Mouton lab

Thai Paris Cairns Chendeu Siem reap

星に願いを

2017-03-27 01:25:19 | 北海道
淡路島に来ている。

何もない広大な土地と、仕事に追われることのない開放感から、半年前に北海道を旅した時のことを思い出した。

寒さに震えながら、満点の星空を眺めた時のことだ。

その時に少し書きかけていた文章を無造作に並び立ててみる。


好きなことがあって、嫌いなことがある。

聞きたい歌があって、聞きたくない歌がある。

心地よい風があって、不快な風がある。

なりたい自分がいて、そうでない自分がいる。

落ち着く街があって、騒々しい街がある。

会いたい人がいて、それほど会いたくない人がいる。

全部が全部、思い通りにはならない世の中だけど、ネガティブなことほど、あまり心に残らない。

不快な風も、騒動しい街も、最低なテストの結果も、大抵は忘れてしまう。

そういう意味で人間はよくできていると思う。

けれども、実はポジティブなこともネガティブなことと同じように、大抵は忘れてしまう気がするのだ。

北海道を旅していて、思った。

思い出は、人と共有して初めて思い出になるのだと。

音、匂い、質感、あるいは感情。

その時過ごした濃密な時間が、ふとした瞬間に蘇って、人生の一部となる。

そういうのを多分、世間では人生の充実というのだろう。

もちろん、そんな素晴らしいものはなかなか手に入らない。

むしろ色んな人と関われば、それだけ嫌な思いや悲しい感情を積み重ねることの方が多くなる。

逆に、ひとり遊びの充実やトラブルは話のネタになるし、精神的にも強くなれる。それはそれで人に評価されたり、興味を持ってもらったりするから、大切だ。

だから、一人で有意義な時間を過ごすことに対しては何の抵抗もない。

人と寄り添って生きる意味ってなんだろう、と時々考えてしまう。

僕は多分、自分と向き合う時間が人よりも多くて、それを許してくれる家族がいて、気の合う仲間がそれなりにいて、今現在心配事があまりない。

おそらく長い目で見ても楽しく幸せに生きていく自信はある。

やりたいことがいくらでも湧き出てくる気がする。

もちろん人並みに不安になったり、寂しかったりすることはあるけれど、そういったものとの付き合い方にあまりにも慣れすぎてしまった。

「強がる強さ」みたいな項目で序列をつけるなら、結構なトップエリートに属するのかもしれない。

もちろん人は一人で生きていけるわけではないけれど、自分の責任で生きる限りにおいては、何か一つ山を越えたような感覚がある。

でも、グチャグチャグチャグチャ考えて、三週ぐらい回って、やっぱり充実とか幸せって、人といてナンボじゃないかと思うのだ。

北の大地に行って、人間活動が生み出した余計なものを全部取っぱらって、ボーっとしてみて、やっぱりそうだと思ったのだ。

すごく稚拙な表現で恥ずかしけれど、なんだかんだでやっぱり人肌が恋しい。

寒いからとか、広いからとか、心が貧しいからとか、ニートだからというわけではなく、フラットに考えて、人肌が恋しい。

だから、これからも、多少なりとも無理をして、それなりに息抜きをして、人間らしい活動を継続していくんだと思う。

斜には構えるし、違うと思ったことははっきりと口にするし、相変わらず5人以上いる飲み会には参加しないだろうけれど、馬鹿にしていたり、嫌悪しているモノに対しても、ものは試しと言いながら、一度は接してみようと思う。





いいことを書いているようにも思うし、内容のない自意識過剰な文章のようにも思う。

一つ言えることは、ここに書かれていることは、自分の中でまだコアな部分として残り続けているようだ、ということだ。

むしろ、この半年でさらにストレスや不満がなくなり、自由度が高まり、人肌が恋しくなった。

自分の弱さを少しは人に見せられるようになったし、人の弱さにもちょっとだけ寄り添うことができるようになった。

まだまだ足りていない部分は沢山あるけれど、自分の進むべきレールが薄っすらと見え始め、半年前に比べて着実にその方向に歩を進目ている感覚はある。



そして、最近ふと気づいたことがある。


好きな人はいるけど、嫌いな人はあまりいない。


それが今の僕だ。


Q.E.D.

シンガポールは興奮する街だった

2017-03-24 20:08:25 | シンガポール
すっかりブログをご無沙汰してしまった。

会社を辞めたり、新しい職場が決まったり、家を解約して居候生活をしたり、会社を作ったり、旅に出たりと、いくらでも話のネタはあるのだが、逐一順番に書けないので、タイムスリップして現在に飛ぶことにする。

今はシンガポールからの帰りの飛行機の中だ。

会社を辞める予定が全くなかった今年の年明け、4月まで有給がとれないことを知り、そして4月以降もよほどのことがない限り有給がとれないであろうことに気づき、無意識に3月の三連休のチケットを買っていた。

多分、クレジットカードの番号を完璧に覚えてしまったのが良くないのだ。

あの「財布を開けてカードを取り出して、裏表をながめる」という手間がなくなってしまったら、一体どこで逡巡しろというのか。


三連休だから値上がりするに違いないと思い、慌てて買ったそのマレーシア経由シンガポール行きの往復チケットは、ニートになってから何度となく日程変更の危機にさらされたが、なんとか生き延び今に至る。

なぜシンガポールなのかというと、ASEANの中でまだ訪れたことがない国であったのと、マレーシアと変わらない値段で行けそうな、いやむしろ何故か安く行ける場所だったということが大きい。
言ってしまえば、安上がりなスタンプラリー的なノリでしかなく、そこに何かを期待していたわけではない。

なんとなく、物価が高くてキレイな国なんだろう。


あるとしても、それぐらいのイメージだった。

しかし結論から言ってしまえば、近年行った国の中でフランス以来の感動を味わうことができた。

私はシンガポールという国に魅了されてしまった。


大きく分けると、その理由は3つあると思う。


① 英語が通じる

「当たり前やろ、ボケー」という話だが、最近あまりに英語が通じない国ばかりに行っていたので、割と感動した。

Singlishといわれる独特のなまりがあると聞いていたが、そこまでひどいものではなく、むしろその英語力の高さはさすがネイティブである、と純ジャパ目線で思ってしまった。フィリピンがネイティブだというのとは随分違う。

英語だけで言えば、欧米の国の人はだいたいペラペラなのだが、シンガポールのすごいところは、中国語もペラペラだということだ。
地下鉄とかの窓口に行くと、だいたい中国語で話しかけられ”Sorry”と苦笑いするハメになる。

そら発展するわな。


② 思った通りに事が進む

これも近年の旅がいささか困難極まるものばかりだった影響もあるが、あらゆる物事がうまくいく。

空港に降り立ち、両替屋にいけばそこでsimカードを売ってくれ、それがすぐに接続でき、フラフラ歩いていると地下鉄の駅に到着し、なんとなく乗っていると、目的地がそのライン上にあることを知る。
宿にいけば自転車がタダで借りれ、デポジットは日本円もオーケー。
都心の飯屋は閉まっても、宿に帰る道の途中に、値段も味もちょうどいい店が営業している。

偶然な部分もあるのだけれど、これはきっと国自体がすごく合理的な考え方をしていて、それが国民に浸透しているせいだと思う。

両替屋とsimカードがセットになるのは、そこそこいいアイデアだと思うが、さらにすごいと思ったのは、simカードを買った代金をその両替した金額から引いてくれることである。
多分日本だったら、一度両替した金額を全部現金に替えた後に、その中から再びsimカードを購入するというフローになる。
会計処理がごっちゃになるからだ。
でもそれは店側の勝手な都合で、客からすると一緒にまとめてやってくれた方が助かる。

書いていて自分でもメチャメチャ細かい話だと思うが、着いて一発目のこの何気ないやり取りで、シンガポールという国が気に入ってしまった。

大体どこの国に行ってもデポジットはその国の通貨しかダメだと言われ、帰る直前に割と纏まった額の現地通貨を返却されて困るということも、この国では交渉次第でなんとなる。

飯屋を夜遅くに発見できるのも、観光客狙いの安上がりな屋台は、夜遅くまでやっているに違いないという予想ができるからであり、「合理的に考えれば、こうなっているに違いない」ということがあらゆる場面において実現されている。

それがとても心地よかった。


③ 多様性の集合体

人種のるつぼとは正にこのことだろう。

現地のシンガポール人自体が様々なルーツを持っている上に、駐在労働者や観光客などあらゆる人種が混ざっており、見ていて本当に面白い。

そして、それだけ多種多様ながらも「カオス」とはまた違った状態になっていることが感じられた。
これはもう本当に行ってみないと分からないのだが、ごちゃごちゃしていてもその中に一種の均衡が保たれているのだ。

あまり好きな言葉ではないが、その空間にいることに、そしてその未来を想像することに”ワクワク”してしまった。

そしてこの国に来て、全てが中途半端な東京にますます魅力を感じなくなってしまった。



ASEAN諸国をフラフラしている中で、一つ気がついた事がある。

それは、自分の日本人としてのアイデンティティはあまりないものの、アジア人としてのアイデンティティは結構あるかもしれないということだ。

アメリカは依然としてアメリカだが、シンガポールやその他のアジア諸国は自分にとって一地方都市にすぎない。
そんな感覚だ。


「シンガポール エンジニア」「シンガポール フリーランス」とかいうクエリをgoogle先生に投げまくりながら、シンガポールだけワーホリが25歳までだと知り、今なぜかそわそわし、妙に落ち着かない気分になっている。


Q.E.D.