△タワーロンドン
・「私はイギリス人か」の話
日本での異国人(この場合、白人を指す)は、見立つ存在であった。しかしロンドンに於ける日本人である私は、そんなに目立つ存在に感じられなかった。
ロンドンには色々な人種が住んでいた。特に目立ったのがアフリカ人(どこのアフリカ人分らなかった)、インド人、パキスタン人等であった。やはり多くの植民地を獲得していた、或は、七つの海を征服した過去の栄光の影響なのであろう。
そのお陰か、私に対し最初から、「何人か」と聞かれた事は1度もなかったし、私も意識して日本人である、と言う事もなかった。
そんな理由からか街を歩いていると、私の顔、意識も自分自身イギリス人であるかの様に錯覚する時もあった。部屋に帰って鏡に映る自分の顔を見たら、どことなくイギリス人の顔に成りつつあると感じられた。
・ギリス人の質素・経済的(ケチ)な話
イギリス人をケチに感じたのは、間違いであろうか。パブでの彼等はビールを飲むのではなく、時間をかけて舐めるように少しずつ飲んでいた。彼等はビールを飲みに来るのではなく、安く時間を潰せてお喋りしに来ている、と私は判断した。
それから、イギリス人のタバコの吸い方だ。彼等の吸い方は、「もう吸えません」となる様な根元まで吸って、半分程度なら捨てずに元の煙草入れに戻し又、後で吸うのであった。その証拠に、街を歩いていても半分程度吸った吸殻は、落ちていなかった。落ちているのは、殆ど根元まで吸った吸殻であった。タバコが高い所為か、ケチな吸い方をしているのであった。中には刻みタバコを買って、自分で紙を巻いて吸っていた。
まだある。彼等の買物は念が入っていた。高い物を買う訳ではないのに品物選びに時間をかけていた。イギリス人は安くて良い物を選ぶ、経済的な国民でした。
又、買うお金がないのならいざ知らず、ヨレヨレのコートや服を着ている人がやけに多かった。一部を見て全体的な判断は良くないが、何となく質素倹約的、悪い言い方をすれば、ケチの様にも見えた。イギリス経済は斜陽化し、服も買えなくなってしまったのか。