YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

私のロンドン生活~ミルスおじさんの話

2021-10-13 21:16:25 |  「YOSHIの果てしない旅」 第6章 ロンドン滞在
・ミルスおじさんの話
 あの日(1968年9月21日)の深夜、泊まる所が無く困り果てて通りを歩いている時、ミルスさんに会わなかったら、今頃はどうなっていたか分らなかった。彼はシングル ベッド一つにも拘らず私を泊め、朝食を作ってくれて、直ぐに今の部屋を探してくれた。命の恩人に値する程に恩があり、私のロンドン生活が出来たのも、彼のお陰であった。
 彼に親切、恩を受けておきながら、仕事や生活が落ち着かなかった理由があったがその後、直ぐにお礼に行かなかったのは、本当に私の怠慢であった。
決して忘れていた訳ではなく、『近い内にお礼に行こう』といつも思っていた。11月11日頃、ロンドンを去る予定であったので、11月に入って直ぐ、食料品を買って、それを手土産に彼の所へ行った。しかし、折角行ったのに留守であった。隣の部屋に住んでいるおばさんに、ミルスさんの状況を聞いたら、「彼は病気の為、病院に入院している」との事であった。見舞いに行きたいので、彼が入院している病院の住所を教えて貰い、その日は帰って来た。
 しかし、私の不義理で見舞いに行く機会すら持たず、ロンドンを去る日が来てしまった。恩を受けて、お礼方々お見舞いに行く機会すら持たなかった私は本当に心苦しく、そして残念な気持でイギリスを去らねばならなかった。
 勿論、帰国してから礼状を出しました。以後、時々文通をしていましたが、それから3年後、治療虚しく持病である心臓病の為、南イギリスのある所で亡くなりました。ミルスおじさんのご冥福をお祈り致します。

私のロンドン生活~食事作りの話

2021-10-13 09:15:47 |  「YOSHIの果てしない旅」 第6章 ロンドン滞在
・食事作りの話
 1人生活では、何と言っても億劫なのが食事作りであった。オックスフォード ストリートのレストランで働いていた時は、お店で夕食が食べられたので、部屋で朝昼兼用の食事で済ませていた。又、ボンド ストリートのレストランの時は、昼食と夕食が食べられたので、部屋で軽朝食を食べてから出掛けていた。
 「朝昼兼用」や「軽い朝食」と言っても、それは貧しい食事であった。ジャガイモを煮て、皮を剥き、マーガリンを塗り、それにパンとコーヒー、時にゆで卵を付けた食事が主であった。偏った栄養だが『量と栄養はレストランで』と言う考えでしたので、それで充分であると思っていた。
 仕事が休みの月曜日は、いつも10時過ぎまで寝ていて、それから朝昼兼用の食事を作っていた。その休日の兼用の食事は、少し豪華にして〝スペイン風お好み焼き料理〟(スペインで食べた「トルティージャ」と言う訳に行かないが)、パンそしてコーヒーで栄養、カロリーとも充分な内容であった。
 このスペイン風お好み焼き料理とは、私がスペインへ行った時に食べた料理が気に入って、それを真似して作った私のオリジナル料理であった。作り方は卵3~4個を割って良く掻き混ぜ、その中に蒸かしたジャガイモをほんの少し細かめに(細かくではない)輪切りに切り、それを混ぜた卵の中に入れ、それと少し炒めた野菜(キャベツと玉ねぎ)と肉の代わりにソーセイジも卵の中に加えて良く全体を掻き混ぜてから、お好み焼きの様にフライパンで焼いた料理であった。味付けは、醤油・ソースがないので塩とコショウであった。かなり大きめな料理なので中までよく火が通るように、両面を等しく焼く(焦がしては駄目)のがポイントであった。
スペインで食べたトルティージャの様に作れなかったが、これが結構旨かった。しかし休みの都度に作っていたので、最後の頃は飽きたのも事実でした。
肉や魚料理は、ロンドンを去る前の日に2回作っただけであった。