厚生労働省が2018年に公表した「国民健康・栄養
調査」より、成人女性の21.1%が「高コレステロール」
状態にあることが分かりました。
コレステロール値が高いと健康に悪影響を及ぼし
ますが、その一つとして、胆石の原因になる可能
性もあるとのこと。…
※…元気印の私に訪れた地獄の苦しみ。
前日まで元気だったのに ある日曜日の午後、突然
腹痛に襲われた。今までに経験したことのない激痛
だった。
七転八倒とはこのことか。脂汗がじっとり出てくる。
前日の土曜日、私は地元で行われた『NHKのど
自慢』の予選に出場していた。
残念ながら本選に進むことは叶わず、悔しい思い
で本放送を見ていたのだが、そんな感慨もどこか
へとんでいった。
とにかく息ができなくなるほどの痛み。昼食は野菜
中心の和食だったし、昨晩食べたラーメンが悪さ
をしているとも思いがたい。
頭をかすめたのが、胆石の影響。
5年前の健康診断のとき、胆に石が数個あると指
摘されていたのだ。だが今まで病院に行くことも
なく、1年前の健康診断では「要治療」にもなら
なかった。
床を這って移動し痛み止めを探すが、薬箱には
風邪薬しかない。大変な病気なのではという不安、
ひとり暮らしの孤独が襲いかかってくる。
背中、腹部をマッサージしながら楽な姿勢を模索
していると、なんとなく呼吸が楽に。つけっぱなし
のテレビを見れば、なんと2時間も経過していた。
子どものころは病弱だったが、成長とともに健康に
なっていった私。
高校卒業後働きはじめたが、具体的に何かをした
記憶はない。それなのに、気がつけば社内の
「健康保険を使わない人ランキング」で一、二を
争っていた。
病院嫌いだったこともあり、出産以外では病院に
行くこともなかった。友人からは「病気の人の気持
ちがわからないでしょう」「健康だけがあなたの取り
柄」と言われたことも。
50歳近くなっても、メタボや肥満は他人事。
昨年の健康診断は、周囲の人たちも羨む結果
だったのに。健康には自信を持っていただけに、
大きなショックを受けた。
夕方には痛みもおさまったので、翌日、当初から
予定していた健康診断に。
次の日、診断先から「血液検査の数値が大変な
状況なので、即、精密検査に行くように」と緊急
連絡があった。
教えられた数値を1年前の診断結果と照合して
びっくり。大幅に上昇している。その夜は恐怖で
寝た気がしなかった。
次の日、紹介された病院へ。前日教えられた数値
を医師に伝えると、即入院の指示が出た。
私は「用意をするために一度家に戻りたい」と主張
したが、医師は「とんでもない! 必要なものは、
家の人に持ってきてもらうか、病院の売店で買い
なさい」と。車椅子の用意もされた。
歩くのも駄目なほど悪い状況なのか。頭が真っ白
になった。 なんとか義妹と友人に電話で病院名だ
け伝えた気がする。
間もなく義妹と友人が駆けつけてくれた。
勤務先と長男の携帯電話にも一報を入れる。
次男は遠方在住なので、連絡しないことにした。
なぜ今なの? 長男の嫁は第一子の出産を控え
ている。義妹は母の介護で手一杯なのに……。
精密検査の結果、医師から「胆のうは石だらけ。
機能していません。切除をすすめます」と告げられた。
その場にいた長男も「後々のことを考えると切除が
いいのかも」との意見。
医師より手術のリスクの説明もあったが、私は胆のう
を切ることに決めた。手術は予定通り終了。
しばらくして担当医が来て、取り出した胆石をプレ
ゼントしてくれた。こんなにたくさん取れるのも珍し
いらしい。
退院時、友人が自宅まで送ってくれた。周囲の
人たちに言い尽くせないほど助けてもらって感謝
いっぱい。健康なときには想像もしなかった。
※… クヨクヨするか笑って過ごすか
体調も徐々に回復し、1ヵ月ほど経過したある日、
再度激痛が襲ってきた。
手術前と同じ腹痛だ。かかりつけのクリニックに駆け
込むと、医師曰く「手術後の癒着かも」。とりあえず
痛み止めの点滴で様子を見ることになった。
帰宅しても痛みはおさまらず、タクシーで手術した
病院へ向かう。
今度は胆管に石が詰まっていたことが判明。
石はすでに胆管の外に排出されていたのだが、
血液やほかの臓器に影響を与えていたので、
治療のため入院することになった。
追い打ちをかけるように、長男の嫁が出産予定日
よりも3週間早く入院したとの一報が。
こんな大変なときに私は何も力になれない。
予定日が早まったのは、もしかして私が心配をか
けたから?罪悪感に苛まれて、病室を出たり入っ
たり、談話室で携帯をじっと眺めたりと落ち着かない。
そんなとき、入院中だと思われる人から、「何か
心配なの?」と声をかけられた。事情を話すと、
「あなたが早く元気になることが一番。
出産は専門家にまかせましょう」と。少し気持ちが
楽になった。 その日の午後3時過ぎ、長男から
孫誕生の報告が届く。
嬉し涙が流れ、病気もどこかへ行ってしまったか
のよう。孫の顔が見たい一心で、回復が早まった
のかもしれない。
5日目には退院し、孫に会いにいった。
よく「孫は子どもよりも可愛い」と言うけれど、本当
に可愛い。この子の成長を見るために、病気に
なんか負けられないとむくむくと意欲が湧いてきた。
それから2年。なんとか健康を保っている。ただ、
体が下り坂に入っていることは間違いない事実。
いつ何時まさかの事態にぶつかるかわからない。
そのときのことを心配して、クヨクヨするか、笑って
過ごすのか。
私は腹痛の恐怖や病気の不安にとらわれたときは、
孫の成長や趣味など楽しいことを考えて、負の感情
を打ち消している。
笑顔で過ごせば、周りの人にも喜んでもらえるし、
「笑う門には福来たる」で病気も逃げ出してくれる
のでは、と思っているから。…
私は、友達に酷い事をしたことがあります。
勿論、傷つけたくて苦しめたくてそんなことをした
わけではありません。
でもそれは、酷く彼女を傷つけてしまったとずっと
私の胸は痛かったのです。
高校生の頃、遠足へ行くためのグループ決めが
ありました。自由に決めて良いと言われたグループ
だったので、いつもの仲良し4人組でグループを
組みました。
ある子が目立ちます。 彼女は、特に嫌われている
訳でもなく、いじめられている訳でもありません。
クラスのみんなとは普通にお話をしています。
きっと気の合う友達がいなかったのだと思います。
彼女に決まったグループはありませんでした。
なんだか困っている様子だった彼女を見て、私は
「一緒に行かん?」と声を掛けました。
その時の私は、この言葉が彼女を傷つけるなんて
微塵も考えていませんでした。
私も話したことはあるし、通学でバスが被ればクラス
まで一緒に行くぐらいには話せる仲だったので、
何も問題はないと思っていました。
彼女は、「いいの!?ありがとう」と嬉しそうに応え、
無事に私たち仲良し4人組と彼女の5人で遠足の
グループを組むことにその時は決まりました。
その後の放課後、いつも仲良し4人組の中でも
特段仲が良かった一人に私は呼ばれました。
「あやみん、勝手に相談もなしに人いれないでよ」
「え?」私はそれ以上言葉が出ませんでした。
私は、何も問題がないと思っていたけれど、友達
には嫌なことでした。
私は、戸惑いつつ「ごめん」と言うしかありません
でした。 その日から、私は友達との関係がよく分
からなくなりました。
勝手にグループに人を入れてしまった私が悪い
のか、でも、一人で困っていた彼女をほおって
おけなかった。
そんなことが頭の中をグルグルと回りました。
あまりにも私の様子がおかしかったのだろうと
思います。…
彼女は、遠足に来ませんでした。
担任の先生からは、体調不良だと伝えられ、
私は、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
遠足が終わってから、仲良し4人組を私は抜け
ました。分からなかったからです。
困っていた彼女にも、なんと声をかければ良いか
分からず、会ったら話す程度の関係になってしま
いました。
今でも、あの時私はどうすれば良かったのか答え
は出ていません。
月日はあっという間に流れ、私も就職する年に
なりました。晴れて教員採用試験に合格したこと
を伝えるために、高校時代の恩師に会いに行き
ました。
遠足の時の担任の先生は、恩師です。
私は、遠足の話を恩師にしました。すると、
「あの子は下野さんに感謝していた。
気が強そうだけど、周りを見ていて、困っている
人を絶対に見捨てないのはあのクラスで下野さん
だけです。
でも、下野さんが困っているから、私が行かない方
がいいから休みますと事前に私に言ってきた」と。
勿論、先生は説得したそうですが、当日の体調
不良が本当なのかは今でも有耶無耶だそうです。
その話を聞いた時、私は涙が止まりませんでした。
私の胸に深く深く刺さった棘が抜けた瞬間でした。
ずっと痛かった、
ずっと「ごめんなさい」と思っていた。私のせいで
あの子は遠足に行けなかったと今でもやっぱり
「ごめんね」の気持ちは、拭いきれません。
いつか彼女に会ったら言いたい言葉があります。
「もう一度友達になってください」。
虫が良すぎる言葉かもしれません。でも、また
友達になりたいのです。
絡まった糸をまた紡ぎたいのです。
author:志賀内泰弘(ちょっといい話)