YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

苦難の末に出したウンコと横暴な警察軍~シルクロードの旅その3(パキスタンの列車の旅)

2022-01-30 08:58:30 | 「YOSHIの果てしない旅」 第9章 イラン・パキスタンの旅
・昭和44年1月29日(水)晴れ(苦難の末に出したウンコと横暴な警察軍)
 我々は昨日の夕方に到着したばかりなので、もう1泊する事にした。旅の疲れもあり、お昼近くまで寝ていた。とは言っても私は早朝5時、既に目が覚めていた。『覚めた』と言うより、拡声器からの アーザン(サラート=礼拝への呼び掛け)の大音響で起こされてしまった。イスラム教徒は時間になると、お祈りをする義務がある。従って人々は寺院へ行ってお祈りし、或は寺院へ行けない人は、自宅の一定の場所(自宅内に狭い囲いの礼拝の為の場所)でお祈りをする。
 午後、ラホールは学生、市民、労働者によるアユブ大統領の軍事的政策に対する反政府デモがあるので、宿の主人から「外出禁止令が出されている。外へ出ないほうが良い」と注意を受けていた。しかし駅近くの安宿(ドミトリー)に泊まっていた私は、怖い物見たさで様子を見に駅前へ行った。そうしたら警察官の数、その物々しい警備でビックリした。成る程、一昨日と昨日、列車に警察官が乗っていたのは、我々を守ってくれる為の警乗でなかったのだ。今日のデモに対して、彼等は地方から応援の為、呼び寄せられたのだと私はやっと理解した。 
 こちらの警察官に初めて砂漠で会って以来、雰囲気的に粗暴に感じられた。それはここに来て証明された。大勢の一般市民が様子を見ているだけで、通りを歩いているだけで、或は自転車を乗っているだけで、警官隊はあの長い警棒を市民に対して振り回し、駅前広場や通りから彼等を追い出していた。追い回された市民は蜂の子を突っついた様に、右に左に逃げ回っていた。警官隊がこちらに来たら大変だ。そして面倒な事に巻き込まれては、何にも得にならないと思い、早々宿に戻った。
 警官隊とデモ隊のその後の状況は、駅前附近ではなく、他の場所で大規模な衝突があったのだ。翌日の英字新聞には、「学生7~8人が射殺された」との見出しがあった。パキスタンの警察隊は市民や学生に鉄砲を向け撃つ、そんな野蛮な国であった。
 話は戻るが、今朝ウンコをしたいので便所へ行ったが、中々出なかった。それもその筈、テヘランを発ってから今日まで、余り水分を摂取しておらず、食べる物と言ったらあのナンばかり、それが原因で硬いウンコになり、それが尻の穴に詰った状態になっていた。便所は汚い、臭い、それに囲いも無いので他の人から丸見えの状態であった。それだけで出る物も出なくなると言うのに、硬いウンコが詰ってしまい、余計に苦労した。額から汗がダラダラ、「ウーン、ウーン」と何度も気張り、尻の穴に力を入れて出したウンコは、乾燥したコチコチの状態であった。しかも、無理やり出した為か、痔になってしまったのか、それとも尻の穴が切れたのか、直後にドバーと出血。その多量の血を見た私はビックリ、「わぁー、これは大変だー。尻がおかしくなって来たぞー。」と思ったが、如何することも出来ず、様子を見る事にした。
  そして夜、ウンコがまだ詰った状態であったので、また気張って出したら、再び多量に出血してしまった。今後、こんな状態で旅が続けられるのか、私は心配、不安で仕方がなかった。