△スノードン山と湖(PFN)
・昭和43年9月8日(日)曇り時々雨(明治初め頃の蒸気機関車と客車を見る)
『若しかしたら簡単に登れるかも』と思い、スノードン山に登ろうとしたが、諦めた。昨夜、雨が降ったのか登山道は濡れていたし、山に登る様な服装・履物ではなかった。しかも標高差が分らないし、空模様も心配であった。
仕事が終ってからユースを出た。左手にスノードン、右手に湖を見ながら自然のど真ん中を歩いていると、自然と心も弾み、歌を口ずさんだ。今朝は最高に気分が良かった。ヒッチの旅は、天候しだいで良くもなるし悪くもなった。
高級車には8:2の割りで乗せてくれないが、1台目はこの確率から外れ、夫婦連れの立派な車に便乗出来た。
それから間もなくしてある町で降ろされると、やはり雨が降って来た。雨が降ると極端にヒッチ率は落ちた。家の軒下に一時避難したが、雨が止む保証はなかった。霧や小雨程度ならコートで充分大丈夫であるが、この時季の天候は気まぐれであった。途方にくれた末、雨の中を歩き出した。すると雨がしのげる大樹があり、その下でヒッチ合図を送りながら車が止まってくれるのを待った。
雨降る大樹の下でがんばったお陰で、20分位して2台目の車に乗せて貰えた。2台目である町(「Penrhyndeudraeth」と言う長ったらしいウェールズ語的地名)にやって来たら、雨は止んでいた。
その町の駅で小さな蒸気機関車が小さめの客車4両を牽引して駅から出発して行った光景に出くわした。まるでアメリカ西部劇、或は、明治初期頃の列車が走っていた。観光地のおとぎ電車ではなかった。ウェールズにはまだこの様な100年前の蒸気機関車や客車が走っていたのであった。写真を撮れば良かったのだが、生憎モーガン家に置いて来てしまったのだ。
3台目は老夫婦の車であった。ある町に着いたら奥さんを自分の家の前で降ろし、私を町外れの峠まで送ってくれた。
4台目は牧師さんの車であった。彼は「グッドバイを日本語で何と言うのか。グッドモーニングは何と言うのか」等々色々聞いて来た。私はその度に教えましたが、別れる時に早速、「SAYONARA」とたどたどしい日本語で、彼は別れを告げたのでした。面白い牧師さんに出逢えた。
5台目は中々止まってくれなかったが、若い2人連れのおんぼろ車が停まり、かなりの距離を乗せて貰った。
6台目は青年。そして7台目は若い夫婦であった。私はMachynlleth(マッキンレー)のユースに泊まろうと思っていた。降車の際にその若夫婦にそのユースが何処にあるのか尋ねたら、7マイルも行過ぎてしまった。
時刻は、既に午後4時30分を過ぎていた。この時間になってまだその日の宿泊が決まってないと、何となく心細くなる時間帯であった。引き返すのもしゃくに障るし、なんて詰まらん事に自問自答をしていると、今度はいやに腹が空いて来た。当たり前で、昼食を食べていない為、腹の虫が騒ぎ出したのであった。
ここからまだ遠いが、Porterwyd(ポーターウィド)のユースに泊まる事にした。
8台目、9台目と乗り継いで、Aberystwyth(アバリストウィス)に遣って来た。道路の両側に家並みが続く街の中心部にも拘らず、人影は全く無く、静かであるが活気がなかった。しかしこの町は古(いにしえ)の歴史を感じられた。道路は中世のレンガで敷き詰められ又、街の中央には歴史を重ねて来た塔があった。太陽が海に沈みつつある黄昏時に、その塔が海を背景に浮かび上がった。
10台目は中年のドライバーであった。おじさんはヒッチ合図をしないのに車を停めて乗せてくれたが、「メガネを忘れたから取りに行って来る」と言って私を車に乗せたまま、歩いて家まで行き、メガネを手に戻って来た。アバリストウィスの街の中で、私がヒッチをしているのを近くに住むこのおじさんが見ていて、わざわざ車を出してくれたのだ。有り難う御座います。
ポーターウィドのユースは辺ぴな所にある為、見付けるのに難しく、おじさんは何回も地元の人に聞いて、私をユースまで連れて来てくれた。おじさんは洋服の仕立て直し屋さんで、とても親切な人でした。最後までお世話になりました。
ユースに到着したのが7時過ぎになった。7人のホステラーが宿泊していた。
From Yoshi
はじめまして😊
ありがとうございます。
今後とも末永きお付き合いの程
宜しくお願い致します,😃😃😃