YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

ウェールズの旅~哀愁を帯びて汽車はロンドンへ(その1)

2021-09-15 09:22:25 | 「YOSHIの果てしない旅」 第5章 イギリス
        △ニース駅でダディ、ケネスとの別れ(Painted by M.Yoshida)

・昭和43年9月16日(月)曇り後小雨(哀愁を帯びて汽車はロンドンへ)(その1)
 長い様で短かったウェールズの滞在が終った。文通を通して夢にまで見たシーラの生まれ育ったサウス ウェールズ、その山河、故郷コロブレン、そしてシーラの家族達と別れの日が終に来てしまった。私を温かく迎い入れ親切にしてくれたシーラの家族達、楽しかったクラブやウェールズの旅、そして旅先で車に乗せてくれた親切なウェールズの人達。忘れ難い楽しい数々の思い出を残して今日、私は去ろうとしていた。ケネスは私の見送りの為に学校を休んでしまった。どうしようもない寂しさ悲しさが私の胸に、心に襲って来るのを堪えていた。
 モーガン家の最後の昼食をゆっくり済ませた。そして午後2時頃、ダディの運転する車に私とケネスが乗りモーガン家を後にした。途中マミが働いている近所のストアに最後の挨拶をする為、立ち寄った。
マミは、「車中で何か買え」と言ってお金1ポンドを私に渡そうとしたが、私は有り難く断った。マミは家事の他、昼間のみならず夜も働いていた。そんなマミの状況を思う時、気楽には受け取れなかった。マミのその行為、その気持だけで涙が出るほど嬉しかった。そしてマミには何かとお世話になり、別れの際にお礼の言葉を言わなければならなかったが、私は言葉が見付からず、ただ「Thank you very much」と繰り返し言うだけで、後は何も言えなかった。
 私はマミと別れの握手をしている内に、涙が出るのを堪えきれず、瞼から一筋、又一筋と頬に伝わった。私はそれを拭かず車に乗り込んだ。車が走り出し、マミは見えなくなるまで手を振ってくれた。私も車内から身を乗り出し、見えなくなるまで手を振り返した。涙が止め処もなく溢れ、終には嗚咽するのを堪える事が出来なかった。
 途中、ダディの兄弟の家に立ち寄った。ティーを飲んだ後、叔父さんも見送りの為、同行してくれました。 
ニース駅に着いてから間もなく、ロンドンのパディントン行の汽車が到着した。ダディ、ケネス、叔父さん1人1人に色々お世話になったお礼を述べ、別れの握手をしてからホーム窓際の座席に乗り込んだ。
乗り込んだ後も別れの握手をした。「Yoshi、イギリスを去る前、もう一度ウェールズに来なさい」とダディやケネスは言ってくれた。私は「色々お世話になりました。お陰様でウェールズの滞在を楽しく過ごす事が出来ました。本当に有り難うございました」と何度もお礼を述べた。
終(つい)に汽車は、ゴットンと動き出した。「さようなら、ダディ、ケネス、叔父さん。さようならー」と言って私は手を振った。「Yoshi, come back again!」とダディは言って手を振り返した。ケネフスも、そしておじさんも手を振り返した。
「ダディ、ケネス、おじさん、有り難う。さようならー」大声で叫んだ。手を振っていた彼等の姿は、段々と小さくなり、そして、見えなくなった。
「さようなら、モーガン家の家族。さようなら、コロブレン、そしてヒッチの時のお世話になった心温まるウェールズの人達。さようなら、美しいウェールズの山河」と心の中で叫び、彼等が見えなくなってもなお、手を振り続けた。
 別れの悲しさなのか、寂しさなのか、抑えていた感情が急に沸き、又も涙が止め処もなく溢れ出て、周囲に乗客が居るのも拘らず、私は、「シュクシュク」と嗚咽するのでした。私は哀愁的旅情に咽び、いつまでも車窓にかじり付いてウェールズの光景を眺めていた。
汽車は一路、ロンドンのパディントン駅へひた走っていた。


       △ウェールズ地方を走る列車(PFN)

*「その2」へ続く
        
                    



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2 コメント

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Unknown (jun)
2021-09-27 08:28:44
ウェールズを去る事は、本当に涙なしでは語れませんね。

シーラさんの人柄はもちろんのこと、モーガン家の人々はとても温かい人々ですね。
当時の日本を振り返ると、外国人を見ると「ガイジン、ガイジン!」と、囃し立てる様に珍しがり、遠目に見ていて触れ合う事は躊躇されましたよね。
でも、遠い異国のイギリスでは、この様に温かく日本人を迎え入れてくれて素晴らしいと感じました。
それだけに、ここを去るヨシさんの切なさが伝わってきました。
今、モーガン家の人々はどうしているのでしょう。
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コメントありがとうございます。 (yoshi)
2021-09-27 21:33:29
  本当にウェールズのCoilbren(コロブレン)を去る時(日)は涙・涙そして嗚咽で、私の旅を通してもこれ程のシーンはありませんでした。今でもこの別れの日記を読むと、ホロリと涙ぐみます。私はセンチメンタルで別れに弱いのです。

 シーラは結婚しましたが10年後位に離婚しました。男の子と女の子を彼女が育て上げ、その子供達も結婚し、3人のお孫さんが出来ました。
 彼女は現在Cwmparc Treorchy Wales(ウェールズのトレオルキー カムパック)に住んで居り、長男家族や長女の家族と行き来して楽しく暮らしていました。しかし現在彼女は癌を患い病院に入院してます。私は彼女が早く回復される事のみ願うだけです。
 彼女のご両親は疾うに亡くなり、弟のケネスは結婚してコロブレンに住んでます。彼の娘さんは彼の向かいの家に嫁ぎました。向かい側ですので行ったり来たりしている様です。私は彼等が幸多かれと祈るのみです。

 Junさん、いつも私の拙いブログを読んで頂き、有難うございます。これからもYoshiの旅を応援して頂ければと思っております。

 この辺で終わりにします。junさん、おやすみなさい




 
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