どんなに難産(なんざん)でも、このおばあさんの
手にかかればすぐに産まれるので、『中村の取り
上げばあさま』と呼ばれていました。
ある日の真夜中、おばあさんが寝ていると家の
戸を叩く者がいます。
ドンドン、ドンドンドン。
こんな時間に来るのは急産の取り上げに違い
ないと思い、おばあさんはすぐに支度(したく)
をすると外へ飛び出しました。
外には、使いの男がいて、 「こんなに遅くに
すまんが、一緒に来て下さい」 と、言いました。
「それは良いが、どこの家かいの?」
おばあさんが尋ねると男は、 「ずっと遠くです。
案内しますから、足元に気をつけてください」 と、
先に立ってどんどん歩いて行きました。
真暗闇(まっくらやみ)ですが、なぜか足元だけ
は明るいので、おばあさんは何とか転ばずに
歩けました。
そのうち波の音が聞こえて来たので、 (これは、
海の近くだな) と、思ったとたん、おばあさんは
気を失ってしまいました。
おばあさんが気がつくと、そこは金銀(きんぎん)
がキラキラと光り輝く龍宮城(りゅうぐうじょう)だっ
たのです。
おばあさんがびっくりしていると、龍宮城の主
の龍王(りゅうおう)が現れました。
「夜中に、遠い所をごくろうであった。そちに、
姫のお産のかいぞえを頼みたいのだ」
「お産?」 お産と聞いては、ジッとしていられません。
おばあさんがさっそく姫の部屋へ行くと、それは
ひどい難産(なんざん)で、姫の顔には血の気が
ありませんでした。
「よしよし、すぐに楽にしてやるからな」
おばあさんはさっそく仕度に取りかかり、それ
からすぐに玉の様な男の子が産まれました。
「おおっ、良くやってくれた。お礼に、何でもやろう」
龍王は大喜びで、おばあさんの前にお礼の金銀
サンゴを山の様に積み上げました。
けれど、おばあさんはそれを受取ろうとしません。
「どうした? 気に入らんのか?
・・・そちは一体、何が欲しいのじゃ?
何なりと取らせるゆえ、申してみるがよい」
龍王がそう言うと、おばあさんは恐る恐る
答えました。
「はい。実はわたくしの村にあまり雨が降らず、
田んぼのイネが枯れようとしています。どうか
龍王さまのお力で、雨を降らせてもらいたい
のです」
この村人を思う気持ちに感心して、龍王はその
願いを聞き入れました。
「それでは、今後はわしをまつって、豊年(ほうねん)
踊りを踊るがよい。さすれば大雨を降らせよう」
さて、それからおばあさんが龍宮城を去って
村に帰りつくと、いなくなったおばあさんを探し
て村中が大騒ぎでした。
おばあさんが訳を話して龍王との約束を伝え
ると、村人は大喜びです。
「これで、村は救われる!」
「取り上げばあさまは、ありがとう」
この時から村人たちは、このおばあさんの事
を『龍王ばあさま』と呼ぶようになりました。
そしてこの踊りが山口県に今に伝えられる、
楽踊り(がくおどり)の始まりだという事です。…
…
石川恭三氏の言葉
物事があまりにうまく運んでいると、こんなに良い
ことばかりが続くはずはない、そのうちにきっと何
か悪いことが起きるに違いないと不安になる。
それは長年の経験から、「禍福は糾える縄の如し」
であることが身にしみているので、
良いことの次にはきっと悪いことが起こるに違い
ないと覚悟して、今ではそれに対して身構える
ことがごく自然にできているからなのだと思う。
だが、若いころはそうではなかった。
大きな幸運が舞い込んできたときには、多分、
自分ではそんなつもりはなかったのだろうが、
人目もはばからずに欣喜雀躍(きんきじゃくやく)
して喜びをばら撒いていたに違いない。
そんなとき、周りの人たちは、はたして喜んで
くれていただろうか。
親族は別として、決してそうではなかっただろう。
中には喜んでくれた人はいたとは思うがそのよう
な人はごく稀で、ほとんどの人は表面では喜ん
でくれているように振る舞いながらも、内心は
羨望や妬(ねた)みの感情が渦巻いていたに
違いない。
このような人情の機微を実感するようになった
のは、もう人から羨(うらや)まれるような出来事
など起こるはずもない、人生の最盛期を越した
ずっとあとになってからだった。
座右の銘の一つに「得意冷然、失意泰然」がある。
これは、得意の絶頂にあるときは、有頂天になら
ずに何事もなかったように平然と構え、失意の
どん底にあるときは、落ち着いて、物事に動じ
ないようにすることをいうのだが、
実際にそうすることは容易ではない。
これに従って心の容(かたち)を整えようと真摯
に立ち向かったことが何度かあった。
それは、濁流に呑み込まれて今まさに押し流され
そうになったとき、岸辺の木から張り出している
一本の小枝に手が届き、それに必死になっ て
しがみつき、辛うじて一命をとりとめることができた
ようなものだったと思う。
とんとん拍子に出世の階段を上っていた人が、
ごく些細な出来事につまずいて階段から転げ
落ちることがある。
その些細な出来事は、身から出たサビともいえ
るようなことがほとんどで、ちょっと注意していた
ら避けられたのではないかと思われる。
政界で飛ぶ鳥落とす勢いの人が、失言や政治
資金規正法違反や収賄やさまざまな金銭的トラ
ブルなどで、あっという間に失脚することが今
ではそれほどめずらしいことではなくなっている。
そこまでの高みに到達するまでには、非凡な
才能と努力に加えて、数々の幸運に恵まれて
いたのだろう。
だが、往々にして幸運の足元は暗く、そこには
しばしば大きな落とし穴が仕掛けられている。
謙虚な気持ちで注意を怠らなければ、そんな
落とし穴などすぐに見つけて避けて通ることが
できるのだが、幸運に酔った目にはそれが
見えないのであろう。
※
安岡正篤師は「六然(りくぜん)」についてこう
語っている。
自処超然(じしょちょうぜん) 「自ら処すること超然」
自分が対処するにあたって、何事にも捕らわれず
にいること。執着しないこと。
処人藹然(しょじんあいぜん) 「人に処するに藹然 」
人に対しては、春の風の吹くように、ほのぼのと
した気持ちで、なごやかに付き合うこと。ほっこり
とした気持ちで。
有事斬然(ゆうじざんぜん) 「有事には斬然」
何か事件の起きた時、事あるときには、グズ
グスせず決然として断行する。
無事澄然(ぶじちょうぜん) 「無事には澄然」
事なきときは水のように澄みきった気持ちでいる。
得意澹然 (とくいたんぜん) 「得意には澹然」
物事がうまくいっている得意の時は淡々とし
ている。偉そうにならず、謙虚で飄々(ひょうひょう)
としている。
失意泰然(しついたいぜん) 「失意には泰然」
失意の時はどっしりと落ち着いている。泰然
自若としている。
「禍福は糾える縄の如し」と同義の言葉に、
「人間万事塞翁(さいおう)が馬」(淮南子)がある。
一見すると不運に思えたことが、のちに幸運に
つながり、逆に幸運だと思ったことが、不運の
始まりだったというようなことだ。
だからこそ、「 無事澄然」であり、「得意澹然」
「失意泰然」の気持ちが大事だということ。
そして、もう一つ、「幸福三説」という幸田露伴
の言葉がある。
幸福三説とは、
「惜福(せきふく)」
「分福(ぶんぷく)」
「植福(しょくふく)」の三つの福のこと。
惜福とは、福を全部使ってしまわずに惜しむこと。
人気絶頂の俳優が、まだあと何十年と活躍でき
るにもかかわらず、惜しまれながら引退する、と
いうようなこと。
分福とは、人に福を分けること。
植福とは、子孫や未来の子供たちのために、
福を植えておくこと。
福が連続して続くことはない。
だからこそ、この「幸福三説」が必要となる。