東京で暮らし始めて1ヶ月が経つ。
新しい会社、おそろしく高い家、復活した人間関係。
目が回るぐらい必死というわけでもなかったのだろうけれど、時が経つのは結構早い。
それこそ、東南アジアの3倍速くらいの感覚だ。
正月まであっという間かも、と思い年賀状の心配をし始めていたが、先日ちょっとした用事で帰省することになり、夜行バスで東京を出発したその日の夜に新幹線で帰るという暴挙にでた。
暴挙の割には全てが順調で、感覚が研ぎ澄まされていて、感じることも多かった。
そして、久々に「書きたく」なった。
だから、とりあえず今書きたいことだけ書く。
(フィリピンとか北海道の話は一体いつ書けるのか。。)
東京とは何だろう。
未だに僕にはそのはっきりとした解が見つからない。
面倒なので、その問いと、わざと向き合わないようにしているのかもしれない。
そもそも僕は東京が好きではない。
訳の分からない海外の国に行きたいと思っても、東京には行きたいと思わないし、フィリピンの満員電車は許せても、東京の満員電車は許せない。オチのない話を聞くぐらいだったら、イスラミックなお経を聞いている方が100倍マシだ。
食わず嫌いや偏見ではなくて、事あるごとに心の底からそう感じてきたという自負がある。
多少は「みんなと同じ方向を向きたくない」という斜に構えたい願望があるのかもしれないが、それを差し引いても余りある負の印象を持っていた。
東京に行きたくて行けないのは問題だけど、東京に行きたくなくて行かない場合は何も問題はない。
だから特に困らなかった。
けれども、そういう僕は世間ではマイノリティで、大抵みんな東京に行きたがる。
だから「とりあえず東京っしょ」という人達には、純粋に聞いてみたいと思っていた。
東京にいったい何があるというんですか?
と。
けれども今、僕は東京にいる。
東京嫌いの価値観とかスタンスはそんなに変わっていない状態で、しれっと何事もなかったかのように東京で暮らしている。
なんなら、生活自体を楽しんでいる節もある。
不思議だ。
中学とか高校で昨日まで険悪だった奴らが翌日、急に仲良くし始めて「あれ、お前ら喧嘩してたんじゃなかったっけ?」と思うあの感じだ。
結論から言おう。
やっぱり東京には何もない。
けれども何もない良さがあるのだと今は思う。
神戸に帰って少し物足りなく感じた。
居心地が悪いとまでは言わないけれど、何かしらの違和感があった。
言語化するのは少し難しい感覚だけど、あえて言うなら「自分の居場所をここだと決め切った感」であろうか。
それを街全体が醸し出していた。
もちろんそれは悪いことではない。むしろ、素晴らしいことだ。
やっぱり最後は神戸に住みたいなと思ったし、これ以上求めるものは何もない街だと思う。
でも今の自分には、多分まだ早いみたいだ。
もう一度言おう。
東京には何もない。
何もないけれど、その何かを追い求めている時の美しさみたいなものは、もしかすればあるんじゃなかろうか。
それを感じられるようになった時が東京を離れる時だ。