・多民族・多言語と子供達の話
インドは、一つの国に色々な人種の人々が住み、色々な言語を話す人々が住んでいた。そして、州や地域が異なれば人種や言語も違って来て、インド人にとっても他の州・地域は、まるで他国の様になるのだ。従ってインドの紙幣には、15の言語で『10ルピー』とその紙幣の額面を表示してあり、又公共的な鉄道の案内板には5~7の言語で書かれた案内表示があった。
ヒンディー語は小学校の高学年から、英語は中学校から教えられている、と言われる。しかし、カーストの下層階級(シュードラや不可触民)、そしてバイシャでも身分が低い層の子供達はどうも学校へ行っていない様であった。この様な小・中学校へ行ってない多くの子供達は、昼間から商店、食堂等で大人よりキリキリとして働いていた。そして働く職場が見付けられない子供達は、自分達自身で列車の座席取り、観光ガイド、牛のフンでの燃料作りと販売、バタヤ、新聞売り、或は乞食等々の仕事をして稼いでいた。良く言えば、本当にインドの子供達は良く働いているので感心させられた。子供を使っているオジサンは、子供をアゴで使って、自分はグッデとしていた。大人達の方が何となくだらしなく見えた。
子供達は家庭の事情で、或いは生きて行く為に、哀しいかな現実は働かせられていた。このように学校へ行けない子供達は、大人になっても公用語を知らないのだ。実際に多くの一般の大人達は、公用語である英語を殆んど話せなかった。英語を知っているのは、商売上英語が必要な人、ある程度ゆとりある教育を受けた人々と上流階級の人達であった。従って現実的に公用語のヒンディー語は、人々の間で50%も普及していないし、もう一つの公用語である英語が話せるのは、インド全体でほんの一握りの人達であった。
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