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逸話豊富な”中屋助左衛門”の作銘を、直に見る事ができた!
「会津打ち刃物保存会」を設立すべく活動していらっしゃる
山内正行氏が、数回のメールやり取りの後に「今日の都合は?」と
在住の東京から若松入りしていての、電話だった。
そして手に取ることが出来た、助左衛門鋸。
(この一枚は、フォトグラファー 山内正行氏・撮影)
頭部がわずかに失くなっていたが、推測するに 刃渡りは 8寸。
この形状は 枝切り鋸か?
いや、絶対に違う!
上部に見えるギザギザは、1寸に10本目数の伝左衛門の枝切り鋸。
この鋸は 11本目数。 ,,,,, それなら間違いなく枝切り鋸だろう と
思いたくなる気持ちは、分かる。
しかし!
銘を切ってある マチ部分の形状を科学してみて下さい。
左側の 湾曲。 銘の右側の隙幅。
常識的切銘は マチの中央に鏨を打ちます。
目立てを数十回も繰り返した事で、横挽き側が 一寸ほど、狭くなった。と
考えるべきでしょう。
では、鋸の中央から左側は、どうだったのか?
マチの湾曲から推測できるのは、「刃が在った」です。
僅かに残っていた、根拠になります。
その刃が、縦挽きだったか、横挽きだったか?は決め付けられません。
縦挽きだったが不要だから、また大きな損傷ができたから 、、、で
切り取った事は、私の体験からでも考えられます。
そこで山内氏からの疑問が「この時代に両刃鋸が使われていたのか?」。
面白いですねぇ!!
定説が覆るヒントを持っている鋸が、
・オークションサイトに出品されていなかったら、
・抱き合わせ出品の画像から「助左衛門」を読み取りが出来なかったら、
・職人仕事に関心を持ち、打ち刃物に興味を持っている人の目に付かなかったら、
・画像の中の、出品者がメインとした鋸は要らないが「これを!」と
落札した、出品者からみたら「変な人」になる人が居なかったら、
何十年にも渡り、くず鉄として処分されていた大量の鋸と同じ運命だったでしょう。
そう思いつつ柄を片手に持ち、全体くまなく眼を遣ると感動したのですよ!
汚らしい仕事場に足を運んで下さった、山内正行氏に 感謝。
「助左衛門」とタガネを運び打ちした鋸鍛冶大先輩に 感謝。
お別れのタイミングで「居酒屋地酒」が出た。
もしかすると、難しいが十和田からの方と同席できるかも,,,,
苦手な暑い夏を乗り切れなかったら、どうにもならんぞ ! hai
口外しなければ、<無>になってしまいますが、どなたかの意識に入れば<残>に成る、との思いです。
こちらこそ、宜しくお願いいたします。
伝左衛門さんにお見立ていただいたことにより、怪しかった助左衛門の価値が私の中で数倍高まりました。
なにより、伝左衛門さんの柔軟な発想に驚きました。
本当に見捨てられていたかもしれない助左衛門鋸が、まさか両刃鋸の歴史をさらに遡らせる証拠の鋸になり得るのだ、という大胆かつ新鮮で柔らかな発想を持って居られることにビックリし、伝統を引き継いでいる鋸職人の自信と誇りを目の当たりにしたようで、感動しました。さすがでした。
訪問して本当に良かったと帰りの車を運転しながら思いました。
次はぜひ会津地酒を前にしてお話しできたら、と今から楽しみです。宜しくお付き合いください。