・カルカッタの人口過剰の話
今日(1969.3.1)、YMCAから歩いて街へ行って帰って来たが、それにしても人の数が凄かった。デリーやボンベイの大都市でその凄さに慣れていたが、カルカッタの凄さは、正に一級品であった。それはインド独特の臭いがする中、人人人又人、男男男又男が途切れる事なく街の全ての通り(裏通りも含む)を溢れんばかり(物凄い雑踏、超過密状態)に歩いていた。更に通りにはそんな人々と共にこれ又、大勢の物乞いをする乞食や浮浪者、家を持たない路上生活者達がそれに輪を加えていた。
通りに女性が見掛けられないと言う事は、その男性の数だけ女性は家に閉じこもっている、と言う事なのだ。街の中で数少ない女性、特に綺麗なサリーを纏った女性を見かけると、その部分だけパット花が咲いた様な華やかさを感じた。
街へチョッと出掛けただけで、色々なアンバランスが目に付いた。農村と都市の人口構成のアンバランス、男と女の社会的活動のアンバランス、貧富のアンバランス、不潔で粗末なスラム街の家々と中心部の立派な建物のアンバランス、不潔なゴミの山々が幾つもある通りと高級店が並ぶ通りのアンバランス等、超際立った対照を示しているのも『インド的カルカッタ』(この表現がズバリだと思う)なのであろう。
超雑踏した街角に立ち、ぼんやりとそんな光景を見ていたら、私は深い溜息と共に息苦しく、気が遠くなりそうな感じがした。これがカルカッタの正直な実感であった。
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