むかしむかし、あるところに、息子に先立たれて
一人ぼっちになったおばあさんがいました。
おばあさんの家の裏には穴があって、一匹の
古ダヌキが住みついています。
タヌキは人間にあこがれていて、拾った数珠を
首にかけると、毎日かかさず神さまに祈ってい
ました。
(神さま。あっしを人間にしてください。
この願いが叶うのなら、どんな事でもしますので)
ある日の事、おばあさんの家に首から数珠をさげ
た友助と名乗る若い庭師がやって来て、庭の手
入れをしてやると言いました。
年を取って庭の手入れが出来ないおばあさん
は、大喜びです。
「友助さん、ありがとう。これは、庭の手入れの
お代金です」
おばあさんがお金を渡そうとすると、友助は言い
ました。
「いえいえ、お代をいただこうとは思いません。
お婆さんには、いつもよくしてもらっていますから」
友助は一生懸命に庭の草むしりや木の枝を刈っ
て、庭をすっかりきれいにしてくれました。
「友助さん、おかげで庭がきれいになりましたよ。
でも、どうしてこんなにも親切にしてくれるんだい?」
おばあさんが不思議そうにたずねると、友助は
言いました。 「実は、あっしは裏庭の穴に住まわ
せてもらっているタヌキでございます」
「えっ、タヌキ? とてもタヌキには見えませんよ」
「では、証拠を見せましょう」
友助は自分の手に墨をぬって、紙にぺたんと手形
を取りました。 すると不思議な事に、友助の手は
ちゃんとした人間の手なのに、紙についた手形は
タヌキの足の形をしているのです。
「まあ、本当に裏庭のタヌキかい。でも、タヌキでも
話し相手が出来てうれしいよ」 おばあさんは喜んで、
それから毎晩そばがきとお餅を用意して、友助タヌキ
が来るのを待つようになりました。
友助タヌキもおばあさんが喜ぶのがうれしくて、
毎晩やってくると動物たちから聞いたおもしろい
話をおばあさん聞かせてあげました。
さて、初午(はつうま→二月の初の午の日で、全国
で稲荷社を祭る日)のお祭りの日、おばあさんは
小豆のかゆをたくさん炊いて友助タヌキが来るの
を待っていました。
ところがいつまでたっても、友助タヌキは現れません。
真夜中になってやっと現れましたが、友助タヌキは
ひどく落ちつかない様子です。
「友助さん、どうかしたのかい? 何か心配事でも?」
おばあさんがわけをたずねると、友助タヌキは悲し
そうな顔で言いました。
「実は、もうすぐわたしは鉄砲で撃たれます。
玉は急所をそれて命は助かりますが、そのすぐあと
に落とし穴へ落ちるでしょう。 でも、それで死ぬわけ
ではありません。
穴からもすぐに出られますが、そのままオオカミの
いる森に迷い込み、逃げ回っているうちに罠に
かかます。
あっしの命は、それまででございます」
「友助さん。 そこまでわかっているのなら、ずっと
家にいればいいじゃないの。
家にいれば猟師に見つからないし、鉄砲玉にも
当たらないし、落とし穴にも落ちないし、オオカミ
の森にも迷わないし、罠にかかる事もないのだから」
おばあさんはそう言って友助タヌキを引きとめまし
たが、友助は悲しげに笑いながら言いました。
「いいえ。こいつは、あっしが人間に変わる事が出
来た代償なのですよ。 神さまに、そう約束したのです。
だからどこへ隠れても、結局は死ぬことになるでしょう。
・・・それよりおばあさん、今夜はあっしが一世一代
の大化けをやってお見せしましょう」
その夜、友助タヌキは持っている全ての力を使っ
て、大むかしの合戦の様子をおばあさんに見せて
くれました。
そうして朝になると友助タヌキはどこへともなく姿を
消して、二度と帰って来ませんでした。
それからしばらくして、猟師がタヌキの毛皮を売り
に来ました。
そのタヌキの首には、あの数珠がさがっています。
「ああ、これは友助さんだよ」
おばあさんは猟師からタヌキの毛皮を買い取って、
茂森山の観音さまでお経を読んでもらいました。
そして友助タヌキが再び人間として生まれ変わ
れる様に、心から祈りました。…
…
私たちの体というものは、老化しても遺伝子そのも
のは基本的に歳をとりません。
歳をとると体が弱って病気がちになると言われます
が、それは遺伝子が老化したからではないのです。
そもそも、私たちの体では、遺伝子情報に書かれ
ていないことは起こりません。
つまり、病気という現象も遺伝子が引き起こしてい
るのです。
もちろん、そこには環境因子も関係していますが、
99・5%同じ遺伝子を持っている人間同士でも、同じ
環境にいて病気になる人とならない人がいます。
それは、病気を引き起こす遺伝子がオンになって
いるか、オフになっているかの違いなのです。
遺伝子のオン/オフは、その人の生き方、考え方
が大きく影響していると考えられています。
日本人の死因の上位を占める「がん」も、ステージ
が末期に進んでからでも、生きる力を取り戻せる人
とそうでない人がいます。
そこでは「気の持ち方」を含めた生き方や考え方に
よって、遺伝子のオン/オフが どのように働くかが
大事になってくるわけです。
つまり「病は気から」という言葉は、まさに真実なの
です。このことに関して、象徴的な例を紹介しましょう。
ある不眠症の男性が、医師から睡眠薬を処方され
ました。 そこで医師から、「この薬は一回に5錠ま
でです。それ以上一度に服用すると、体の調子を
崩します」という指示を受けました。
しかし、この男性はあるとき50錠もの睡眠薬を一度
に飲んでしまったのです。
すると、やはり体調をくずし、あまりの苦しさで意識
朦朧としながら救急車を呼び、通院していた病院に
運ばれました。
そして、手当を受けていると、担当医がやってきて
こう言ったのです。
「○○さん、じつは、あの薬の指示は私の間違い
でした。あれは何錠飲んでも体には負担になり
ません」
その言葉を聞いた男性は、びっくりして、とたんに
元気を取り戻し、そのまま歩いて帰ったというのです。
自分はもうダメだ、と思ったら本当にその通りに具合
が悪くなる。 自分は大丈夫だと思ったら、なぜか
具合がよくなる。
「病は気から」というのは“気のせい”ではありません。
実際に自分が事実をどう受け取るか、どう感じる
かによって、病気の遺伝子をオン/オフしている
のです。
また、日頃から何かにつけて「自分はダメだ」と自分
に対して否定的な生き方、考え方をしていると、いい
働きをする遺伝子がオフになり、病気の遺伝子が
オンになってしまいます。
それは本当にもったいないことです。 思い込みでも
いいので、「自分は大丈夫」「生 きているだけで丸儲
け」とバカになって信じてみてください。
それだけでも、きっと自分の内側から元気になって
いくのを感じられるはずです。
※…
アメリカの有名なジャーナリストのノーマン・カズンズ
氏の興味深い話がある。
『あるパーキンソン病患者は薬だと言ってプラシーボ
を与えられたが、この結果ふるえが著しく減った。
そのプラシーボ効果が薄れてきた時、今度は同じ
物質をこっそり牛乳に入れて飲ませたが、ふるえは
再発したという。
また、ある患者の集団に抗ヒスタミンの代わりにプラシ
ーボを与えたところ、その77.4パーセントは抗ヒスタ
ミン剤の特徴である眠気を訴えた。
何年か前、アフリカのシュヴァイツァー病院の晩餐
の席で、私は何気なしに、現地の住民たちはシュ
ヴァイツァー病院があるお陰で、呪術医(じゅじゅ
つい)の超自然信仰に頼らずとも済む、幸運なこと
だと口走った。
するとその翌日、シュヴァイツァー博士はわたしを
近所のジャングルの中の空き地へ連れて行って、
「私の同業者の一人」と言って、年老いた呪術医
を私に紹介した。
「私の常得意の中には呪術医がよこしてくれた人
たちがいるんでね。だから私は呪術医の悪口は
決して言わないことにしている」と言った。
そして、さらにこう言った。 「アフリカの呪術医が
治療に成功するのは、同業のわたしたちすべて
が成功するのと同じ理由によるのですよ。
どの患者も自分の中に自分自身の医者を持って
いる。 患者たちはその真実を知らずに私たちの
ところにやって来る。
わたしたちがその各人の中に住んでいる医者を
首尾よく働かせることができたら、めでたし、めで
たしなんです」』(笑いと治癒力)より ノ
ーマン・カズンズは不治に近い難病を文字どおり
「笑い」によって克服した人だ。
人間の自然治癒力の可能性を取材し、笑いと
ユーモア、生への意欲が奇蹟をおこすことを
実証した。
その不思議な自然治癒力の中に、プラシーボが
ある。 プラシーボは偽薬(ぎやく)のことだが、治療
薬と外見は同じになっているが、薬の薬効成分は
全く入っていない。
これは、有名なソムリエが、「これは高級なワインで、
とても美味しい」というと、ほとんどの人は、美味しい
と感じるのと同じだ。
目隠しテストをしたら、高級ワインを当てられる人は
少ないという現実もある。
ことほどさように、人間の感覚はあてにならない。
権威ある人のひと言で、ころっとだまされてしま
うからだ。
だからこそ、自分の自信ある肯定的な言葉が大事
になってくる。
たとえば… 「私は優秀なリーダーだ」 「私は多くの
人の声に耳を傾け、まわりから尊敬される」 「私は
ビジネスで大成功し、一生理想を実現するための
資金は十分にある」 「私はとてつもなく健康な体を
持っている」
「病は気から」という言葉を胸に刻みたい。