YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

人や牛のウンコ、トイレ及びゴミの臭い話~インドで見た・感じた・経験した事の話

2022-03-03 15:11:06 | 「YOSHIの果てしない旅」  第10章 インドの旅
                        △2015年○月○日の読売新聞記事

・人や牛のウンコ、トイレ及びゴミの臭い話
 列車がニューデリーを出発後、私は暫らくの間、車窓から密集したバラックの家々、人々の様子等を見ていた。そうすると又、線路端のあちこちで人々が尻を出し、こちらを向いてしゃがんでいる姿が見えた。ニューデリーに到着する時もそうであったので、「ハハン、ウンコをしているな」と直ぐに分った。バラックの家にはトイレが無いのか、彼等は線路端で、或は空き地で構わずウンコをしていた。これもインドらしい光景の一つであった。

 私はアムリッツァルの国境でインドの入国手続きを済ませた後、ウンコがしたくなったので、そこの係官に「トイレは何処ですか。」と尋ねた。そうすると係官は「あちらです。」と言って、指でその方向を示した。そこは出入国管理事務所(実際は掘立小屋の建物)の裏手で、草がボウボウと生えている空き地であった。私はトイレが無いので、この空き地でするのだな、と理解した。裏手に回ると、直ぐにウンコの臭いがしてきた。その草むらの空き地に入ると、あちこちに野糞がしてあった。日本ではウンコの上、又はその附近に尻を拭いた紙が見うけられるのに、ここの空き地のウンコは用が足した後の紙が何処にも無かった。多分、インド人はウンコをした後、草で尻を拭いたのであろう。さもなければ手で拭いて、手に付いたウンコを草で拭ったのであろう。いくらインド人でも、『手で拭いて、勿体ないから食べちゃった。』と言う事はない。私はウンコを踏まない様に野原へ分け入り、ズボンを下ろし、しゃがみこんだ。原っぱの向こうは道路になっていて、歩行者やリキシャが行き交っていた。私が見えるという事は、向こうからも私がウンコをしているのが見えると言う事だが、構わずに最後まで成し遂げ、私の場合は紙で尻を拭いた。

 所で、インドのトイレに入ると、中に水が入った水瓶(みずがめ)と柄杓(ひしゃく)が置いてあった。『インド人は左手で尻を洗う。』と言う事なので、文章にすると次ぎの様な動作で洗うのであろう。『インド人はウンコをした後、水瓶から柄杓で水を汲み、右手で柄杓から尻へ水を流しながら左手で尻を洗う。』と。いずれにしても、私は1度も尻を水で洗った事が無かった。如何してかと言うと、手で尻を洗うなんて不潔な感じがして、出来なかった。尻を拭く時は、キブツから持って来たトイレット・ペーパーを使用していた。実際はインド式に水で洗った方が清潔なのかも・・・。

 インドでは宗教的な意味で左手は、『不浄』、右手は『浄』と言われている。衛生面と言うか現実面で、臭い・汚いウンコは不浄であり、その不浄を手で洗うのでその手は不浄になり、『左手は不浄の手』となる。従ってその言葉は、生活面から先に出たかも知れません。生活面に於いても宗教上からも、左手は不浄である。故に食事を食べる時は、左手を使ってはいけないし、配膳、コップやカップを出す時も左手を使用してはいけないのだ。全ての面で右手を使うのである。そう言う不浄(ウンコ)を処理する人、トイレを清掃する人まで不浄な人(不可触民)と見なされ、蔑まれ差別される『カースト』と言う制度が、インドには存在していた。

 話は変わり、地方では勿論、大都市に於いても人、リキシャや車等でごったがえしている通りを、悠然と群れをなして牛がノソノソと歩いていたり、道の真ん中で屯(たむろ)したりしていた。インドでは、牛は宗教上『神聖な動物』として扱われていた。ある意味で、5代将軍・徳川綱吉の『お犬様』に似ているかも知れません。だから牛が交通の邪魔をしている時、人々は避けて通り、店先の食べ物を失敬されれば諦めるしかないのだ。なんて言ってもインドでは『お牛様』なのである。そんな訳で、何処へ行っても牛がデカイ顔をして、自由に住んでいた。だから街を歩いていると、人のウンコや牛のウンコも落ちていた。しかし牛のウンコが長い間、落ちている事はまずないのであった。と言うのは、牛の後を子供達が付いて歩き、牛がウンコをするのを待っていて、ウンコをしたら子供達が競って拾って籠の中に入れていた。 最初、この光景は不思議であったが、直ぐに納得した。ボンベイやカルカッタの大通りから隔てた裏通りの軒先に又、アグラやアウランガーバード(ボンベイの近くの中都市。アジャンタ、エローラの大遺跡の中継地)の小都市の家の前に、牛のウンコを並べて干してあったり、家の壁にベタベタと貼ってあったり、私はそう言う光景をよく見掛けた。要するに、ウンコを乾燥させて燃料にしたり、燃料として子供達が売ったりしていた。又、ウンコと泥をよく水で混ぜ合わせ、ペタペタ張って家の壁にしていた。牛のウンコは、インドの家庭にとって貴重な燃料であり、収入源であった。
 
 困るのは、人のウンコであった。通りには一般市民と『下層階級』と思われる大勢の路上生活者や乞食で溢れていた。彼等だって生きているから、オシッコもすればウンコもする。しかし、路上生活者や乞食には大小便のする所が無いので、車道と歩行者専用道路の間の溝附近、或は時に歩道にもするのだ。大雨が降って排水溝(下水溝)に流れれば良いのだが、今はモンスーンの季節(雨期)ではないのでいつまでもあるし、それどころかウンコが道路に溜まってくるのだ。街を歩いていると彼等の汚物で汚く、そして臭くて堪らなかった。下をよく見て歩かないと、ウンコを踏んでしまうのであった。私は3・4回踏んでしまった事があるが、人のウンコほど嫌なものはなかった。

 カルカッタでは、この他にゴミの山で大変だった。街のあちこちにゴミの山がたくさんあり、ゴミとウンコの匂いで臭くって、立ち止まっていられないほどであった。ゴミの山も半端でなかった。高いのは、2階の天井に届く位のゴミの山もたくさんあった。そんなゴミの山を大人や子供達が、何かを漁っていた。インド人が捨てたゴミにまだ使える、まだ食べられるゴミがあるのであろうか。ゴミの山に鼠が、そしてその表面には蝿が無数に飛び交っていた。ライ病、コレラ、天然痘、黄熱病、赤痢等を始め、あらゆる法定伝染病が流行ってもおかしくない現状であり、それがインドであり、カルカッタであった。
書いているだけで(読んでいるだけで)臭くなって来たので、この辺で臭い話は終りにします。
             


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