちながらの
共感を心がけると、人はもっと話したくなるものです。

《「でもね」と人の話を遮るような、バランスの
悪い相づちは逆効果です。

感情を共にして、相手の呼吸に合わせて、
心のこもった相づちを打ちましょう。》


「陰徳陽報(いんとくようほう)」という言葉がある。

「陰徳あれば必ず陽報あり」といい、
人知れずよい行いをする(陰徳を積む)者には、
必ず陽報、すなわちよい報(むく)いがあるということ。

しかしながら、陽報を求めてする陰徳は
陰徳とは言わない。

こんな話がある。

1500年以上前のこと、達磨大師は王宮に招かれ、
国王である武帝から質問された。

「私はこれまでたくさんの寺院を建立したり、
寄進をしてきた。果たして私にはどんな功徳
(くどく)があるのか?」

達磨大師はひとこと「無功徳(功徳はない)」
と答えたという。

良い報いを期待して行う善行は善行とは
言わないからだ。

仏教には、お金がなくてもできる
「無財の七施(しちせ)」、という徳積みの
実践がある。

その中に…「眼施(げんせ)」(やさしい
まなざしで人に接する)

「和眼施(わがんせ)」(いつも和やかに、
穏やかな顔で人に接する)

「言辞施(ごんじせ)」(やさしい言葉で接する)

「心施(しんせ)」(自分以外のものために心を配る)
というものがある。

まさに、人の話を聴く「傾聴の姿勢」を
表したものだ。

傾聴の実践を重ねる人でありたい。