第2次世界大戦開始直後(1939年9月)ドイツ軍はポーランドに突如として侵攻し、ユダヤ人には、ダビデの星の腕章をつけろと命令した。
2002年ユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの自己体験記
『ある都市の死』を題材にした『戦場のピアニスト』という映画が完成し封切られた。
ポーランドに侵攻してきたドイツ、一変して生活が変わってしまったピアニストのシュビルマンの家族。1年後にはゲットーへの強制移住、その半年後には家畜用の貨車に乗せられ、強制労働地へ送られるのだが、一人ピアニストだけ、ユダヤ人警察官に逃亡できるようにしてもらい、パルチザンに匿われながら、隠れ家を転々とし、最後にドイツ軍将校に見つかってしまうのだが、彼の前でピアノ演奏したことで助けられ、ソ連軍が掃討戦で駆けつけてくるまで、屋根裏に隠れていた。
映像は戦後のコンサートホールで、ピアノ演奏しているところで終わる。
戦後もワルシャワで暮らし、ピアニストのシュビルマンは、2000年7月に88才で亡くなった.
戦後ドイツの将校は、ソ連の捕虜収容所に送ら1952年に収容所で病死したという。
一方今、イスラエルは、パレスチナを占領し、アパルトヘイト壁を作り、経済封鎖をやり、無差別に爆撃を繰り返し、そして大量虐殺をやってのけている。
イスラエルは、そのほとんどがヨーロッパからの移民で占められている。だから欧米諸国は、イスラエルを中東の一員というよりも、ヨーロッパの一員と思っている人もかなり増えてきたようだ。イスラエルの蛮行を止める最初の手立てが停戦だった。フランスが調停を買って出たが、イギリスは知らん顔だった。
心あるユダヤ人は、イスラエル国民になることを頑なに拒み続けているという。
不思議なことがある、栄枯盛衰はどこの地でもあったことで、しかしそのことを『ユダヤ』ということを子々孫々に伝えてくることが、果たしてどのように行われてきたのか。
ゲットーのときもそうだ、ポーランド人なのに、私はユダヤ人だと言い続けて来られた根拠はいったいどこにあったのだろう。