旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

『生活の貧しさと心の貧しさ』

2010年12月30日 10時42分06秒 | Weblog
「真理への畏敬」のなかで大塚久雄は、
「一番大切なのは真理を知る人々が、何よりも真理ご自身を知り続けなければならないということ。それから、その真理を知っている人々がその真理を伝え続けるばかりでなく、みずから地の塩となって、踏みつけられながらも、世の腐敗を止めるという役割を果たすために少しでも努力し、働き続けなければならないということ。まことに平凡なことがらであり、また古くから言われていることでありますが、私はやはりこのことが最小限の必要事である。ともう一度はっきりと言わなければならない。そしてそのために、われわれは日々新たな決心をもって努力し続けるべきだということなのであります。」と説いている。

大塚はクリスチャンだから聖書をよりどころとしている。
「生活の貧しさと心の貧しさ」のなかでは、
「障害を持っているということは何ら自分の責任ではないわけなんです。私、一昨年の夏、ある田舎道を松葉杖でひょっこひょっこ歩いておりました。すると、お婆さんが、小さな子供を連れて向こうから来まして、私の方を指して何か言っている。何を言っているのだろうと思って聞いていますと、『おいたをしちゃいけませんよ、お婆さんのいうことを聞かないで悪いことばかりしている人が、ああいうふうになるんだよ。』こう言っているいるんです。」と自身の経験を語っている。

「心の貧しさについて」
米国聖書協会 GOOD NEWS BY A MAN NAMED MATTHEW (マタイによる福音書)ではThe Sermon on the Mount (山上の垂訓)として知られる、”Happy are those who know they are spiritually poor:the Kingdom of heaven belongs to then!”「心貧しきひとびとは幸いである、天国はかれらのものだから。」で知られる。"be spiritually poor"の翻訳は「心貧しきひとびと~」では弱い。私見では「霊的に恵まれないひとびと~」の方が日本語表現としては適切だ。

1961~1976年のほぼ15年における講演・対談・小文を集めた「生活の貧しさと心の貧しさ」から大塚の心象を読み取ることができる。最近も途中で放り出した「プロテスタンティズムの倫理とプロテスタンティズムの精神」を読み直してみようと思う。またかれの小論を読むにつけ、論理的には相反すると思われる儒学のテキスト「大学」でいう致良知に近い何かを感じたのは気のせいか?大塚久雄は著名な歴史学者で、ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の翻訳者として知られるほかにマルクス研究、ヴェーバー研究の分野で大塚理論と称される独自の理論を展開した。


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