花音を捜す旅は、簡単なものではなかった。
父が華族会館に問い合わせてくれた資料はあるものの、孝哉が信州に到着した時、朝倉公爵一家はすでに立ち去った後だった。
行き先は分からない。
また振り出しに戻って、捜し直しだった。
あっという間だったのか、それとも気の遠くなるような時の長さだったのか。それは孝哉本人にも分からない。
似た人を見た、会ったと云われれば出向いて行った。その度に違っていたり、遅かったりの繰り返し。
いつしか家を出て半年が過ぎていた。
そして手掛かりは、思わぬところからみつかった。
孝哉は、急ぎ汽車に乗る。
今度こそ花音に逢えますように、と何時ものように願掛けをして。
そこは季節外れの軽井沢だった。
夏の避暑の季節には多くの人出で賑わうが、冬を目前にした今は閑散としていた。
別荘も殆ど人の出入りはなく、時折、管理を任されている人に会うくらいだった。
此処に朝倉家の別荘はない。華族とはいっても、軽井沢に別荘まで持っているのは余程の家だろう。多くの華族は伊豆へ行きたがっていたし、軽井沢は少し不便なところだと感じていたから。
しかし花音は此処にいる。
この別荘数十軒のなかの、何処かに必ず。
駐在に聞いても要領を得ないので、結局、孝哉は自分の足で一軒一軒歩いて廻ることにした。
また入れ違ってしまったら、と不吉な予感が頭をよぎる。
しかし、これしかないのだと弱気になる気持ちを奮い立たせた。
軽井沢に来て四日目、そろそろ雪が降ってきてもおかしくない冷え込みになってきた。
野宿するにも限界はある。
そうなるとホテルに宿泊することを考えなければならない。
ホテルまでの往復の時間や金銭的にも無駄が増える。
空を見上げると、快晴だ。
雪雲がこなければいいのに…
孝哉の弱気な呟きも、今日の天気には有効なようだ。
午後になって数軒、鍵の開いている別荘があったものの、何処も別荘荒らしの類に鍵を壊されたようだった。
そこを離れ更に奥へと歩いてゆくと、小さな湖のような処へ出た。
深い緑色。
きっと孝彌なら、もっと綺麗な名前の色を云うだろう。
白樺に囲まれた、楕円の湖。
森の奥のわりには木々が伐りこんである。きっと近くに別荘があるのだろう。
孝哉は、その別荘を目指し歩き始めた。
その時だった。
微かだが、枝の折れる音がした。
孝哉は、誰かいるのかと思い振り向いた。
すると、そこには見知らぬ老婆が立っていた。
「誰だ」
老婆の口調には、警戒と威圧が含まれている。
「人を捜しています。この辺りに、三枝子爵の別荘はありませんか」
「三枝様の知り合いか」
老婆の言葉に、安堵がみえる。
「直接は知りません。そちらに朝倉公爵の人間が世話になっていると聞いてきたんです」
聞きながら孝哉は懐中から、壱円札を数枚取り出して老婆に握らせた。
彼女は一瞬驚いた表情を見せたものの、それが紙幣だと分かると素早く袂へ片付けた。
「この先に大きな樫の木がある。そこを左に折れて行くと三枝様の別荘だ。二月くらい前からどこかの華族が来て厄介になってるよ」
それだけを云うと、金を返せと云わせたら大変だとばかりに急いで立ち去った。
孝哉の云う“ありがとう”は老婆の耳には届いていないだろう。
漸く手繰り寄せた縁。今度こそ間違いない。
「今、逢いにゆくから」
孝哉は改めて荷物を背負い、花音への第一歩を踏み出した――。
To be continued
※この物語はフィクションです。
登場する人物名・団体等は実在のものとは関係ありません。
父が華族会館に問い合わせてくれた資料はあるものの、孝哉が信州に到着した時、朝倉公爵一家はすでに立ち去った後だった。
行き先は分からない。
また振り出しに戻って、捜し直しだった。
あっという間だったのか、それとも気の遠くなるような時の長さだったのか。それは孝哉本人にも分からない。
似た人を見た、会ったと云われれば出向いて行った。その度に違っていたり、遅かったりの繰り返し。
いつしか家を出て半年が過ぎていた。
そして手掛かりは、思わぬところからみつかった。
孝哉は、急ぎ汽車に乗る。
今度こそ花音に逢えますように、と何時ものように願掛けをして。
そこは季節外れの軽井沢だった。
夏の避暑の季節には多くの人出で賑わうが、冬を目前にした今は閑散としていた。
別荘も殆ど人の出入りはなく、時折、管理を任されている人に会うくらいだった。
此処に朝倉家の別荘はない。華族とはいっても、軽井沢に別荘まで持っているのは余程の家だろう。多くの華族は伊豆へ行きたがっていたし、軽井沢は少し不便なところだと感じていたから。
しかし花音は此処にいる。
この別荘数十軒のなかの、何処かに必ず。
駐在に聞いても要領を得ないので、結局、孝哉は自分の足で一軒一軒歩いて廻ることにした。
また入れ違ってしまったら、と不吉な予感が頭をよぎる。
しかし、これしかないのだと弱気になる気持ちを奮い立たせた。
軽井沢に来て四日目、そろそろ雪が降ってきてもおかしくない冷え込みになってきた。
野宿するにも限界はある。
そうなるとホテルに宿泊することを考えなければならない。
ホテルまでの往復の時間や金銭的にも無駄が増える。
空を見上げると、快晴だ。
雪雲がこなければいいのに…
孝哉の弱気な呟きも、今日の天気には有効なようだ。
午後になって数軒、鍵の開いている別荘があったものの、何処も別荘荒らしの類に鍵を壊されたようだった。
そこを離れ更に奥へと歩いてゆくと、小さな湖のような処へ出た。
深い緑色。
きっと孝彌なら、もっと綺麗な名前の色を云うだろう。
白樺に囲まれた、楕円の湖。
森の奥のわりには木々が伐りこんである。きっと近くに別荘があるのだろう。
孝哉は、その別荘を目指し歩き始めた。
その時だった。
微かだが、枝の折れる音がした。
孝哉は、誰かいるのかと思い振り向いた。
すると、そこには見知らぬ老婆が立っていた。
「誰だ」
老婆の口調には、警戒と威圧が含まれている。
「人を捜しています。この辺りに、三枝子爵の別荘はありませんか」
「三枝様の知り合いか」
老婆の言葉に、安堵がみえる。
「直接は知りません。そちらに朝倉公爵の人間が世話になっていると聞いてきたんです」
聞きながら孝哉は懐中から、壱円札を数枚取り出して老婆に握らせた。
彼女は一瞬驚いた表情を見せたものの、それが紙幣だと分かると素早く袂へ片付けた。
「この先に大きな樫の木がある。そこを左に折れて行くと三枝様の別荘だ。二月くらい前からどこかの華族が来て厄介になってるよ」
それだけを云うと、金を返せと云わせたら大変だとばかりに急いで立ち去った。
孝哉の云う“ありがとう”は老婆の耳には届いていないだろう。
漸く手繰り寄せた縁。今度こそ間違いない。
「今、逢いにゆくから」
孝哉は改めて荷物を背負い、花音への第一歩を踏み出した――。
To be continued
※この物語はフィクションです。
登場する人物名・団体等は実在のものとは関係ありません。