YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

私が見た事・感じた事 in London~「私はイギリス人か」の話とギリス人の質素・経済的(ケチ)な話

2021-10-06 21:28:40 |  「YOSHIの果てしない旅」 第6章 ロンドン滞在
    △タワーロンドン

・「私はイギリス人か」の
 日本での異国人(この場合、白人を指す)は、見立つ存在であった。しかしロンドンに於ける日本人である私は、そんなに目立つ存在に感じられなかった。
 ロンドンには色々な人種が住んでいた。特に目立ったのがアフリカ人(どこのアフリカ人分らなかった)、インド人、パキスタン人等であった。やはり多くの植民地を獲得していた、或は、七つの海を征服した過去の栄光の影響なのであろう。
 そのお陰か、私に対し最初から、「何人か」と聞かれた事は1度もなかったし、私も意識して日本人である、と言う事もなかった。
 そんな理由からか街を歩いていると、私の顔、意識も自分自身イギリス人であるかの様に錯覚する時もあった。部屋に帰って鏡に映る自分の顔を見たら、どことなくイギリス人の顔に成りつつあると感じられた。

・ギリス人の質素・経済的(ケチ)な話
 イギリス人をケチに感じたのは、間違いであろうか。パブでの彼等はビールを飲むのではなく、時間をかけて舐めるように少しずつ飲んでいた。彼等はビールを飲みに来るのではなく、安く時間を潰せてお喋りしに来ている、と私は判断した。
それから、イギリス人のタバコの吸い方だ。彼等の吸い方は、「もう吸えません」となる様な根元まで吸って、半分程度なら捨てずに元の煙草入れに戻し又、後で吸うのであった。その証拠に、街を歩いていても半分程度吸った吸殻は、落ちていなかった。落ちているのは、殆ど根元まで吸った吸殻であった。タバコが高い所為か、ケチな吸い方をしているのであった。中には刻みタバコを買って、自分で紙を巻いて吸っていた。
 まだある。彼等の買物は念が入っていた。高い物を買う訳ではないのに品物選びに時間をかけていた。イギリス人は安くて良い物を選ぶ、経済的な国民でした。
 又、買うお金がないのならいざ知らず、ヨレヨレのコートや服を着ている人がやけに多かった。一部を見て全体的な判断は良くないが、何となく質素倹約的、悪い言い方をすれば、ケチの様にも見えた。イギリス経済は斜陽化し、服も買えなくなってしまったのか。


私が見た事・感じた事 in London~テレビの話と酒場の種類の話

2021-10-06 08:35:05 |  「YOSHIの果てしない旅」 第6章 ロンドン滞在
・テレビの話
 イギリスのテレビ(TV)は、3チャンネルしかなかった。その内の2チャンネルは国営放送である。従って民間放送は、1チャンネルだけであった。
それに引き換え日本は、1~12チャンネルまでの間に6~8チャンネルもある。選択幅が出来て見たい番組が多くなったその分、視聴者にとって有益になっているのであろうか。否、逆になって来ているように私には感じられた。  
 私が会社の寮に入った当時(昭和38・9年)は、食堂に1台TVがあっただけで、そのTVを皆で仲良く見ていた。当然、個々のチャンネル権はないので、現在映し出されている番組を皆で見て楽しんだ。しかし個人的に夜7時から○○がある場合で是非見たい時は、「皆さん、7時から○○があるのでチャンネルを回したいのですが、宜しいでしょうか」と他の寮生にお伺いを立て、皆の意向でチャンネルが変わった。そして、皆でTVを楽しみ、その番組を通して寮生同士の会話がそこに成立していた。
 しかし私が寮を出る昭和43年頃は、部屋に各自がTVを置き、個々で見るようになった。当然、食堂での寮生同士の会話がなくなり、食事が終るとサット自分の部屋に引き上げ、閉じこもるようになった。公休日になっても、朝から晩までTVにかじり付いている寮生が多くなった。食堂での寮生同士の触れ合い、会話もない、殺伐とした感じの寮に変わってしまった。
 本題に戻るが、チャンネルが多いから良い番組も多いという訳でなく、多い分くだらない低俗番組が多くなって来たのも事実であった。私を始め、多くの日本人は分っているのだが、「その気安と手短に時間が過ごせる」と言う事で、それら低俗番組から逃れられないでいた。
 イギリスのTVは、自分の見たいチャンネルや番組が少ない所為か、シーラの家族は殆どTVを見ていなかった。シーラの家に滞在中、一番見ていたのが私でした。
テレビでしか時間を過ごせない日本人(私)は、テレビに喰われてしまったのだ。イギリスにいると、くだらない情報と低俗番組を見て楽しんでいる日本人の末が、思いやられそうな気がして来るのだから不思議でならなかった。

・酒場の種類の話
 ロンドンには飲み屋がパブしかないが、東京には養老の滝の様な大衆居酒屋から、赤提灯、小料理屋、割烹料理屋、バー、サロン、キャバレー、スナック等色々な店がたくさんある。飲み方、酒の肴、雰囲気、色気、値段等で我々は飲み屋の行き先が変わる。要するに選択幅が広いのだ。
しかしその反面、歓楽街はサロン、バー、キャバレーの赤い灯青い灯の看板やネオンで、けばけばしさがあった。そしてそこへ行くのは若い人やサラリーマンが結構多かった。
 ロンドンの若者がパブで飲んでいるのを殆んど見掛けなかった。何故ロンドンの若者は、酒で憂さを晴らす事をしないのか、不思議であった。飲む金がないのであろうか。ビールなんて安いから金ではない、と思うのだ。 
 そして、彼等の飲み方(スタイル)は、ワンパターンで酒のツマミも無く地味であった。