Mouton lab

Thai Paris Cairns Chendeu Siem reap

最後の晩餐

2015-03-03 22:11:35 | Thai Trang

クラビから関空へバンコク経由で帰国するのだが、トランジットに23時間かかるため、バンコクにて一泊。

非常に快適な街であった。もはや日本と何も変わらない。

着いて早々、超大型ショッピングモールでランチをとり、軽く買い物。

あまりに広すぎて、まわりきれない。

Diningのコーナーは充実しており非常に良かったのだが、それ以外は別段タイで買わなくても、、、というものでごった返していたので、買い物はそこそこに散歩していた。

タイムズスクエアに行く予定なのを思い出したのもある。

規模が莫大だと、品揃えも価格も似たりよったりなものになり、そこまでお得感はない。というかむしろ高くなる気がする。

買い物する場所というよりは、商品やサービスを広告する場所だと捉えたほうがいいのかもしれない。

いずれにせよ、日本にはない規模感の建物で割と楽しかった。

 

その後、ホテル近くのタイ式マッサージへ。

1時間300バーツ。いくら円安になっても、やっぱり安い。

でもマッサージというよりは強い刺激という感じ。

体が山仕様でほとんど脂肪がついていないので、筋肉をダイレクトで押されるとメチャメチャ痛い。

体はだいぶ軽くなったけど、次はもう少し軟弱な所にいこう(笑)

 

夜は今風の若者が集まる、少し値段のはるお店でディナー。

生バンドの歌声が耳に心地よかった。

Yael naimの”New Soul”、The Banglesの”Eternal Flame”など、馴染みのある好きな曲が結構チョイスされていて、女性ボーカルの声も可愛らしくて、とても心が和らいだ。

料理も当然美味しい。本当にいいお店だった。

昨日までに比べると、急激に文化レベルが上がったが、都会の夜にふさわしい。

 

まだまだ旅は続くけれど、ひとまずタイはこれにて終了です。

明日から北海道。うまく乗り継げるといいな。

 

Q.E.D.

 

唯一の買い物は Jim Thompson のネクタイ

 

ホテルもやたらに豪華であった

 

洋楽を聞きながらディナーをいただく


Last Observation

2015-03-02 22:31:48 | Thai Trang

「マイミーパイウーン」

「sea grass in front of the bamboo trap」

「暑いね~」

タイ語と英語と日本語が混ざり合う山の頂。

 

「1のアルファ、1頭確認です」

(A, B, C, Dだと聞き取りづらいので、通信の際はアルファ、ブラボー、チャーリー、デルタという)

「――、――、ラージャ!」

トランシーバーが運んでくる、海風と船上の声。

 

突き刺す太陽、賑やかな笑い声、どこまでも広がる海。

山で食べる弁当、船でいただく冷たい飲み物。

そして明るく優しいタイ人たち。

 

何もかも、今日で全てお別れ。最後の観察日だった。

 

朝6時出発という気合を入れたスケジュールだったが、タイ人はそろって30分遅刻。

30分後に爽やかに現れる感じがすごい。見習うつもりはないけど(笑)

船で朝ごはんをいただき、ひと寝入り。板の上で寝るのもすっかり慣れっこだ。

 

島に到着し、タイスタッフの中でもプロフェッショナルと言われている強者と、先頭で山を登った。

スリッパでも速かった彼が(スリッパで登れるような所ではない)靴を手に入れたので、もうメチャメチャに速い。勘弁してくださいと言いたくなるぐらいに。

それでも、一番初めに登ったときに30分くらいかかっていたのが、今や10分ぐらいに。人間続ければ成長するものだ。

タイ語の方も、タイ人の軽い冗談が分かるぐらいにはできるようになり、語学の楽しみというか、ありがたみを再認識。まだまだ学びたいな。

残念ながら、観察の方はさざ波しか見えずにタイムオーバー。旅に後悔はつきものだ。

夜はオシャレ女子が行くような雰囲気の店に大人数で乗り込んで、久々に外国の食事をいただいた。そして飲み会。最後日にふさわしい夜だった。

 

何かの節目にあたる時にそれまでの出来事を振り返ってまとめる、という作業は実はあんまり好きじゃくて、あえてやらないようにしている。そこに費やしたエネルギーとか時間が大きければ大きいほど、特に。文章に落しても、そこまで深く考えないし、表現を限定しない。

後になって書く事はあっても、すぐには書かない。

本気で取り組んだことほど、きれいにはまとまらないし、まとめなくとも自分の中できちんと消化されるからだ。

高校のインドの振り返りを書いたのは半年後だったし、部活の会誌に載せる文章を書けといわれた時は、「4年間を振り返って」というタイトルを無視して、聖書のような例え話を書いた。

時間が経って、ふと思い出したり、懐かしくなったりしたら、その時に改めて書くかもしれない。

でも、日々の日記とそれにまつわる思い出が旅の全てだ。

 

あえて感情を書くとするなら、それは寂しさではなく、それを通り越した喜びなのかもしれない。

  

ありがとう、トラン。いつか、また。

Q.E.D.

 

日の出と共に出航

 

この崖ともお別れ

 

Sticky rice and fried chckein, with graric onion and spicy source

 このご飯が一番すきだった

 

いつもの場所、いつもの双眼鏡


タイの休日も一日にして…

2015-03-01 23:22:40 | Thai Trang

Rome wasn't built in a day. ローマの休日は一日にしてならず。

よく耳にする格言だが、あまり深く考えたことはなく、休みは多い方がいいのかーぐらいに思っていた。が、実は違っていた。

休日を過ごせるほど発展した街をつくるには一日では足りない、大きなことを成し遂げるには長い期間が必要だ、という意味のようだ。

別にローマだけが偉大なわけじゃないだろうと思っていると、やっぱり他の国の人達もそう思っていたみたいで、例えばフランスでは

Paris ne s'est pas fait en un jour. ということもあるらしい。

さすがである。

が、そんなことが言いたかったのではない。

格言の解説ではなく、休日は一日では足りないという話がしたかった。

今日は完全な休息日だったのだが、1日では気持ちがリフレッシュしない。多分2日あっても同じ。

日本の週休2日という絶妙に中途半端なタイミングで微妙な長さの休みをもらう、というシステムがどうやら性に合っていないようで、大学に入った時にそれに気づいた。

もっとまとまって休みを作るか、もっとこまめに休みにするか、どちらかにしてくれと思う自分がいた。

幸い大学も学部も研究室も自由極まりない環境だったので、基本的に週休4日は確保するようにしていた。

最後の方は月月火水木金金土土日ぐらいの勢いで学校に行っていたが、それはそれで充実していたし、苦痛ではなかった。

別に休みがないのがしんどいわけではなく、自分の思うように休めないのがしんどいのだ。

なのでだいぶ早い段階で、大学を出てからも週休2日システムだけは避けたいと思っていた。

あらゆる進路を模索したし、その努力を惜しまなかった。

が、結局しばらくは人を効率的に働かせるシステムの奴隷になることになると思う。

 

思い返すと大学では週休4日に加えて、春休み、夏休みの4ヶ月も全て休みで、一年の1/3も学校に行っていない。

4年目になると、週休6日ぐらいが当たり前で、もう一度1年目からやり直せと言われると、多分無理だろうと思うことが度々あった。

大学の延長線上で生き方を模索すると、もはやそれはわがままでしかないような気もした。

なので性には合わないが、週休2日システムが今の自分には必要だと思っている。

何というか、前向きな我慢みたいなものが求められているように思う。

ただそれだけだとやっぱり納得できないので、3年働いて1年休むという長期的なスパンで動いているんだと思い込むことにした。

今回の旅を1ヶ月以上休みなく続けるのも、あるいはそんな背景があるからなのかもしれない。

先の予定を立て、管理し、確認しつづけるというのは、楽なことではないが、その方が自分にとっては良い気がしたのだ。

逆説的ではあるが、「しんどい」と思う暇がないほど忙しくした方が、案外しんどくないものではないだろうか。

1週間の内に与えられる2日の休みは、きっとローマの休日ではないと思う。

Q.E.D.

ビーチのモニュメント

 

木彫りの専門店に行ってきた。香木の匂いが心地よい

 

ついに…タイ人も若干怖がっていたカブトガニ


Asking for the moon

2015-02-28 22:28:54 | Thai Trang

半休息日。

機材チェックのため山上観察はお休みで、みんなでぞろぞろと近場の浅瀬へ繰り出した。

どこまでも広がる遠浅の海で生物採集。やっぱり楽しい。

でも、こういうコアなコミュニティーにいる時、自分はただ漠然と海とか動物とかが好きなだけなんだ、ということをはっきり思い知らされる。

そういったものがなくても、少し淋しいぐらいで生きてはいけるし、むしろずっとやっていろと言われたら苦痛を感じるかもしれない。

山と海だったら海、動物と植物だったら動物。

好きはその程度の「好き」であって、たまには山にも植物にも関わりたいと思う。

コーヒーは好きだけど、別に紅茶が嫌なわけではない。

本当に好きというのは、「お前一生それだけやってろ」と言われて「はい、喜んで!」といえるぐらいの、ある種病的な「好き」のことなんだろう。

 

ふらふらと日常を過ごしていると、自分に向いていて、自分の大好きなことを、自分の思うように精一杯やっている人に時々出会うことがある。

そして、いつも複雑な気持ちになる。

少し辛く、少し羨ましく、少し嬉しい。

その人が最もキラキラと輝く瞬間とその人にとっての幸せが、間違いなくそこにはあるからだ。

彼らにも葛藤とかは不安はもちろんあるのだろうが、本当に好きで才能のあることに全力で取り組めていることは、たとえそれが何であれ、とても尊いことだと思う。

そのままで在り続けて欲しいと思う。

本当に好きなものが見つかっていない人、見つかっていても才能に限界を感じている人、才能があっても他のことに時間と労力を取られてしまう人が世の中の大多数なのだから。

本当に好きなことを見つけるのですら、とても大変なのだから。

 

今の僕にはそれがない。

好きなものはたくさんあるし、これからもたくさん増えればいいなと思っているけれど、本当に好きなものはまだ見つかっていない。

だから今できることは、そういうものが見つかった時に全力で取り組めるように、できるだけ妨げとなりそうな問題を解決しておくことだと思う。

そして、そういうキラキラした人たちとの出会いを大切にし、何かできることがあれば遠慮なく力を貸すことだと思う。

きっと、いつかどこかで自分にもそういう瞬間がくると信じて。

 

Q.E.D.

 

これぐらい光があると光合成できそう

 

確か変な名前だった、、

 

ヤドカリはよく見るけど、生きているのは珍しい

 

beautiful

 

ジブリ感がすごい

 


それでも男たちは頂を目指す

2015-02-27 22:54:12 | Thai Trang

雲ひとつない青空。灼熱の太陽。今日も調査は続く。
風があり涼しいと感じたが、最高気温は38℃。ダメージはしっかりと体に蓄積されていく。

今日はメンバーに若干の変更があり、観察チームは全員男。今回の調査では初めてだ。
それに対して何の違和感もなく、なんなら若干の居心地の良さを感じている自分が少し可笑しかった。

ここ何年かで、異性がいてもいなくても、自分の立ち振る舞いとか行動はそこまで変わらなくなったのだけれど、男だけだと何というか、すごく楽だ。
チームの雰囲気はがらっと変わるわけではないのだが、気持ち穏やかになる。

部活でもマネージャーがいるときの方が楽しくてやる気がでるものだと思っていたが、男だけの遠征もそれはそれで面白く、心休まる時間だったなぁと今になって思う。
女子がすぐ女子会をしたがるのとは、また少し違うのかもしれない。

顔に少し笑みを浮かべながら、ポツポツとしゃべり、あまり間が空いても気にならない。
その雰囲気が懐かしく、好ましかった。

男は男だけの方が実は穏やかで優しいと思う。
異性がいると、無意識的に無理してしまうのが男の性(さが)なのかもしれない。

女は女だけの方がよくしゃべり、人の噂話に終止し、スイーツを好み、待ちに徹する。男はその逆。

そう思いこんでいたのだが、結局港のカフェでアイスを食べながら、「女は怖い」という話でいつもより盛り上がり、他チームの帰りを待つという、男らしさのかけらもない時間になってしまった。

Q.E.D.

 

 崖の裏の景色

 

 観光用の展望台。こんなところから観測できたら毎日山を登っている我々の立場がない

 

 新しいルートはもはやただの崖だった