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東京にいったい何があるというんですか?

2016-11-21 08:08:30 | Tokyo

東京で暮らし始めて1ヶ月が経つ。

 

新しい会社、おそろしく高い家、復活した人間関係。

目が回るぐらい必死というわけでもなかったのだろうけれど、時が経つのは結構早い。

それこそ、東南アジアの3倍速くらいの感覚だ。

 

正月まであっという間かも、と思い年賀状の心配をし始めていたが、先日ちょっとした用事で帰省することになり、夜行バスで東京を出発したその日の夜に新幹線で帰るという暴挙にでた。

暴挙の割には全てが順調で、感覚が研ぎ澄まされていて、感じることも多かった。

そして、久々に「書きたく」なった。

だから、とりあえず今書きたいことだけ書く。

(フィリピンとか北海道の話は一体いつ書けるのか。。)

 

東京とは何だろう。

 

未だに僕にはそのはっきりとした解が見つからない。

面倒なので、その問いと、わざと向き合わないようにしているのかもしれない。

そもそも僕は東京が好きではない。

 

訳の分からない海外の国に行きたいと思っても、東京には行きたいと思わないし、フィリピンの満員電車は許せても、東京の満員電車は許せない。オチのない話を聞くぐらいだったら、イスラミックなお経を聞いている方が100倍マシだ。

食わず嫌いや偏見ではなくて、事あるごとに心の底からそう感じてきたという自負がある。

多少は「みんなと同じ方向を向きたくない」という斜に構えたい願望があるのかもしれないが、それを差し引いても余りある負の印象を持っていた。

東京に行きたくて行けないのは問題だけど、東京に行きたくなくて行かない場合は何も問題はない。

だから特に困らなかった。

 

けれども、そういう僕は世間ではマイノリティで、大抵みんな東京に行きたがる。

だから「とりあえず東京っしょ」という人達には、純粋に聞いてみたいと思っていた。

東京にいったい何があるというんですか?

と。

 

けれども今、僕は東京にいる。

東京嫌いの価値観とかスタンスはそんなに変わっていない状態で、しれっと何事もなかったかのように東京で暮らしている。

なんなら、生活自体を楽しんでいる節もある。

不思議だ。

中学とか高校で昨日まで険悪だった奴らが翌日、急に仲良くし始めて「あれ、お前ら喧嘩してたんじゃなかったっけ?」と思うあの感じだ。

  

結論から言おう。

やっぱり東京には何もない。

 

けれども何もない良さがあるのだと今は思う。

 

神戸に帰って少し物足りなく感じた。

居心地が悪いとまでは言わないけれど、何かしらの違和感があった。

言語化するのは少し難しい感覚だけど、あえて言うなら「自分の居場所をここだと決め切った感」であろうか。

それを街全体が醸し出していた。

もちろんそれは悪いことではない。むしろ、素晴らしいことだ。

やっぱり最後は神戸に住みたいなと思ったし、これ以上求めるものは何もない街だと思う。

でも今の自分には、多分まだ早いみたいだ。

 

もう一度言おう。

東京には何もない。

何もないけれど、その何かを追い求めている時の美しさみたいなものは、もしかすればあるんじゃなかろうか。

それを感じられるようになった時が東京を離れる時だ。

 

 


青く冷えてく東京

2016-06-30 21:06:04 | Tokyo
「新宿は豪雨」とか言って喜んでるうちはまだまだ田舎者だと思う。

でも本当に新宿に行って豪雨だと、アッと思うではないか。

「歌舞伎町の女王はどこだ」と意気込み、東口を出ても、会うのは客引きばかり。

池袋で飲んでも、終電までには帰る。



「だって面倒くさいじゃん」



今年で三回目の三回生を迎える、高校の同期であり、今回の宿の主である、私の友人の言葉だ。

彼は朝起きることができず、当然授業に出席することもできず、一留の男になった。

そして翌年、"授業に出るため"というだけの理由で早朝のバイトを始め、この作戦が効を奏したのか、思いのほか順調に授業に出席し続けた。

下手に泊まりに行こうものなら、朝4:30に叩き起こされ、出勤に合わせて一緒に家を追い出される、という気合いの入りっぷりである。

今年はいけるぞ。

誰もがそう思っていた。

しかしながら、「テスト期間だから」という謎の理由で試験の日にバイトを入れず、当然朝起きることができず、結果彼は二留した。



三回生三年目の夏、今年はどうかと訪問してみると、なんとバイトリーダーに昇格していた。

単位の方は大丈夫か、と訪ねると
「クォーターフルでフィフティーフィフティー」

翻訳すると
「このタームの授業を全部クリアしても、50%の確率で留年する」

つまり、やばい。


朝はちゃんと起きれているのに、なぜ授業に行けないんだ?
という議論に当然なるわけだが、そこで彼が発した言葉が




「だって面倒くさいじゃん」



であった。



世の中には、それを言ったら終わりだという言葉やタイミングがいくつかあるが、正にそんな感じの発言だ。

思わずツッコんでしまう。

ただ、彼は悩み、考え、どうにかこの状況を改善しようとしていた。

何とか打破できないかと思いあぐねていた。

多分、人よりちょっと時間がかかっているだけで、きっと上手く解決するだろう。

そういうことって、よくある。




彼ほどではないにせよ、私もかなりの引きこもり体質なので、外に出るのが面倒くさくなることが多々ある。

ただ、口にした約束を必ず守ることに関しては自信があるので、えいやっと予定を入れてしまえば、こっちのものである。


今回もバカみたいに予定を詰め、様々な集まりに顔を出し、様々な人の人生に口を突っ込み、自分の下らない話もたくさん披露してきた。

多分コミュ力1ヶ月分は消費しただろう。

慣れないことをすると当然、疲れる。

けれども、その分感じるところも多い。



東京は

良く言えば
"グローバル化した街"

悪く言えば
"United states of 田舎者"

だと思う。

俺は大阪、私は福岡、俺は北海道、私はチャイナといった感じで、あらゆる所から来た人がUnitedされている。




何のために?




夢を語るためだ。




面倒くさい、億劫だというハードルを越えて、えいやっ、と一歩踏み出した人達が集まっている。

そして各々何かしら一歩踏み出した理由とか背景があって、何事に対しても積極的だ。


だから完全に停滞して、みんなが守りに入っている今の環境から出てくると、とても刺激を受ける。




けれども、と思う。



けれども、全部が全部本物ではない。

選択肢がたくさんありすぎで、何を決めるにも考えなければならないし、数が多い分、偽物がよく混じっている。

そうなるとつい、自分を大きく見せてしまう。



僕は今、自分が少し偉そうだと思う。

そしてそんな自分をあんまり良くないなぁと思う。

自分をアピールするため、あるいは人を守るために必要な"偉さ"みたいなものは確かにある。

組織にいると、自分を大きく見せないと、議論ができない場面も多い。

けれども、それを差し引いてなお、余りある偉さは悪影響だ。

人にあたるというのも格好よくない。

環境の影響はあるにせよ、気を付けないとな。



下らない話をしすぎた反動からか、そんな思いで静かに都会の朝をむかえたのだが

当然のように寝坊して一限をあきらめ、爽やかにモーニングをいただきながら

「二限も面倒くさいなぁ。サボろうなかぁ」

と言う友人を見て

「お前みたいなやつが、面倒くさくなって選挙に行かなかったから、イギリスはEU離脱ちゃったんだよ。ちょっとは世界のことも考えろよ」

と、つい偉そうになり、八つ当たりをしてしまった。

Q.E.D.