貧者の一灯 ブログ

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貧者の一灯・妄想物語

2023年01月15日 | 貧者の一灯

















これは、私が仕事を始めて2年が経った時の
事です。

私の職場には早番と遅番が1週間交代であり、
遅番だと帰りが夜の11時過ぎと遅くなっていました。

ある日の遅番の帰り際、車に乗りこんでスマホを
触っていたら、ふと会社の施錠をしたか気になっ
たので確認しに戻ります。

車を出てから会社の鍵を確認し、また車へ戻り
ます。その間数秒です。

さて帰ろうかとエンジンをかけた瞬間、後部座席
の下から男性が現れ、私の口を手で塞いできました。

「静かにしたら殺さない。」

恐怖のあまり声をあげることも出来ず、何が起こ
ったのか分からずで頭が真っ白になり、私はパニ
ックになってしまいました。

とりあえず言う事を聞いて頷き、相手の顔を見ると
… それは同じ会社の違う部署で働く男性でした。

驚いた私は 「H(仮名)さん?何で?」 と声を上げ
ます。だって大した面識も会話も無い男性でした
から。

するとHさんは言います。 「君がこの会社に来てか
らずっと気になっていたんだ。」 「今すぐオレのもの
にならないと、ここで殺す。」

私は怖くて要求を飲む事しか出来ず「わかりました」
と震えながら返しました。

するとHさんは車の助手席に入ってきてシートを倒し、
私を無理やり後部席に連れ込もうとしてきたのです。

私は必死に 「やめて!」 と叫びますが、Hさんは
「付き合っているんだから良いだろ?」 と言って
服を強引に引っ張ってきます。

無我夢中で抵抗すると、彼はどこかに頭を打った
みたいで力が弱まり、その隙に脱出した私は会社
の建物に身を隠しました。

そして先程帰った同僚に電話をして、今までの
経緯を全て話します。

幸い、まだそう遠くまで行っていなかった同僚は
すぐに会社へ戻ってきてくれ、九死に一生です。

Hさんはどこかへ逃げたのか姿が見えず、これは
もう警察沙汰ということで警察に連絡し被害届を
出しました。

私はしばらく会社を休めという事で、休暇をとる
こととなりました。 その間にHさんは逮捕され、
会社も懲戒解雇となり、もう大丈夫だろうから
安心して戻って欲しいと会社は言ってくれます。

その後、女性は遅番禁止となり、念の為に私は
引越しもして会社に残る決断をしました。

家族からは会社を辞めてほしいとは言われました。
でも今の仕事は気に入っていますし、同僚とも良
い関係で、そもそも私が悪い訳では無いので辞
めたくありません。

犯人も捕まっている事ですし、きっと大丈夫でしょう。

この事件でHさんは待ち伏せをし、私が車を離れ
た数秒で車内へ侵入したのだそうです。

警察からは、例え一瞬だとしても車や自宅から
離れる時は、必ず施錠をして油断しないよう注
意されました。

「ちょっとの間だから、まぁいいか」 犯罪者は、
その一瞬の隙を狙っています。…

……










※ 第二章 夕日と……。夢人と……。

子連れで働ける住み込みの仕事が見つかった、
いわゆる立ち飲み屋で簡単な丸いイスがあるに
はある。

私は、「母ちゃんと一緒にいられる」という思いで
あの日の夕日の様な嬉しさだった。

でもそんな喜びはシャボン玉の様にすぐに
はじけた。

学校に行く朝、彼女は私の気配も知らぬほど
眠りこけている。 一人“行ってきます”と云う。

帰って来ても、彼女は私の顔もろくに見ず、一心
不乱に働いていて、早く奥へ行けと手を振る。

“ただいま”も云えぬほどの早さで私をせかす。
なぜ……すぐに悟った。

店の奥では女主人が日がな一日ニコリともせず
長キセルに煙草の葉を詰め込んではたばこ盆
をかねたちゃぶ台の前に座り込み煙を吐き出し
ていた。

あの頃は許されたのか、店で働く女達の働きぶり
を鬼の目で見ることが。 小学2年、多分8才ぐらい、
もう見えていた、

大人の世界、お母ちゃんの住む世界が。

親子にあてがわれた2階の一間、誰も待ってい
ない部屋で、何もない部屋で眠るまで一人で
居る。

お母ちゃん(養母)は私が眠った頃にやっと側
に来てくれる、昨日も今日も変わりなく。 食事は
一人、

鬼の目にふれぬ様に食べる、トイレに行くにも
気を使って。淋しいなんて云わないし思うことさ
えない。

「お母ちゃん」は私が居る為にどんなに気を使っ
て働いているかと、そんな子供になっていた。

只、変わったことがひとつ、月に1度「少女クラブ」
と云う雑誌が買ってもらえる様になった。

その中に「リボンの騎士」と云う漫画が載っていて、
私に1か月分のなぐさめを与えてくれた。

月の終わり頃には全て読み飽きて文字の数を
追って時を過ごしていた。

店を覗ける日がある、それは、プロレス番組で
力道山の映る日だ。

店は二重三重の人垣でガラス戸の出入り口の外
まで人が覗き込む。そんな日、鬼おばさんもこの
日ばかりは私などに目もやらず店に出て夢中で
見ている。

未だテレビと云うものが売り出した頃の些細な
市井の人々のつながりと楽しみだった。

※ 結核に罹る。

小学3年生になる春。貝塚、山の上の療養所に
入ることになる。

養母は不憫に思ったのか珍しく私の手をしっかり
と握りしめる。

まるで西宮の山で見たあの頃の木々が、桜に変
わっただけの高台への一本道。

朝と夕とのちがいだけ。 朝の明るい陽光に照らさ
れ人気も無い道は、まるで涙のつぶの様な花びら
をハラハラと私達にふりそそいだ。

その時も、二人だけの道だった。 青い空に白い雲、
只、それだけ。

桜の散る様はなぜあんなに美しく淋しいのか……
この時の私の思いは夕日を見た時とは違う、つない
でいる手はずっとお別れだから、の様な儚さだった。

そしてそれはのちのち証しとなってしまうのだが。  

桜 桜、哀しき哉、 桜咲くは春 出逢いよりも別れ
多き春  朝にひらく桜 一日の刻と きを人のなぐ
さめと咲き誇り、 ハラハラと音も無く乱れ散る

※ 丁度1年の入院、

彼女は何度逢いに来てくれただろうか。片手に
満たない。そして、初めての面会から見知らぬ
男性と一緒だった。

Nさん、顔も憶えている馬鹿な私、そそくさと会っ
てそそくさと帰っていく。そんな日はなぜか決まっ
ておねしょするらしかった。

あくる日、当然同じ部屋の子供達にからかわれ、
いじめられる。

中野先生、療養所内の小学校の担任、だからな
のか知らぬまにいつも傍に居て下さる。

“お前はなんでおねしょするんかいなー”と頭を
なでながらニコニコ笑う……

先生、ありがとう。 先生は酒の粕が好物で時間が
あると、七輪の上にアミを置き両手をこすり合わせ
ながら焼き上がりを待つ。

香ばしく焼けるとキツネ色の砂糖を乗せフーフー
しながら包み込んで次から次と食べる

、“美夜子も食べるかー、うまいぞー”と小学3年
の私に嬉しそうにすすめるのだ。

病にも段階があって一時期、重症病棟に入れ
られる。 一番奥に有るその病棟のむこうは焼き
場になっていた。

そこでは看護婦は足音も立てず歩き、隣の病室
の患者の息さえ聞こえる程の静かさで、木々の
多い周辺に飛んで来る鳥のさえずりだけがこの
世にいると思わせてくれた。

3日に1度は誰かしら亡くなったのささやきを聞き、
その中には私の大好きなお姉さんも入っていた。

でもなぜか私には皆、等しく、不幸で、あの世に
旅立つ順を待っている心静かな場所だった。

なのに70才の私がここにいる、

ここが天国ならなんて罰あたり。 許して下さい。
寿命に感謝。…

※追
義理母看取り。夫の「旅立ち」を見送り、養母は
施設入所となる。

夫の遺した言葉「好きに生きろよ」に支えられ、
今を生きています。 …

…(終わり)