北海道に行った後、サイパンに行って、ミャンマーに行って、今は京都にいる。
北海道の話はすごく濃密で、何度か書こうとしたのだけれど、なかなかうまくまとまらない。ひとまずペンディングリスト行きだ。
サイパンはサイパンと割り切って、何も考えない時間を過ごせたので、満足。
ミャンマーの話はワケが分からなすぎて、背景を説明するのに骨が折れるのに加え、「何が面白いんだ?」となる可能性があるので、今は詳細には書かない。
そして舞台は京都に移る。
僕は今、大学時代住み慣れた、ボロボロの一軒家に滞在しているわけだが、とても心地がいい。
やたらと広い感じとか、ちょっと寒い感じとか、物音一つしない感じとか、銭湯までトボトボ出かける感じとか。
何より「今京都にいるんだ」という実感がいい。
色んな人に再会し、色んな下らない話を披露し、色んな悩みに共感し、少しだけビジネスの話をし、京都の各地を駆け回る。
うむ、人間らしくて良い。
そして気づいた。
こんな感じの生活がしたい。
この家を拠点に、時間の制約なく、気の赴くままに出かける。
少しだけ真面目な話をして、大半は下らない話にあてる。
見たい景色を見る。
食べたいものを食べる。
そんな暮らしがいい。
そして理解した。
それを世間では起業というのだ。
大学から感じていたことだが、僕はすぐ話をビジネスモデルに結びつけたりとか、やたら世界を変えたいという熱を持っている人達があまり好きではない。
おそらく根本的に合わないので、できるだけ距離を置くようにしている。
決して悪い人達ではないし、むしろ僕なんかより人間できていると思うけど、確実にベクトルが違うと感じるのだ。
ちょっと難しく言うと、彼らの考え方はトップダウン的で、まず莫大な理想を掲げてそこに酔いしれ、それをモチベーションとして頑張る。
一方で、僕はどちらかと言うとボトムアップ寄りの考え方だ。
本質的なことに集中し、正しい努力を積み重ねれば、それは商売としても大きな価値になるし、世の中へのインパクトにもつながる。
何だかんだベースとなる能力は必要だし、それを得るための地道な積み重ねこそが美徳だと思っている。モチベーションは純粋な反骨精神だ。
古臭いと言えば、古臭い。
どちらが正しくて、どちらが間違っているという議論をするつもりはない。
結果がすべてと言えばそれまでだ。
けれども、とにかくそういった考え方の違いがあり、その違いが僕のアイデンティティでもあった。
僕が人よりブレにくい要因の一つであったし、反骨精神の源泉にもなっていた。
そして、その自分と対極にいると思っていた彼らが一様に口にする単語。
それが「起業」ないしは「起業したい」だったのだ。
だから今まで僕は必要以上にその言葉を使うことを避けてきたし、事あるごとに「別に起業がしたいわけじゃないんだけど」と予防線を張り続けてきた。
そうすることで自分のアイデンティティを守ってきた。
けれども、認めよう。
今このタイミングが適切ではないかもしれないけれど、認めよう。
僕は、彼らと同じく、起業をしたいと思っている。
根本的な部分で色々違いはあるかもしれないけれど、起業したいという思いに関しては何も変わらない。
世の中をもし2つに分けるとしたら、確実に僕はそっち側だ。
そのことに気がついた。
そして、もう一つ最近気づいたことがある。
僕は商社のビジネスが好きだ。
黒木亮の「エネルギー」という本を読んで、実は商社って面白いんじゃないか、と思い始めたのがきっかけだけど、それがミャンマーに行って加速した。
未知なる環境に行き、様々な利害関係者を結びつけ、お互いの妥協できる範囲を探る。
常識的に考えて無理だ、頭がおかしいと思われることでも、案外やってみると上手くいき、そのスリルと達成感が半端ではない。
どうしても日本人の”商社”に対する目とか、とりあえず商社に行きたい人達とか、そのカルチャーとかが好きになれなくて、就職活動中もかけらも関心を示さなかったけど、今になって楽しそうだと思う。
そして向いていると思う。
相変わらず商社を取り巻く環境については好きになれないし、組織の為に頑張るという価値観は持てないと思うけど、色んなものをとっぱらってフラットな目で見ると、商社の仕事は本質的で面白い。
それはどうやら認めないといけないようだ。
商社なんてミーハーの塊でやりたいことのない人達の集まりだと思っていたけれど、中には本当に色々考えて商社という選択をした人もいるのかもしれない。
最近起こったこの二つの発見が将来結びつくのかどうかは、分からない。
けれども自分とは全く違う人達と案外近い位置に自分はいる、ということに気づいたのは大きな成長だ。
社会に出たからか、世界を旅しまくったからかは分からないが、いい意味で少し丸くなったように思う。
物事を先入観なしで見れるようになりつつあると思う。
でもやっぱり、僕のアイデンティティは少なからずまだ京都に残っていて、バランスのとれたカッコイイ大人になるのは、まだ無理なようだ。
「俺はただ文句を言いたいだけだ」と言い放ち、清々しいまでにあらゆる不満を口にする友人や、趣味のレベルを超えたITスキルを備えた友人や、鉄ヲタすぎて家に運転台を作ってしまったりする友人がいる。
どんな無茶を言っても「オッケー」の一言が返ってくる先輩がいて、どんな無茶を言っても嫌々引き受けてくれる後輩がいる。
バカみたいにニッチで深い次元で悩みを共有し、一緒にグダグダと時間を過ごせる優秀な同級生たちがいる。
僕は何かに追われず、自分の時間を生きている彼らが最高に好きだ。
世間の価値観など物ともせず、自分に嘘をつかず生きている彼らが最高に好きだ。
モラトリアムだから、と言ってしまえばそれまでだが、できればずっとこのままでいたい。
もし、それを可能にするために、僕が社長になる必要があるのなら、喜んで引き受けよう。
もし、それを実現するために、リスクを取る必要があるのなら、それをチャンスと捉えよう。
それぐらいの覚悟はできた。
そのために、ひとまず東京で頑張る。
Viva 京都
Q.E.D.
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