孝哉は頭を抱えた。
会わせることはできないとは、もう二度と逢えないという意味だろうか。
やはり人妻となった花音への横恋慕としか思われていないのか。
勢い勇んで来た。
見つけさえすれば逢えると思っていた。
しかし甘かったようだ。
母の言葉が蘇る。
『花音の立場が判っていますか。花音を捜し出してどうするお心算ですか』
遠くからでもいい、生きている花音に逢えたら。
ふと、そんなことも考えた。
しかし、それでは駄目だ。
どんな形であれ、見守ってゆきたい。
夫婦でなくてもいい。花音の人生に関わっている人間でありたい。
孝哉は顔をあげた。
「孝哉君、小さな花音を救ったことがあるそうですね」
朝倉公爵の話は、そんな言葉から始まった。
朝倉家に一人の男が訪れたのは、例の鹿鳴館でのパーティーから数日たった頃だった。
その男は初瀬家と云い、込み入った話を持ちこんできた。
本題は簡単だ。
姉小路家の花音という少女を甥の嫁に欲しいと。
しかし縁もゆかりもない自分では、断わられるに決まっている。だから先代の時の縁に縋り、朝倉公爵家に嫁としてきてもらいたいと話した。
自分は英吉利の混血で、甥にも日本人の血が流れているという。
婚儀までに朝倉家の養子にしてもらってもいいということだった。
「我が家は跡取りがいなくてね。つい、その話に乗ってしまった」
公爵はそう云うと、渋い表情を見せる。
その顔は孝哉には後悔しているように見えた。
初瀬家はすぐに甥を連れてやって来た。持参金は莫大なものだった。
いくら公爵と息巻いても、働き手がいなければ収入は限られる。朝倉家の内情を知っているとしか思えないその金額に怪しい思いを抱いたものの、姉小路家との縁もできれば華族としての面目を保っていられる、と浅墓にも思ってしまった。
初瀬家は来るたび莫大な金を運んできた。
次第に麻痺していった感覚に、遂に初瀬家の申し出を受けることとなった。
甥は士朗といって悪い人間には見えなかったし、何より朝倉の養子となれば公爵自身で育ててゆくことができる。
悪い話ではないと思った。
そして、あの縁談話だった。
ちょうど花音は社交界に出たばかりで、その瞳を金銀妖眼と喩えられ混血であることを噂されていた。
相手も混血だから花音にはいいだろうという話もあった。
「私も最初に会った時、意外と似合いの夫婦になるんじゃないかと思ったよ」
花音は人形のように綺麗だった。姉小路家からの預かり者と同じ。花音が不満を云えば縁は壊れる。
だから花音が逃げ出さないように、心を尽くしたと公爵は云った。
しかし、その話は孝哉には拷問のようにしか聞こえなかった。
「花音は生きている人間です。人形ではありません。どうしてそんなことを」
孝哉は思わず言葉にしてしまった。
毎日、誰とも話すことなく食事も一人。家事もさせない。用事もさせない。それで花音は生きていたといえるのか。
再び母の言葉が蘇る。
『あの子は生きていました。嫁ぎ先で孝哉のいないその場所で』
知っていたんだ、本当は。
あの嫁ぐ前の夜に、花音が孝哉に抱かれたことを。
叫びだしそうな衝動にかられた。
もし目の前に公爵がいなければ、きっと暴れまわっただろう。
自制するのが精一杯の孝哉に、公爵は追い討ちをかける。
「士朗は一度も花音と寝室を共にすることはなく会話もなかった。結婚前から外に女のいることが分かって、何とか手を切るように説得したが無駄だった。そして朝倉の名前と爵位を手に入れ出ていった」
公爵の話は、まだ続く。
「夜も更けた。続きは明日にしよう」
孝哉に否定することはできなかった。
To be continued
※この物語はフィクションです。
登場する人物名・団体等は実在のものとは関係ありません。
会わせることはできないとは、もう二度と逢えないという意味だろうか。
やはり人妻となった花音への横恋慕としか思われていないのか。
勢い勇んで来た。
見つけさえすれば逢えると思っていた。
しかし甘かったようだ。
母の言葉が蘇る。
『花音の立場が判っていますか。花音を捜し出してどうするお心算ですか』
遠くからでもいい、生きている花音に逢えたら。
ふと、そんなことも考えた。
しかし、それでは駄目だ。
どんな形であれ、見守ってゆきたい。
夫婦でなくてもいい。花音の人生に関わっている人間でありたい。
孝哉は顔をあげた。
「孝哉君、小さな花音を救ったことがあるそうですね」
朝倉公爵の話は、そんな言葉から始まった。
朝倉家に一人の男が訪れたのは、例の鹿鳴館でのパーティーから数日たった頃だった。
その男は初瀬家と云い、込み入った話を持ちこんできた。
本題は簡単だ。
姉小路家の花音という少女を甥の嫁に欲しいと。
しかし縁もゆかりもない自分では、断わられるに決まっている。だから先代の時の縁に縋り、朝倉公爵家に嫁としてきてもらいたいと話した。
自分は英吉利の混血で、甥にも日本人の血が流れているという。
婚儀までに朝倉家の養子にしてもらってもいいということだった。
「我が家は跡取りがいなくてね。つい、その話に乗ってしまった」
公爵はそう云うと、渋い表情を見せる。
その顔は孝哉には後悔しているように見えた。
初瀬家はすぐに甥を連れてやって来た。持参金は莫大なものだった。
いくら公爵と息巻いても、働き手がいなければ収入は限られる。朝倉家の内情を知っているとしか思えないその金額に怪しい思いを抱いたものの、姉小路家との縁もできれば華族としての面目を保っていられる、と浅墓にも思ってしまった。
初瀬家は来るたび莫大な金を運んできた。
次第に麻痺していった感覚に、遂に初瀬家の申し出を受けることとなった。
甥は士朗といって悪い人間には見えなかったし、何より朝倉の養子となれば公爵自身で育ててゆくことができる。
悪い話ではないと思った。
そして、あの縁談話だった。
ちょうど花音は社交界に出たばかりで、その瞳を金銀妖眼と喩えられ混血であることを噂されていた。
相手も混血だから花音にはいいだろうという話もあった。
「私も最初に会った時、意外と似合いの夫婦になるんじゃないかと思ったよ」
花音は人形のように綺麗だった。姉小路家からの預かり者と同じ。花音が不満を云えば縁は壊れる。
だから花音が逃げ出さないように、心を尽くしたと公爵は云った。
しかし、その話は孝哉には拷問のようにしか聞こえなかった。
「花音は生きている人間です。人形ではありません。どうしてそんなことを」
孝哉は思わず言葉にしてしまった。
毎日、誰とも話すことなく食事も一人。家事もさせない。用事もさせない。それで花音は生きていたといえるのか。
再び母の言葉が蘇る。
『あの子は生きていました。嫁ぎ先で孝哉のいないその場所で』
知っていたんだ、本当は。
あの嫁ぐ前の夜に、花音が孝哉に抱かれたことを。
叫びだしそうな衝動にかられた。
もし目の前に公爵がいなければ、きっと暴れまわっただろう。
自制するのが精一杯の孝哉に、公爵は追い討ちをかける。
「士朗は一度も花音と寝室を共にすることはなく会話もなかった。結婚前から外に女のいることが分かって、何とか手を切るように説得したが無駄だった。そして朝倉の名前と爵位を手に入れ出ていった」
公爵の話は、まだ続く。
「夜も更けた。続きは明日にしよう」
孝哉に否定することはできなかった。
To be continued
※この物語はフィクションです。
登場する人物名・団体等は実在のものとは関係ありません。