第二章:呉の興隆 ※ 死者を鞭打つ
※ 「城門を破り、入城せよ!」
呉王闔閭の力強い号令が下った。兵士たちが
門を突き破り、なだれ込むように城内に進入する。
また、城壁を乗り越えて内部へ入り込む部隊も
あり、楚軍を対応に苦慮させた。
「なかなかによい指揮官がいると見える。城門
周辺の守りだけに集中させないとは……」
申包胥は、守備軍の将として郢城防備の指揮
を執っていた。しかしその防備態勢はすでに崩
壊寸前である。
三万の呉軍に対し、もともと楚軍は二十万を擁
していた。
それが柏挙で十万を失い、続く五度の会戦で
二万ずつ失うことになり、いま包胥の手元に残っ
ている兵は、 五千に満たない。
この状況を言い表せば、戦う前に勝負はつい
ている、ということになろう。そのことは、彼自身
もわかっていたことであった。
そこで包胥が自らに課した任務は、宮中の人物
を城外に避難させ、財物を保護することであった。
できれば城内に住む民衆をも保護したいと思って
いた彼であったが、それはとても叶わぬことである。
民衆の底力を信じるしかない、と思う彼であった。
そしてもうひとつ、彼は自らに課した責務がある。
伍子胥と対決せねばならない。
包胥は、郢の宮殿にいる文官や宮女たちを
すべて避難させ終えると、部隊も解散させ、
すべて城外へ逃れるよう言い渡した。
そしてひとり宮殿の前に立ちはだかり、伍子胥
の到来を待った。
※
呉軍はすでに無人同様と化した城内を突き進み、
ついに宮殿に至った。しかし先頭を行く伍子胥
の前に、たったひとりの男が、まるで門番のように
立ちつくしている。
伍子胥には、それが既知の男であることが、すぐ
にわかった。
こみ上げてくる懐かしさ。あの川に面した茶店で
の会話。 「包胥……」 その呟きに頷き返すように、
包胥は伍子胥の目を見据えた。
「包胥よ。そこでなにをしている。……死ぬつもり
なのか」 伍子胥はたまりかねて聞く。
包胥が何を思っているのかがわからなかった。
「子胥。頼みがある。……この戦い、呉軍の勝利だ。
それは認めよう……だが、あえて私と勝負してほしい。
君と私の一対一でだ。聞き入れてくれるか?」
伍子胥の後ろに控えていた孫武が、背中越しに囁く。
「無駄なことはやめておけ。
まったく意味のない行為だ。戦略に何も寄与する
ところがない」 「…………」
伍子胥は即答しなかった。
「子胥どの!君が勝てばまだいいが、もし負けた
らどうするつもりだ! 君はこれからの呉には必要
な立場だぞ」
「わかっている。が、挑まれた以上は男として受け
るべきだ。たとえそれが戦略上、なんら寄与する
ところがないにしても……。
部下たちに手を出すなと伝えてくれ」
仕方なく孫武は指示を出し、部隊を後方に下げた。
いま、宮殿の前には包胥と子胥しかいない。
伍子胥は前に進み出た。
「いいだろう、包胥よ。お前の望み、叶えてやる。
だがその前に……聞くべきことがある。
楚王はどこにいるのか」
包胥は腰の剣を引き抜き、それに答えた。
「楚王はこの郢にはもういらっしゃらない、
とだけ答えておこう。
探し出すつもりなら、私を倒してからにするがいい」
「そうするしかないようだ」 伍子胥も剣を構えた。
やがてふたりは息を合わせたかのように、勢い
よく剣を交えた。乾いた金属音が宮殿の前庭に
こだまし、それを見守る孫武を始めとする呉軍
の兵士たちの耳に響いた。
始まった……。
孫武は、戦略には通じていたものの、このような
個人的武勇を発する場には立ち会ったためしも、
また自らがその主役を演じたこともない。
彼は、初めて戦場で緊張を感じた。
包胥も子胥も大柄な男である。そのふたりが体を
翻しながら、激しく剣を交えるのである。そして時
おり言葉を交わすのであった。
「楚王の居場所を言え!」 「言わぬ!」 などと、
ふたりは叫び合うのである。 このようなことは、
まったく無意味だ。国同士の戦争だというのに……。
孫武は腹立たしく思った。あるいは、ふたりの
雄々しさに嫉妬したのかもしれない。しかし、
彼がこれまで求めてきた戦争の主題は、戦わず
して相手を屈服させることであった。
このふたりは、それをまったく理解していない。
それどころか、個人的武勇に美学さえ感じて
いる……孫武は腹立たしさを感じたと同時に、
自分の説を理解しようとしなかった伍子胥に
落胆した。
そのような孫武の思いをよそに、ふたりの戦いは
延々と繰り広げられた。 「復讐は、諦めろ!
お前に楚王を見つけることは不可能だ!」
包胥は子胥を斬りつけながら叫んだ。
彼は、伍子胥が復讐を果たす前に、殺すつもり
であった。しかし子胥は、そう簡単に隙を見せない。
反撃しながら、彼は叫び返した。 「お前の思う
通りにはならない! もはや楚の命運は尽きたのだ」
繰り出した剣が包胥の喉元をかすめた。包胥は
身を翻してそれをかわし、返す一撃で伍子胥の
腹部を突こうとする。
そのときであった。 後方から呉王闔閭自らが率
いる部隊が宮殿に到着したのである。
「なにをしているのだ!」 闔閭は部隊を前進させ、
ふたりの決闘の場に乱入させた。
包胥は自らに課した任務を果たせず、やむなく
その場から逃亡した。 。 …
…
ストレスは身体によくない。
入院してから、わかりやすく身体に現れる。
胸の鼓動が激しくなり、脈が早まる。 そのたびに、
「怖い」と思う。 今度こそ心臓が止まるんじゃな
いか、と。
親切したがる人からもらうストレス
入院中、同室のおばさんの愚痴やらで多少
のストレスはあったけれど、一番きつかった
のは、「親切のつもりのアドバイス」メールだった。
私がSNSで病名を書かなかったのは、お見舞い
と称した親切のつもりの素人アドバイス、
いや、素人じゃなくても「こうしたほうがいい」
「これをやってはいけない」「私の知り合いが
同じ病名だから云々」みたいにあれしろこれ
やるな言われるのが嫌だったからだ。
毎日、主治医に診察してもらい、その指示に
したがって、薬も飲んでいる。
病院のベッドの上で、それ以上、何をすること
があるのかと、少し考えたらわかるものだけれど、
世の中には、なぜか私の主治医以上に私の
症状をわかった気になり「親切」したがる人たち
がいる。
憶測呼ぶからと「心不全」で入院ということは
ひとつ連載している媒体では伝えてもらった。
そしたらお見舞いメールが来た。
「お大事に」のお見舞いメールはいいけれど、
二通ほど、懸念していた内容のものがあった。
ひとつは私が「やっと自力でトイレいけるように
なった」「早く風呂入りたい」とtwitterでつぶ
やいているのを見て
「動きたくてたまらないようですが、その状態で
動いて死んだ人を何人も知っています!」と、
いう内容だ。
自力でトイレに行ったのは、もちろん主治医の
許可がでたからだ。そして風呂に入りたいとは
言っているけれど、願望を書いてるだけで我慢
してる。
それだけで、なんで「死んだ人を何人も知って
います」、つまりは「お前、死ぬぞ」という脅しを
されなきゃいけないのだ。
「死」という言葉を使われて、頭に血が登った。
しかも面識もない、知らない人に、何がわかると
いうんだろう。
ネット上では、ときどきこういう距離感のおかしな
人が何やら言ってくる。こちらを知った気になって、
一線を踏みこえてくる人が。 …
それ、オナニーアドバイスです
「死」という言葉を使われたことは、のちのちも
自分でも嫌になるくらい打撃を受けた。
死ぬぞ、と脅されている気がして、悔しさと不安
と怒りとで、「数値上がって病状悪化したら、これ
のせいだ」と思っていた。
そしてもう一通は、「花房さんは太ってるから、
食べ物気をつけましょう。〇〇とか〇〇食べる
といいですよ」というメールだ。
太ってるのは承知しているけれど、面識ない、
よく知らない人に対して、いきなり体形のことを
忠告する無神経さが理解できない。
それに私は現在進行形で病院で、栄養士さん
監修のバランスのいい食事をとり、退院後の
食事指導も受けていた。
親しい友人たちは、こんな「素人アドバイス」は、
絶対にしない。どういうことを言われたら嫌だとか、
病人に言っていいことと悪いことの区別がついて
るからだ。
結局のところ、こういった「無責任な素人アドバイス」
を平気で送りつけてくれる人は、私のことを心配し
ている気になって、そんな親切な自分に酔っている、
自分だけ気持ちがよくなっているだけだ。
きっと本人たちは、「親切のつもりなのに、何を
いうんだ。この女はひどい」と言うだろう。
でも、あなたたちのやってることは、オナニーです。
オナニーアドバイスです。
自分が気持ちよくなってるだけです。 オナニー
そのものは私は推進派だし、どんどんすればいい
けれど、他人を巻き込まないでください。
私はあなたたちの「親切な自分」に酔う道具に
されたくない。
「死」という言葉の暴力 たぶん、普段なら、こういう
メールも読み流していたし、ここまで頭に血は登ら
なかっただろう。
けれど、いつ退院できるかもはっきりせず、髪の毛
を洗っていなくて不快な状態で、不安でたまらない
けれど、
とりあえず知人などには「元気だ」と言い続けてきた
私の神経に、「死」という言葉を使った「アドバイス」
は、凶器だった。
「私の知り合いも心不全で~」とも言われたが、
お前の知り合いは私じゃない。同じ病名だって、
症状は人それぞれだ。
私は私を直接診察してくれてる主治医の言う
こと以外は聞きたくない。
「親切なつもりのオナニーアドバイス」は、入院中、
暴力でしかなかった。
やっぱり病名を親しい知人以外に早々に伝える
べきじゃなかったと後悔した。
とりあえず、SNSには書かなくて正解だった。
SNSに書いたら、もっと親切オナニーが好きな
連中の餌食になっていただろう。
世界を憎悪しかけたぐらい、怒りで湧きたった。
そのせいか、なかなか血圧が下がらず、さらに
憂鬱になった。
退院してから、子どもを産んだ経験がある女性
編集者にこの話をすると、「妊娠したとき、アド
バイス、すごくされました」と、言われた。
帝王切開は駄目だ、やっぱりお腹を痛めた子
だから我が子だという実感があるんだの、無痛
分娩なんて不自然だの、ミルクは子どもが可哀
そうだの母乳じゃないとあかんだの、ああしろこう
しろと、「経験者」たちから、怒涛のようにいろん
な「アドバイス」を受けるのだと。
確かに、妊婦さんは、私の比じゃないぐらい、
いろんなことを言われるだろうと思うと、心底
気の毒になった。
でも、「素人アドバイス」、きっと自分も今まで
やっていたとも思う。 言いたいことがあっても、
それは本当に相手のためなのか、考えてから
口に出すべきだと自分を戒めた。…