・昭和44年1月28日(火)晴れ(車内を威圧する武装警官)
日本に居た時、パキスタンは森林が生い茂った国と想像していた。いつ列車がインダス川を渡ったのか、夜間で気が付かなかった。実際に列車はこのインダス川流域に沿って走っていたが、車窓からの光景は荒れ果てた大地が、クエッタからラホールまで続いていた。如何して田畑が無いのであろうか。そして町や村の様子は、イランより貧しい様に見受けられた。
昨夜、屈強の警察官7~8人が我々の車両に乗り込んで来た。そして彼等は、今日もまだ乗っていた。この車両だけではなく、他の車両にも分乗して乗っていた。彼等は緑のベレー帽子、カーキ色のシャツに黄色のベスト、それにカーキ色のズボンを身にまとっていた。彼等の武装は、日本の警察官が携行している短い警棒や拳銃ではなく、2m程の長い警棒と鉄砲であった。『彼等の乗車目的は、武装した強盗団、或は反政府武装集団からこの列車を守る、或いは襲撃されたら乗客を守る為に警乗している。そしてパキスタンは列車まで襲う相当物騒な国である』と最初、私はそう思っていた。
パキスタンの一般の人達は、私(168㎝)より平均的に背が低いが、彼等武装警察官の体格の良い事、皆身長も175cm以上ありそうで、濃い髭を生やし、そして見るからに屈強な男達に見えた。その様な彼等が我々のワンボックス前の席に陣取り、車内の乗客に威圧感を発していた。
19時30分頃、列車はやっとラホールに到着した。木製座席の3等車の旅は疲れた。我々は駅の食堂で夕食を取った。その後、宿泊するドミトリー(ホテル)の件で私とロンはフランス人のジェーン達と意見が合わず、ここで別れた。私は何となくジェーンが好きでなかったが、テヘランから共にここまで旅をして来た仲間、今後の旅の無事を願った。
私、ロンそして竹谷の3人は、駅近くの2ルピーのドミトリーに泊まった。今夜と明日、学生市民による反政府デモで『外出禁止令』が出されていた。そんな事で街は、静かであった。
日本に居た時、パキスタンは森林が生い茂った国と想像していた。いつ列車がインダス川を渡ったのか、夜間で気が付かなかった。実際に列車はこのインダス川流域に沿って走っていたが、車窓からの光景は荒れ果てた大地が、クエッタからラホールまで続いていた。如何して田畑が無いのであろうか。そして町や村の様子は、イランより貧しい様に見受けられた。
昨夜、屈強の警察官7~8人が我々の車両に乗り込んで来た。そして彼等は、今日もまだ乗っていた。この車両だけではなく、他の車両にも分乗して乗っていた。彼等は緑のベレー帽子、カーキ色のシャツに黄色のベスト、それにカーキ色のズボンを身にまとっていた。彼等の武装は、日本の警察官が携行している短い警棒や拳銃ではなく、2m程の長い警棒と鉄砲であった。『彼等の乗車目的は、武装した強盗団、或は反政府武装集団からこの列車を守る、或いは襲撃されたら乗客を守る為に警乗している。そしてパキスタンは列車まで襲う相当物騒な国である』と最初、私はそう思っていた。
パキスタンの一般の人達は、私(168㎝)より平均的に背が低いが、彼等武装警察官の体格の良い事、皆身長も175cm以上ありそうで、濃い髭を生やし、そして見るからに屈強な男達に見えた。その様な彼等が我々のワンボックス前の席に陣取り、車内の乗客に威圧感を発していた。
19時30分頃、列車はやっとラホールに到着した。木製座席の3等車の旅は疲れた。我々は駅の食堂で夕食を取った。その後、宿泊するドミトリー(ホテル)の件で私とロンはフランス人のジェーン達と意見が合わず、ここで別れた。私は何となくジェーンが好きでなかったが、テヘランから共にここまで旅をして来た仲間、今後の旅の無事を願った。
私、ロンそして竹谷の3人は、駅近くの2ルピーのドミトリーに泊まった。今夜と明日、学生市民による反政府デモで『外出禁止令』が出されていた。そんな事で街は、静かであった。