YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

シーラとの日々、そして、別れ~シーラの悲しそうな顔

2021-10-17 10:27:08 |  「YOSHIの果てしない旅」 第6章 ロンドン滞在
       △1961年自宅にての16歳のSheila Morgan、

                         シーラとの日々、そして、別れ

・昭和43年9月23日(月)曇り(シーラの悲しそうな顔)
 今日は月曜日で私の休みの日、そして部屋も見付かり、久し振りに心身共にゆったりとした気分で過すことが出来た。
 昼間、家族や友達へ手紙を書いて過した。特に先輩のOさんへ、大事なM&M乗船券変更手続きのお願いの手紙を書いた。M&M乗船券は、別途書留で送る事にした。
 夜、シーラの所へ遊びに行った。彼女はマミと同じ働き者で、会社の休みの土曜と日曜に、ロンドン郊外へアルバイトとして、オナーの馬のお世話をしに出掛けていた。私と彼女の仕事の関係で、会える都合の良い日は月曜日だけであった。誰も友達や知人がいない約50日間のロンドン生活が出来たのも、彼女に毎週月曜日に会える楽しみがあったからこそと思う。
 彼女はいつも笑顔で私を迎えてくれた。2人で食事をし、そして紅茶を飲みながらの一時が私にとって安らぎであり、『次週月曜日まで、又がんばろう』と思える時間であった。そして時に、彼女の友達・ジャネットも来て、一緒に食事をした。
彼女は毎回、私と腕を組んで駅まで送ってくれた。レストランの仕事は非常に忙しく、面白くないし、ロンドンの生活は誰とも話す人がおらず、孤独で寂しかった。だから余計に彼女とのそんな一時が、私にとって唯一の楽しみであった。私がいつもシーラの所へ行っていたが、私が誘っても、彼女は1度も私の部屋へ遊びに来なかった。
 所が、そんな私とシーラの付き合いの中で、今夜の彼女は時たま悲しそうな顔をするのを感じたので、如何したのかと尋ねた。すると彼女は「近く勤めている会社が倒産するので、失業になる」と言うのでした。
 彼女は仕事や結婚の事で、色々悩んでいるようであった。彼女の元気なさそうな、悲しそうな顔を見ると、私までも悲しくなってしまうのでした。「シーラ、元気を出して」と言うだけで、私には何もしてあげる事が出来なかった。
それでも彼女は、腕を組んでブレント駅まで私を送ってくれたが、いつもと違って今夜は悲しい(寂しい)駅までのデートであった。彼女に新しい仕事が見付かり、そして元気になってくれればと願うだけであった。
いつもシーラに食事をご馳走になっているし、元気になってもらいたくて次週の月曜日、私の招待で日本レストランへ行く事にした。
今日は慣れた乗換駅のKing’s Cross(キングス クロス)で、乗る電車を間違えてしまった。