半休息日。
機材チェックのため山上観察はお休みで、みんなでぞろぞろと近場の浅瀬へ繰り出した。
どこまでも広がる遠浅の海で生物採集。やっぱり楽しい。
でも、こういうコアなコミュニティーにいる時、自分はただ漠然と海とか動物とかが好きなだけなんだ、ということをはっきり思い知らされる。
そういったものがなくても、少し淋しいぐらいで生きてはいけるし、むしろずっとやっていろと言われたら苦痛を感じるかもしれない。
山と海だったら海、動物と植物だったら動物。
好きはその程度の「好き」であって、たまには山にも植物にも関わりたいと思う。
コーヒーは好きだけど、別に紅茶が嫌なわけではない。
本当に好きというのは、「お前一生それだけやってろ」と言われて「はい、喜んで!」といえるぐらいの、ある種病的な「好き」のことなんだろう。
ふらふらと日常を過ごしていると、自分に向いていて、自分の大好きなことを、自分の思うように精一杯やっている人に時々出会うことがある。
そして、いつも複雑な気持ちになる。
少し辛く、少し羨ましく、少し嬉しい。
その人が最もキラキラと輝く瞬間とその人にとっての幸せが、間違いなくそこにはあるからだ。
彼らにも葛藤とかは不安はもちろんあるのだろうが、本当に好きで才能のあることに全力で取り組めていることは、たとえそれが何であれ、とても尊いことだと思う。
そのままで在り続けて欲しいと思う。
本当に好きなものが見つかっていない人、見つかっていても才能に限界を感じている人、才能があっても他のことに時間と労力を取られてしまう人が世の中の大多数なのだから。
本当に好きなことを見つけるのですら、とても大変なのだから。
今の僕にはそれがない。
好きなものはたくさんあるし、これからもたくさん増えればいいなと思っているけれど、本当に好きなものはまだ見つかっていない。
だから今できることは、そういうものが見つかった時に全力で取り組めるように、できるだけ妨げとなりそうな問題を解決しておくことだと思う。
そして、そういうキラキラした人たちとの出会いを大切にし、何かできることがあれば遠慮なく力を貸すことだと思う。
きっと、いつかどこかで自分にもそういう瞬間がくると信じて。
Q.E.D.
これぐらい光があると光合成できそう
確か変な名前だった、、
ヤドカリはよく見るけど、生きているのは珍しい
beautiful
ジブリ感がすごい