旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

邦訳

2009年07月01日 21時51分42秒 | Weblog
読書を業とする学者や評論家たちとは違って凡俗が書籍を紐解き思索することができる自由な時間は限られている。だからわたしは将来読む時間が取れるようになるであろうその日に備えて懸命に蔵書(積読)しているのだ。冷静に考えてみると残された時間は自ずと減っているというのに蔵書の方は増え続けている。大いなる矛盾だ。

ヤフオク(ヤフー・オークション)に日本思想大系全67巻(岩波書店)が出品されていた。オークションの開始価格は24,800円だ。あの荘厳ともいえる体系の一冊あたりの単価が350円に満たない計算だ。結局ひとりの応札もなく入札は締め切られた。応札するべきかどうか悩んでいた。体系は既に20有余冊を蔵書している。厳選して購入したつもりである。悲しいかな神道や水戸学関係以外殆ど読んでいない有様だから応札を断念した。

来週からの就業が本の整理に入らなければならない時期が到来したことを告げている。これからしばらくは紐解く著作も絞り込んでいかざるをえない。それでも採用内定の通知が届いた安堵感から無性にアルベール・カミユの「反抗的人間」と「シジフォスの神話」を読み返してみたくなった。両者ともにわたしの労働観に大きな影響を与えた著作だ。

まず「反抗的人間」を本棚の隅から引っ張り出して読み始めた。最初から引っかかった。どのように読んでも和訳が酷い。過去に読んで感銘を受けた著作であるからすんなりと入ってくるものと思っていた。これが入ってこない。最初からつまずくのだ。

『反抗的人間とは何か?否(ノン)という人間である。しかし、拒否しても、断念はしない。最初の衝動から、諾(ウィ)という人間でもある。一生、命令を受けてきた奴隷が、突然、ある新しい命令を受け容れることができない、と判断する。この否(ノン)はいかなる内容をもっているか?』「第一章 反抗的人間」の書き出しである。

「一生、命令を受けてきた奴隷」が「ある新しい命令を受け容れることができない。」できなくなることはありえない。なぜなら、奴隷は一生、命令を受け続けて従い、そして死んだのだから。「一生、命令を受けてきた奴隷」という翻訳がこの喩の理解を妨げる。なぜカミユがかくも難解なのか。その原因は翻訳者の側にあると断じざるを得ない。若かりし頃は翻訳のこの曖昧さこのいい加減さを高尚な思想と勘違いするくらい浅薄な人間だったらしい。

カミユ全集を買うくらいなら日本思想大系を全巻揃えておけばよかったと若干後悔している。日本思想体系は原文も解説も注釈も日本語で書かれている。残念ながら原著を読む事ができるほどフランス語に強くはない、というよりもフランス語には疎い。サルトル・カミユの英訳を5・6冊もっている。邦訳で読むよりも英訳を読んだ方がはるかに解り易いと思うのは気のせいか?わたしの読書は岐路に立っている。

雇用問題

2009年07月01日 11時27分11秒 | Weblog
願望が肥大化してついに妄想かと危惧したくらいの採用内定だった。昨日、郵便が届いた。2度頬をつねってみた。痛かった。採用の内定は現実のものだった。安堵した。

昨日のニュースはしきりに雇用環境の悪化を伝えている。正社員の有効求人倍率は20%に近い。10人の求職者に対して2人分の正社員の求人しかないということだ。

ところが最近になって「空求人」が問題になっている。ハローワークに求人は出しているが雇用する気がないと判断せざるを得ない求人を空求人というらしい。

その「空求人」を考慮すると、雇用環境はさらに悪い。深刻である。昨日の報道によると、広島県の先月の有効求人倍率は54%だそうだ。この数字には非正規社員の求人も含まれている。

これでは近い将来に、いくら意欲があっても仕事に就けない人が街にあふれてしまう。