・カルカッタのさらに輪をかけて人口過剰になった話
1971年(私が訪れた2年後)、〝バングラデシュ独立戦争に伴うインド・パキスタン戦争〟(第3次印パ戦争)が勃発し、再び800万人の難民が東パキスタンからカルカッタへ流れ込んだ。大カルカッタ圏の人口の内、その4割が難民であると言う。
2001年の年次調査によると、カルカッタの市域人口は460万人、郊外を含む人口は1330万人である。そしてインドの人口は10臆6600万人であると言う(「国際地学協会」参考)。そして2006年9月のNHKニュースによると、『インドの人口は12億人』と発表された。
因みに私が訪れた1968年は、『インドの人口は6億人』と言われていた。あれ程に〝産児制限運動〟(街の至る所に看板があった)を展開していたにも拘らず、この爆発的な人口増加はどうなっているのだろうか。
インドの人口は何億人、或はカルカッタの人口が何百万人とか何千万人と言われるが、私は不思議に思った。その理由は、あの延々と続くバラックに住んでいる人々は住民登録もろくにしていないと思われるし、それに物凄いの乞食の数や路上生活者達の数を人口調査にあたり、どの様にしてインド全体でカウントして行くのであろうか、と不思議でたまらない。
カルカッタは、外国からの観光ツアーのコースからも敬遠されていると聞いている。インド人からも海外旅行者からもそっぽを向かれたカルカッタ・・・。『宮殿の都』と過って呼ばれていたカルカッタは、何処へ行こうとしているのであろう・・・。
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