■2021.8。21~2021.9.20作品
◆獅子吼十二月号の「踏青」欄に掲載予定(3~5句)
七句投句のうちで五句または四句、出来が悪ければ三句の掲載となります。
この二か月三句掲載が続いて少しへこんでいます。
朝鈴や夢の記憶は途絶へたる
・季語 草雲雀(初秋)
朝涼ではなく朝鈴。草雲雀という秋の虫です。
と勝手に思い込んでいるのかもしれませんが、夜も朝もフィリリと優しく聞こえます。
草の花其々に其の名前あり
・季語 草の花(三秋)
この時期になると、道端や空地のさまざまな草に花が付きます。
名も知らぬ花にGoogleレンズを当てるとすぐさま名前が出るので驚き。
名前が分かった途端に、ただの草花がいとおしい草花に変わります。
突然の火の手つくつく法師より
・季語 法師蝉(初秋)
ツクツクボウシの鳴き方は本当に突然です。
ヒグラシとは対照的にけたたましく、気が済むとピタッと鳴き止んで。
勝手な奴という印象。
日も月も一つ重ねて秋の声
・季語 秋の声(三秋)
長い長い梅雨が過ぎ、暑い暑い夏が過ぎてようやく秋に。
秋に声は無いけれど、秋の声というと、秋そのものと感じませんか。
薩摩薯畑の笑顔鍬を手に
・季語 薩摩薯(仲秋)
ふと思い出した記憶の中の一風景です。
親父は線路沿いの荒れ地を耕して畑を作り薩摩芋を作っていました。
収穫期になると伸びた蔓を潔く全部めくって小豆色の薯を掘り出す作業。
鍬の上に手を載せて笑顔を見せていた一枚のスナップ写真は、どこかにあるのか。
天の川渡らぬうちに失せしもの
・季語 天の川(三秋)
天の川を渡ろうとするのは彦星、待っているのは織姫。
彦星が恋しい姫のもとに向かう途中で、失くし物をしてしまった。
失くしたものは何だったのか・・・。自分でもよく分からない句です。
正確に暦を読めり彼岸花
・季語 彼岸花(仲秋)
彼岸花が咲くと毎年この感慨を持ちます。
お彼岸が近づくと突然降って湧いたかに、畦道などに現れる赤い花。
葉っぱもないので咲き方が唐突です。咲いたとたんに誰の眼にも鮮やか。
◆獅子吼十一月号の「一つ葉集」に掲載予定(1~3句)
三句投句のうちで三句または二句、出来が悪ければ一句の掲載となります。
六月と七月は二句掲載で気をよくしたら、八月と九月は一句掲載となりました。
雲漢の老いたるベテルギウスかな
・季語 雲漢(三秋)・・・天の川のこと
アンドロメダ星雲の中でひときわ輝くベテルギウス!だそうですが、
星に疎い私の眼にはどれがベテルギウスかは全く分かりません。(無責任!)
このベテルギウス、そろそろ寿命が尽きるというのが最新の研究で分かったとか。
早朝の空の機影も秋の声
・季語 秋の声(三秋)
爽やかな朝の空に飛行機雲が伸びています。
ここでも秋の声が聞こえてきた。
葛の葉に庭仕事の手拭ひをり
・季語 葛の葉(三秋)
散歩でいつも行き逢う人が、空地の草むしりをして来たと言いつつ、
朝露に濡れた葛の葉で、手をぬぐっていた瞬間を捉えました。
手拭いが無い時にはこんなやり方もあるんか~。少し野性的。
◆獅子吼十二月号の「踏青」欄に掲載予定(3~5句)
七句投句のうちで五句または四句、出来が悪ければ三句の掲載となります。
この二か月三句掲載が続いて少しへこんでいます。
朝鈴や夢の記憶は途絶へたる
・季語 草雲雀(初秋)
朝涼ではなく朝鈴。草雲雀という秋の虫です。
と勝手に思い込んでいるのかもしれませんが、夜も朝もフィリリと優しく聞こえます。
草の花其々に其の名前あり
・季語 草の花(三秋)
この時期になると、道端や空地のさまざまな草に花が付きます。
名も知らぬ花にGoogleレンズを当てるとすぐさま名前が出るので驚き。
名前が分かった途端に、ただの草花がいとおしい草花に変わります。
突然の火の手つくつく法師より
・季語 法師蝉(初秋)
ツクツクボウシの鳴き方は本当に突然です。
ヒグラシとは対照的にけたたましく、気が済むとピタッと鳴き止んで。
勝手な奴という印象。
日も月も一つ重ねて秋の声
・季語 秋の声(三秋)
長い長い梅雨が過ぎ、暑い暑い夏が過ぎてようやく秋に。
秋に声は無いけれど、秋の声というと、秋そのものと感じませんか。
薩摩薯畑の笑顔鍬を手に
・季語 薩摩薯(仲秋)
ふと思い出した記憶の中の一風景です。
親父は線路沿いの荒れ地を耕して畑を作り薩摩芋を作っていました。
収穫期になると伸びた蔓を潔く全部めくって小豆色の薯を掘り出す作業。
鍬の上に手を載せて笑顔を見せていた一枚のスナップ写真は、どこかにあるのか。
天の川渡らぬうちに失せしもの
・季語 天の川(三秋)
天の川を渡ろうとするのは彦星、待っているのは織姫。
彦星が恋しい姫のもとに向かう途中で、失くし物をしてしまった。
失くしたものは何だったのか・・・。自分でもよく分からない句です。
正確に暦を読めり彼岸花
・季語 彼岸花(仲秋)
彼岸花が咲くと毎年この感慨を持ちます。
お彼岸が近づくと突然降って湧いたかに、畦道などに現れる赤い花。
葉っぱもないので咲き方が唐突です。咲いたとたんに誰の眼にも鮮やか。
◆獅子吼十一月号の「一つ葉集」に掲載予定(1~3句)
三句投句のうちで三句または二句、出来が悪ければ一句の掲載となります。
六月と七月は二句掲載で気をよくしたら、八月と九月は一句掲載となりました。
雲漢の老いたるベテルギウスかな
・季語 雲漢(三秋)・・・天の川のこと
アンドロメダ星雲の中でひときわ輝くベテルギウス!だそうですが、
星に疎い私の眼にはどれがベテルギウスかは全く分かりません。(無責任!)
このベテルギウス、そろそろ寿命が尽きるというのが最新の研究で分かったとか。
早朝の空の機影も秋の声
・季語 秋の声(三秋)
爽やかな朝の空に飛行機雲が伸びています。
ここでも秋の声が聞こえてきた。
葛の葉に庭仕事の手拭ひをり
・季語 葛の葉(三秋)
散歩でいつも行き逢う人が、空地の草むしりをして来たと言いつつ、
朝露に濡れた葛の葉で、手をぬぐっていた瞬間を捉えました。
手拭いが無い時にはこんなやり方もあるんか~。少し野性的。
「朝鈴や」「日も月も」…素敵な句が続きます。
そろそろ寿命が尽きるという話ですが何百年、何千年という事なんでしょうか。素養のない私にはわかりません。
知らず知らずのうちに
心は秋の空気に影響を受けているんでしょうね。
星ではない僕たちの寿命はあと10年20年、いや5年7年・・・。やりたいことをやって、何てことは思いませんが、読みたい本を読み、見たい映画を見て、会いたい友人に会うような、普通の生活がしたいですね。
こんな何でもないことが年を取ると貴重になってくることを年を取るまではわからない!
何でもないことがなんでもなく出来る事程有難い事はないと年を取った今痛切に感じています。
時々会うおばさんと今朝も出会い、ちょっとした会話をしました。大久手池のデッキウオークでかかと落し50回とか、腰痛改善のためにいろいろやっていると話てみえました。自分も少し元気をもらい、後ろ歩きをしたりジョギングをしたり、活発に歩いてみました。
こんな普通の生活に感謝ですね。