貧者の一灯 ブログ

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貧者の一灯・一考編

2023年01月14日 | 貧者の一灯


















マツコ・デラックスやはるな愛など、LGBTの
タレントは今やメディアでは欠かせない存在。

その道を切り開いたパイオニアが、カルーセル
麻紀さんだ。

15歳で家出、ゲイバーへ

1942年、北海道釧路市で会社員の父親と家庭
的な母の次男として生まれる。

太平洋戦争へと突入して約1年が過ぎるころだった。
「2歳半で終戦を迎えたので、戦争の記憶はあり
ません。子ども心に覚えているのは、貧乏だった
ことぐらい。

なにしろ4男5女の子どもがいる大家族でしたから。
父は“アメリカと徹底的に戦える男になれ、男に
徹する男になれ”という願いを込めて、“徹男”と
名づけたようです」 

しかし、厳格な父親の教育方針とは裏腹に物心
ついたときには“女の子”だった。

「野球より、お人形遊びのほうが断然好きでした。
時代劇ごっこではいつも女役。母の着物を引っ
ぱり出して口紅を塗り、姿見の前でうっとりと自分
を眺めたり踊ったりしました。

自分がきれいであることが何より好きでしたね」

そんな自己愛の強い性格を早くから見抜いた
父は「この化け物!」と大声で怒鳴り、容赦なく
ゲンコツで殴った。

「典型的な明治の男でしたから、私の行動が
理解できなかったんでしょうね」

小学生のころのあだ名は「なりかけ」。「おんなに
なりかけているから」というのが由来だった。

中学生になると、今度は「おとこおんな」と呼ば
れるようになったという。

「イヤだったけど気にしないようにしていたわ。
言いたいやつには言わしとけばいいって。

イジメられると、幼なじみだった番長に仕返しし
てもらったの。彼はケンカも強くてイイ男だったわ。
いま考えると情婦気取りよね」

14歳のとき、その番長が家に泊まりがけで遊び
にきた夜、彼に口づけをされた。

「それからお互いの身体に触れ合ったの。お医
者さんごっこの延長みたいなものだったけど、
初体験の淡い思い出よ」

やがて自分の恋愛対象が男性で、「おとこおんな」
であることに悩みを抱くようになる。

そんなとき三島由紀夫の『禁色』を読み、“麗し
のゲイボーイ”として一世を風靡していた美輪
明宏の存在を知り、衝撃を受けた。

「こういう世界があるんだ!って。世の中で自分
だけだと思っていたから。ああ、もう私の行く道は
これしかないわと思ったのね」

麻紀さんは15歳で高校を中退し、アルバイトで
稼いだお金を元手に家出をする。

東京を目指した列車の中で車掌に家出がバレて
札幌で飛び降り、『ベラミ』というゲイバーで働き
始めた。

「着いたその日から店に出て、お酒も飲んでショ
ータイムでダンスも踊ったの。中学生のころから
父の日本酒を飲んでいたし、漁港の船員さんたち
に可愛がられて、船の中でいろんなステップを教
わっていたから、

マンボやジルバ、タンゴも踊れたのよ。

住み込みで下働きをしながら、この世界の礼儀
や接客、それに男の騙し方、悦ばせ方まで、
徹底して仕込んでもらったわ」  

その後、全国各地のゲイバーを転々としたのち、
17歳で上京、銀座の『青江』で働くことになる。

前述の吉野さんが当時の麻紀さんやゲイバーの
様子を話してくれた。

「麻紀は女の子みたいで、とてもきれいだった。
ゲイバーは上下関係が厳しかったけど、礼儀正
しかったから、青江のママにも大事にされていたわ。

そのころ、東京のゲイボーイはみんな短髪で着流
し姿だったの。街角に立ってるような連中が女装
していたからね」  

そうした男娼への蔑称が“オカマ”という言葉だっ
たのだとか。

麻紀さんは腰まであった髪をバッサリ切った。
とっさに名乗った牧田徹という名前から「マキ」
と源氏名がつく。

『青江』に集まる財界人らから粋な遊びや知らな
い世界を教わった。

恋愛ざたなどが原因で転居を繰り返し、19歳で
大阪に流れ着く

。キャバレーのような大型店『カルーゼル』で働いた。
そして、フランスの女優、ブリジット・バルドーを模し
て髪を金髪に染め、女性ホルモンを打って胸の膨
らみとしなやかな身体を手に入れた。

「最初は女としておしとやかに接客するんだけど、
酔うとつい男言葉でベラベラしゃべりまくる癖があ
ったの」  興が乗ると披露するストリップショーもウケ、
「ブロンドヘアの面白い子」と評判になった。  

やがて店に出入りする芸能関係者からも贔屓に
され、大阪OSミュージックホールでヌードダンサー
として初舞台を踏む。

“カルーゼルで働く麻紀”だから“カルーセル麻紀”
と芸名がつけられた。  

一流のダンサーしか踊ることが許されない東京の
日劇ミュージックホールにも出演。  

日本テレビの深夜番組『11PM』をきっかけにレギュ
ラー番組を抱える売れっ子となった。歌手や女優と
しても活躍し、『プレイガール』シリーズや映画『道頓
堀川』でも好演している。

「27歳のとき、関口宏さんたちの演劇グループ“
いもの群”の『いただいちゃってゴメンネ!』に
出していただいて、私のセリフでお客さんが泣いた
り笑ったりするのを見て感動したの。

それから芝居の魅力に取りつかれて、アングラ
劇場や前衛的な芝居小屋にも出演したわ。

渋谷のジァン・ジァンで公演した『ゲバラ一九七一 
東京』は思い出の作品よ」  

活動の合間に銀座のクラブでホステスとして働き、
作家の山口洋子が経営する『姫』に在籍していた
こともある。

「シーンとしてる席があると、なにこれお通夜なの? 
おい、ドンペリ持ってこ~い! って。それだけで
わ~っと盛り上がって、一発でしたよ(笑)」

性転換手術でモロッコに渡航  

30歳のときモロッコへ渡り、性転換手術を受けた。
すでに19歳で睾丸を摘出する去勢手術を闇医
者から受けていたが、

パリのクラブ歌手、コクシネルがモロッコで性転換
手術を受けて男性から女性に生まれ変わったと
いうニュースを知り、自分も完全な女性の身体を
手に入れたいとの思いを募らせていたのだ。

「女になって愛される歓びを味わいたいという欲望
はもちろんあったけど、それ以上に完璧な美で
ストリップショーをしてお客さんたちを喜ばせたい
という気持ちが強くなったの。  

ちょうどパリに青江の姉妹店をオープンするので、
ママをやらないかって話があって、二つ返事でOK
したわ。もちろん目的は性転換手術!」  

'72年4月にはパリで働きはじめ、10月には性転換
手術のためにモロッコへ渡った。  

青江の同期で、赤坂のゲイバー『ニュー春』を
経営する春駒こと原田啓二さん(78)が当時を
振り返る。

続く(中編)










人間の心というものは不思議なものである。

この社会には「所有権」というのがあり、人の持っ
ているものは人のもので、自分のものではないこ
とはよく分かっている。  

そんなに大げさなことを言わなくても、電車にのっ
て先に座っている人を無理矢理、立たせて自分
が座ることはできない。

どんなに簡単なものでも、早者がちということは
ある。  「ひとのものは人のもの」、「自分のものは
自分のもの」である。

あまりにも当たり前だが、それが本当に判っていな
いので、苦しく人がいる。自分で原因をつくって自
分で悩んでしまうのだ。  

学生では「人のレポートを写す」とか、もっと悪い
例では「カンニングをする」というのがある。

レポートにしても試験にしても「自分の頭にあるも
のは自分のもの、他人の頭は他人のもの」という
ことが判っていれば、レポートを写したり、カンニ
ングしたりはしないはずだ。  

どうせ、自分は自分の力でしか生きていけない、
だからレポートが良い点でも悪い点でもそれは
仕方がない、という覚悟さえあれば良いのだ。  

この世で「自分の力の範囲で生きよう!」と決意
して、飢え死ぬ人はいるだろうか?

おそらくその人の能力という点では皆無だろう。
病気になり、その時、偶然の他のことが起こって
苦しく人はいるだろうが、ある程度の健康を保てば、
今の日本で餓死する可能性は低い。  

それならなぜ「人のものは人のもの」と思えない
のだろうか? 学生ばかりではない。額に汗して
コツコツと働き、それで収入をえて生活をすれば
心も満足するし、気持ちがよい。

どんなに小さなお風呂でも額に汗して働いた汗を
流すお風呂は気持ちがよい。  

でも、守屋前防衛庁次官という教育もあり地位も
高く、お金もあるのにゴルフをせびる。

「自分のお金でできればやり、できなければやら
ない」というほどの覚悟もつかないのだ。  

私が自分の人生を振り返ったり、また他人の行動
を見ていると、「自分の力の範囲ではなく、なんと
か他人のものを拝借して、少しでも良い生活をし
よう」と思うと、不幸になる。  

不幸のなり方は二つあって、

一つが守屋次官のように逮捕されたり会社を首に
なったりする例だが、普通は違う。

人間の心は案外、まっすぐだから「他人のものを
拝借する」となんとなく後ろめたく、気持ち悪いのだ。
それが積もり積もって不幸になる。    

そして私たちの悩みのほとんどは「他人」に期待
するからだ。「自分」だけでできること、それを精
一杯やって、「結果は仕方がない。神様におまか
せして運命をまとう」と思えば、何でも気軽になる。  

精一杯、受験勉強をしたら、合格するか落第する
かは相手の決めることだ。自分がやるべきことは
やった。

一所懸命、彼女に尽くせば、彼女が応じてくれる
かは彼女次第だ。自分はやるべきことをやった。

ああ、頑張った。あとはお客さんが買ってくれる
かどうかだ。それはお客さんが決める。  

そう、今日も朝から自分としてはこれで精一杯
だった。だから、運を天に任せてお風呂に入ろう。

そして、寝て明日起きて、もしうまく行かなかったら、
それでもともとだ。  

実は、「自分の悩み」の多くは「自分の創造物」
である。自分でできないことを何とか他人の力
もかりてと思うと悩みは深くなる。 …