未遂の旅として、ニューヨークに行けなかったことを書くのも面白い、と思って書いていたのだが、あまり面白くなかったのでボツにした。
その代わりと言ってはなんだが、この住み慣れた地を離れるに当たって、最後に書き記しておきたいことがある。
「運命」についてだ。
僕がここにやってきたのは、運命なのだろうか。
僕がここから出て行くのも、また運命なのだろうか。
ここで出会った人、これから出会う人も、運命によって決められているのだろうか。
やりたいと思うことができたりできなかったり、会いたいと思う人に会えたり会えなかったりするのは、全て運命の仕業なのだろうか。
これはとても難しい。
この命題に一生を捧げた人もいる。
あまりそのあたりのことは詳しくないので、端折ろうと思うが、運命論だの決定論だの、多種多様な考え方が提唱されてきたことは間違いない。
女は運命に弱いというが、男だって同じだ。
運命を感じて、喜んだり、戸惑ったり、あるいは疑ったりすることは度々ある。
例えば、どうだろう。
海外でフラフラと電車に乗っている時に、たまたま隣に座った人が昔の同級生であったら。
好きだったのに、好意を伝える間もなく卒業してしまった、その相手だったとしたら。
運命を感じて、思わず告白してしまうかもしれない。
あるいは、どうだろう。
主導で進めていたプロジェクトが、資金不足、納期短縮、会議の延期などのせいで非常に厳しい状況に追い込まれている時に、チームのメンバー3人がインフルエンザにかかったら。
「そもそも最初から無理な話だったんだ。気合だけではどうにもならないんだ」と弱気になり、プロジェクトの遂行をあっさり断念してしまうかもしれない。
普通に考えれば筋が通っていないことを、何の疑いもなくやりはじめる。
これこそが運命の持つ力であり、その影響力は思った以上に大きいのだ。
成功や出会いを運命だと捉えて、謙虚になったり、より前向きな気持ちになったりする。
それ自体は決して悪いことではない。
しかし、逆に失敗や別れを、全て運命のせいにしてしまうのも可能だ。
だから、運命には注意を払わなければならない。
では、人はどんな時に運命を感じて、どんな時に運命ではないと感じるのか。
これを説明するのは、結構難しい。
でも、あえて挑戦してみよう。
<運命を感じる場合>
◎運命だと納得して前に進みたいとき
・試験に落ちたとき
・飛行機が飛ばなかったとき
・大切な人と離れ離れになったとき
◎自分の結論を後押しする、プラスα(根拠のない自信)が欲しいとき
・行こうと思っていた国がテレビで特集されていたとき
・欲しい物件がその日だけ安くなっていたとき
・好きな相手のことを考えているときに、その本人にばったりあったとき
どちらにせよ、自分の行動に運命の力が必要な場合に、人は運命を感じるようだ。
<運命を感じない場合>
◎偶然の符合はあるものの、自分に利害がないとき
・同部屋の人と同じスマートフォンだった時
・レジでの支払いが、たまたま持っていた小銭と一致したとき。
あ、偶然だな、ラッキーだな、とは思うが、運命は感じない。
◎自分に利害はあるものの、その決断が運命の助けを必要としないぐらい、はっきりとしているとき
ex.大学生の自分にとっての自転車
この時の自分にとって、自転車に乗らないという選択肢はなかった。
自転車に乗ることは選択の結果や成り行きの果てではなく、必然だった。
努力する理由など必要なかったし、何の疑いもなく頑張れた。
多分、落車しても、チャリが壊れて乗れなくなっても、「もうこれは運命だ」と思って自転車をやめることはなかっただろう。
それが自分で、それが全てだったからだ。
運命の助けを必要としないというのは、多分こういう状態のことを指す。
自分にとってメチャメチャ大事なことは、運命だと思わなくても前向きにやれるし、何か良くない事態が起こったとしても、それを運命のせいにして納得などしないということだ。
その時の自分なら、 きっとどんな手を使ってでもニューヨークに飛んでいただろう。
数々の困難に直面したと思うが、何の疑いもなく戦っていただろう。
そして、クタクタになって帰ってきて、でも疲れていることに気づかず、また次の旅に出ていただろう。
それがいいことなのか、悪いことなのかは分からないけれど、未熟で荒々しく、純粋だった頃の自分が少し眩しい。
真っ直ぐ前だけを見つめていた自分にちょっと嫉妬する。
運命のことなど、考えもしなかった自分に。
運命の話を締めくくるにあたって、LUMINEのCMを紹介する。
“恋は奇跡、愛は意思”
個人的にLUMINEのキャッチフレーズはすごく好きで、名言だらけだと思っているのだが、その中でもこれは特に心惹かれた。
出会う人は選べないけれど、出会ってからどうするのかは自分次第。
それが僕なりの解釈だ。
解釈など必要ないくらい、強烈で明確な言葉だけど。
本当に大事なことは、運命が与えてくれるわけではないし、運命が邪魔をするわけでもない。
自分の意思で選択するのだ。
根拠や説明は不要。
自分の直感を頼りに、自分が信じたものを信じて、前に進まないといけない。
そうしていることで、人はキラキラと輝きを放つ。
この先に光はまだ見えていないけれど、僕もきっといつかどこかで。
Q.E.D.
少しの間、細々と書いて参りましたが、読んでいただいていた方に何か少しでも面白いと感じてもらっていたならば、それ以上の喜びはありません。
また、次回の旅でお会いしましょう!
See you next trip ...