Mouton lab

Thai Paris Cairns Chendeu Siem reap

旅立ち

2015-03-31 20:30:39 | 旅行

未遂の旅として、ニューヨークに行けなかったことを書くのも面白い、と思って書いていたのだが、あまり面白くなかったのでボツにした。

その代わりと言ってはなんだが、この住み慣れた地を離れるに当たって、最後に書き記しておきたいことがある。

「運命」についてだ。


僕がここにやってきたのは、運命なのだろうか。

僕がここから出て行くのも、また運命なのだろうか。

ここで出会った人、これから出会う人も、運命によって決められているのだろうか。

やりたいと思うことができたりできなかったり、会いたいと思う人に会えたり会えなかったりするのは、全て運命の仕業なのだろうか。


これはとても難しい。

この命題に一生を捧げた人もいる。

あまりそのあたりのことは詳しくないので、端折ろうと思うが、運命論だの決定論だの、多種多様な考え方が提唱されてきたことは間違いない。

女は運命に弱いというが、男だって同じだ。

運命を感じて、喜んだり、戸惑ったり、あるいは疑ったりすることは度々ある。


例えば、どうだろう。

海外でフラフラと電車に乗っている時に、たまたま隣に座った人が昔の同級生であったら。

好きだったのに、好意を伝える間もなく卒業してしまった、その相手だったとしたら。

運命を感じて、思わず告白してしまうかもしれない。


あるいは、どうだろう。

主導で進めていたプロジェクトが、資金不足、納期短縮、会議の延期などのせいで非常に厳しい状況に追い込まれている時に、チームのメンバー3人がインフルエンザにかかったら。

「そもそも最初から無理な話だったんだ。気合だけではどうにもならないんだ」と弱気になり、プロジェクトの遂行をあっさり断念してしまうかもしれない。

普通に考えれば筋が通っていないことを、何の疑いもなくやりはじめる。

これこそが運命の持つ力であり、その影響力は思った以上に大きいのだ。


成功や出会いを運命だと捉えて、謙虚になったり、より前向きな気持ちになったりする。

それ自体は決して悪いことではない。

しかし、逆に失敗や別れを、全て運命のせいにしてしまうのも可能だ。

だから、運命には注意を払わなければならない。


では、人はどんな時に運命を感じて、どんな時に運命ではないと感じるのか。

これを説明するのは、結構難しい。

でも、あえて挑戦してみよう。


<運命を感じる場合>

◎運命だと納得して前に進みたいとき
 ・試験に落ちたとき
 ・飛行機が飛ばなかったとき
 ・大切な人と離れ離れになったとき

 ◎自分の結論を後押しする、プラスα(根拠のない自信)が欲しいとき
 ・行こうと思っていた国がテレビで特集されていたとき
 ・欲しい物件がその日だけ安くなっていたとき
 ・好きな相手のことを考えているときに、その本人にばったりあったとき

どちらにせよ、自分の行動に運命の力が必要な場合に、人は運命を感じるようだ。


<運命を感じない場合>

◎偶然の符合はあるものの、自分に利害がないとき
 ・同部屋の人と同じスマートフォンだった時
 ・レジでの支払いが、たまたま持っていた小銭と一致したとき。

 あ、偶然だな、ラッキーだな、とは思うが、運命は感じない。

 ◎自分に利害はあるものの、その決断が運命の助けを必要としないぐらい、はっきりとしているとき

ex.大学生の自分にとっての自転車

この時の自分にとって、自転車に乗らないという選択肢はなかった。

自転車に乗ることは選択の結果や成り行きの果てではなく、必然だった。

努力する理由など必要なかったし、何の疑いもなく頑張れた。

多分、落車しても、チャリが壊れて乗れなくなっても、「もうこれは運命だ」と思って自転車をやめることはなかっただろう。

それが自分で、それが全てだったからだ。

運命の助けを必要としないというのは、多分こういう状態のことを指す。

自分にとってメチャメチャ大事なことは、運命だと思わなくても前向きにやれるし、何か良くない事態が起こったとしても、それを運命のせいにして納得などしないということだ。


その時の自分なら、 きっとどんな手を使ってでもニューヨークに飛んでいただろう。

数々の困難に直面したと思うが、何の疑いもなく戦っていただろう。

そして、クタクタになって帰ってきて、でも疲れていることに気づかず、また次の旅に出ていただろう。


それがいいことなのか、悪いことなのかは分からないけれど、未熟で荒々しく、純粋だった頃の自分が少し眩しい。

真っ直ぐ前だけを見つめていた自分にちょっと嫉妬する。

運命のことなど、考えもしなかった自分に。


運命の話を締めくくるにあたって、LUMINEのCMを紹介する。

 

“恋は奇跡、愛は意思”

 

個人的にLUMINEのキャッチフレーズはすごく好きで、名言だらけだと思っているのだが、その中でもこれは特に心惹かれた。


出会う人は選べないけれど、出会ってからどうするのかは自分次第。


それが僕なりの解釈だ。
解釈など必要ないくらい、強烈で明確な言葉だけど。

本当に大事なことは、運命が与えてくれるわけではないし、運命が邪魔をするわけでもない。

自分の意思で選択するのだ。


根拠や説明は不要。

自分の直感を頼りに、自分が信じたものを信じて、前に進まないといけない。

そうしていることで、人はキラキラと輝きを放つ。


この先に光はまだ見えていないけれど、僕もきっといつかどこかで。

 

Q.E.D.


少しの間、細々と書いて参りましたが、読んでいただいていた方に何か少しでも面白いと感じてもらっていたならば、それ以上の喜びはありません。

また、次回の旅でお会いしましょう!

See you next trip ...


こちら山班、異常なし

2015-03-19 23:19:43 | 西表・石垣

晴れ間の広まった一日だった。

ぐるっと島を一周。

 

原動機付き自転車、いわゆる原チャに、地味に初めて乗った。

なんだか不思議な気分だ。

無性にロードに乗りたくなってしまった。

 

感じる風、過ぎ去る景色、車への注意、目的地までの時間感覚。

いつもと自転車で感じているものと同じはずなのに、全く足にこない。

当然心拍も上がらない。腹も減らない。

 

なんなのだろう、この楽しいけど、少し後ろめたい気分は。

真面目にやっていたゲームを、途中から裏技を使って全クリした、みたいな感覚に近い。

 

原チャの手軽さと燃費の良さにひどく関心したけれど、まだ自分の中に自転車というものがしこりのように残っていることも確認した。そんな一日だった。

車に乗っている時は何も感じないのにな。。 

 

西表島には大きな道路が一本しかなく、それも島の半分程度しか通っていない。

つまり、ぐるっと一周というのは嘘で、実質半周分の距離を往復したに過ぎない。

それでもなかなかの広さだった。

 

島のいたるところに「やまねこ注意」の標識が立てられており、道路に所々入っている連続した横線も「このあたりはヤマネコがよく出てくるから注意してゆっくりいけよ」という意味らしい。

これだけ注意喚起していても、やはりロードキルは起こってしまうようで、思っていたより頻繁に事故が発生していた。

道をなくすことはできないが、これ以上伸ばすことはないだろう。

 

外周を走るのが中心で、あまり森に入る時間がなかったが、一歩足を踏み入れると豊かな生態系を感じることができた。

植物は熱帯系らしく多種多様なものが、ところ狭しと生えている。背丈もバラバラで、太陽の光を最大限利用している感じが、手に取るように分かった。

動物の気配を感じることも多く、道もまだまだありそうで、もう少し歩きたかったな。

 

西表島の良さを端的に表現すると、人の少なさとその不便さにあると思う。

離島ライフを夢見てこの島に渡ってきた人も多いんだとか。

 

その土地の風土はその土地の酒を飲めば分かる。

 

そう思って最後の晩に一杯1000円する幻の泡盛をいただいたのだが、一口つけた後に全てこぼしてしまい、本当に幻の泡盛になってしまった。

 

明日は石垣島に戻ります。

 

Q.E.D.

 

 水牛に乗って由布島まで渡れた

 

 南国の象徴

 

 色が映える

 

 トビハゼ

 

 よく見かけるやつ。これよりふたまわり大きいトカゲがたくさんいた。

 

 変わったアリの巣

 

 ありがとう

 


南国へ、再び

2015-03-18 22:30:58 | 西表・石垣

本日西表島に無事到着。

早速海へ行ってきた。

朝一番のフライト、ギリギリのタクシー、フェリー、着いてすぐのボートチャーターと、割とハードな一日だったので、今は頭がもう動かない。

ただ、海が好きだ。どうやらそうみたいだ。

写真が多いので、アルバム的なものを作ってみた。

西表島・内離島・外離島

明日はのんびり過ごせるのか、いやない。

 

Q.E.D.


No offence, but...

2015-03-11 23:15:39 | 北海道

「えー、雨足が強くなってきました。――、雨というよりはみぞれに近いような形に―」

バスに備え付けられたトランシーバーが慌ただしく鳴っている。

 

窓を見ると、確かにシャーベット状のものが、どんどんとぶつかってきて、下に押し流されていた。

運転手は無言。

視界はあまりよくないが、路面はまだ大丈夫そうだ。

とりあえずアスファルトは見えている。

 

飛行機に入るころにはみぞれが雪に変わっており、頭に雪を積もらせながらの搭乗。

乗客でぎゅうぎゅうの機内に着席。うーん、やっぱり狭い。

 

外を見ながら、「この天候でよく飛ぶなー、やっぱテクノロジーってすげーな」と呑気なことを考えてボーっとしていたのだが、待てども待てどもなかなか飛ばない。

そして、機内アナウンス。

「出発時間を遠に過ぎておりますが、ただいま機体が凍りつかないように、薬剤を散布しているところです。離陸はこの作業が終わってからとなりますので、もう少々お待ちください」

塩化カルシウム?ではないか。

「遠に」とか「少々」ってなんか上品だよな。

英語のアナウンスは?うーん、よく分からん。

 

しばらくサングラスをかけてウトウトしていると、再びアナウンス。

「ただいまこのような天候ですので、機体および滑走路の除雪作業を行っております。離陸は天候が回復し、除雪が完了してからとなりますので、時刻をはっきりと申し上げることができません。お急ぎのところ大変ご迷惑をおかけしております」

ん?

いよいよやばいか、これは。

外の雪はどう見てもやむ気配はない。

まるでこの数日の晴れ間が嘘だったかのように、景気よく降っている。

アスファルトが「本当にあったのですか」と疑いたくなるぐらいだ。

室蘭や登別で雪が全く積もっていないのを見て、後輩と「もはや南国」などと騒いでいたことをちょっぴり後悔する。

 

まだあんまり今後のことを考えたい気分ではなかったのだが、機体に降り積もる雪を見ながら、少しづつ頭のギアを上げていく。

その後、一旦ターミナルに戻って、集合時間まで待機せよと言われた。指示はまたその時にとのこと。

これを聞いてからが、ものすごく慌ただしかった。

ここからの一時間は、もう、はしょろう。

 

端的にまとめると、発見が二つ。

一時間あると本当に色んなことができるということと、いつからか(大学に入ってからだと思う)焦って頭が真っ白になることがなくなったということ。

 

そして結論が一つ。

ニューヨークには行けない。日本にとどまる。

 

なんだろう、このなんともいえない感情は。

残念ではあるが、悲しくはない、失ったというよりは、解放された感じ。

一度味わったことがある感情。

そうだ、同じだ、就活の時と。

 

無理だろうなあと薄々思っていたことが少しずつ強まってきて、「ああ、、」とあきらめつつも、ほんのちょっと未確定な未来に期待する。

少しタイムラグがあってから、やはりダメなことが分かる。

そして、意外なことに少しほっとする。

驚くほどに似ている。だから割とあっさり割り切れた。

 

実は春休みに入ってから、日本にもう少しいたかったな、と思うことが時々あって、ゆっくりできる時間の重要度が日に日に増していた。

だから、これはこれでむしろ良かったのかしれない。

Hey, Upper East Siders. Gossip Girl here! というあいさつを言えなくなったのは残念だけど。

まあ、それぐらいだ。

 

 

結論を出した後のひと仕事終えた感がすごくて、便の変更と払い戻しの長蛇の列に並ぶ気が全くおきなかった。

ラウンジも混むだろうなと思ってすぐさま駆け込み、たっぷりとGossip girlを見てからカウンターに行くと、見事なまでにガラガラ。

それ見たことかと思い、明日(11日)でも仕方ないかと思って便の変更を申し出ると、最短で13日昼出発の便に空きがあるとのこと。

ウゥ、ワット?

洋画の見過ぎで思わず、カモン?と言いそうになった。

 

一瞬とどまるか悩んだが、もうこれでもか、というぐらい北海道は満喫したので、とっとと帰ることにした。

またひと仕事して、結論はフェリー。船旅も悪くない。

 

(札幌で一泊) 

 

午前中は北大の図書館に遊びに行き、最後の夕食は苫小牧で。

まさか2回も来ることになるとは思いもしなかった。

夜はミスド以外真っ暗だ。

 

もそもそとドーナツを食べていると、店内からなにやら異国っぽい会話が聞こえてきた。

よくよく聞くと、店の中で放映されているミスドのCMらしい。

 

映像を見ていると、嵐の相葉くんが、どこかのカウンターで外人のお姉さんと談笑している。

どうやら海外旅行をしている設定のようだ。

CMの途中で、テンションのあがった相葉くんが、異国に来た喜びを表現していた。

 

「きましたー、ブルックリン!」

 

Uhm, so…come on?

 

 

Q.E.D.


There are too many ‘unknown history’ in the world.

2015-03-10 10:40:54 | 北海道

変な夢を見た。

 

自分はどこかの学校にいて、授業開始3分前に急に本を借りに出かける。

図書館で本を探すのだが、なかなか見つからず、気づけば5分遅刻。

そのままダラダラと居続け、いつの間にか授業開始から30分も経ってしまった。

それでも図書館のおじさんは、なぜか「いいね、君」みたいな顔をしている。

 

やばいな~と思っていると、今度は出身高校のグラウンドに。

山の中にある高校で、一番低い位置にあるグラウンドから一番高い位置にある校舎までは、歩いて15分ぐらいかかる。

授業に行っても、残り時間があまりないので、行こうかどうか逡巡するのだが、結局最短ルートを走って行くことに。

 

坂を登り終えると、なぜか高校にはなかったエレベーターがあり、それを待っていると、アフリカかどこかのサッカー選手がぞろぞろとやってきた。

エレベーターの中で軽く談笑し、案外自分も喋れるじゃないかと思いながら、同じ階で降りたのだが、しばらくしてから逃げるように、どこかの入口に飛び込んだ。

 

中に入ると、そこは大きなドーム型のサッカー場で、アルゼンチンとどこかの国が試合をしている。

席はスタンド最上階のガラス張りの特等席だったのだが、なぜか椅子は普通席の横並びのものと同じ。

スタンドは大勢の観客で賑わっていたが、その部屋の人影はまばらで、とても静かだ。

部屋の中を見渡すと、その場所には似つかわしくない綺麗な婦人が座っている。

じっと見ていると、目が合って、にっこりと微笑みかけてくれた。

嬉しくなって、近くまで行って話しかけようとすると、彼女はいつの間にか消えていた。

 

この後、夜の街に繰り出して酒を飲む、みたいなくだりがあったような気もするが、あまりはっきりと覚えていない。

 

「夢」についてあまり詳しいことは知らないが、少なくとも自分自身が作り出しているストーリーであることは間違いない。

そしてそれが自分の欲望とか後悔とか、その他色んな感情に基づいているのも、おそらく。

 

たいていは夢を見てもすぐ忘れてしまうのだが、時々こうやって記憶に残すことがあって、その後じっくり考えるのが結構面白い。

 

登場人物とか場所とか、その時の行動とか感情とかが、自分が本当に生きている世界と微妙にシンクロしてくる。

今回も全てではないが、「あ、これは多分こういう経緯で出てきているんだな」と思いあたる節がたくさんあった。

あの時考えたこと、その時の景色、食べたもの、聞いた話etc…

 

そうやって一つ一つ細部を見ていく前に、そもそも何でこういうストーリーになったのかという、一歩引いた視点で考えてみるのも面白い。

その時の自分の状態というか生き方みたいなものが反映されているからだ。

 

今回のストーリーで言うと、「居場所がなかなか定まらず、ふらふらしている」という点が象徴的だと思う。

 

クラスから離れ、図書館に落ち着いたかと思えば、やっぱり戻らないと、と思いダッシュする。外人と話し、でもそれが少し煩わしくなって、逃げる。婦人と仲良くなれそうだと思ったら、今度は逃げられる。

 

ここじゃない、ここじゃないんだと思いながら、色んなコミュニティーと付きつ離れつやっていて、ようやく落ち着けそうな場所を見つけたと思ったら、その人にはもう居場所があった。

言い換えるとそんな感じだ。ドキッとする。

 

 

なんでこんな夢になったのかなーと朝から考えていたのだが、昨日の夜すすきのをフラフラ歩いた挙句、結局どこにも入らずに帰ったのが、原因の一つだと思う。

一人で静かに一杯と思っていたのだが、あまりにも店がありすぎて、人が思った以上に多くて、何だか疲れてしまったようだ。

 

今日からニューヨークに行くのに、全く何も考えていないのも原因かもしれない。

あえて新たな環境に行くのは、やっぱりちょっと尻込みする。

 

後は昨日、椎名誠の “世界は「使われなかった人生」であふれている” という本を買ったのも影響しているのかも。読んでないけど。

 

いずれにせよ、旅そのものが「居場所が定まらず、ふらふらしている」状態であり、メタファーになっているんじゃないだろうか。

 

自分でも何を書いているのか分からなくなってきたので、ここら辺で(笑)

 

冬の北海道縦断は無事終了です。

 

また、ニューヨークで会いましょう。

 

 

Q.E.D.

 

最終日は近くもなんともない余市のウイスキー工場へ。

結局5日で室蘭→襟裳→帯広→知床→然別→余市→室蘭と移動し、1500km走った。

天気と除雪車とスタッドレスタイヤに感謝。

 

普段あまり飲まないけど、北海道に来てウイスキーにはまってしまった