1969年から1976年まで、ニクソン政権とフォード政権において大統領補佐官や国務長官をつとめ、ハーバード大学の教授でもあり、アメリカ政界、学界、財界のみならず、全世界に影響を行使しえるドイツ出身のユダヤ教徒であるヘンリー・キッシンジャー。
コンドリーザ・ライス元国務長官が親北朝鮮、親中国外交を推進したのもキッシンジャーのアドバイスに盲従したためである。
キッシンジャーは1997年8月25日の読売新聞「地球を読む」において、「米中関係 共存の道探る好機」と題し、
「少なくとも今後十年間、日本の軍備はますます恐るべきものとなろう。」
と国際政治学者にしては的外れな見解を表明した後、
「さらに、北京の立案者たちは、インドや韓国、ロシア、ベトナム、さらに台湾の軍事能力を無視することはできない。」
「中国にとって米国と日本の関係は、依然として懸念のもとである。」
と、中国の立場のみを強調している。
1999年10月25日の読売新聞「地球を読む」において、「薄れた国家独裁色」と題し、
「インドから日本、ロシアに至るまで、軍事的に相当な隣人と向き合っている」
と中国の軍事力を擁護している。
1999年5月10日の読売新聞「地球を読む」においては、
「軍事的挑戦をおこなったのは台湾を巡る国家統一の懸念や、南沙諸島などの伝統的な領土主張の擁護のためだった。中国の戦略能力は20基そこそこの戦略核を擁するに過ぎない。」
と主張、中国の軍事的恫喝を支持している。
また、天安門事件ではABCテレビ「ABCワールド・ニュース・トゥナイト・ウィズ・ピーター・ジェニングス」において、マスター・オブ・セレモニーのピーター・ジェニングスのインタビューに対し、
「私ならどのような制裁もしない。」
と語っている。
1995年7月にはワシントン・ポストで
「アメリカも中国もそれぞれ理由は異なるが、一つの覇権国家によってアジアが支配されることに反対している」
と意味深な文言を残し、
「中国はアメリカに強力な近隣諸国との関係を均衡させる手助けをして欲しいのだ。」、
「少なくとも中国が自らそれができるほど力をつけるまでは」
と、中国の将来のアジア覇権を認めている。
ソ連を封じ込める駒として中国を手を結ぶことを考え付いたリチャード・ニクソン大統領。
リチャード・ニクソン大統領の考えをまとめたのはマイケル・ピルズベリーである。
アメリカ公文書館にある公文書では
キッシンジャーはアメリカが中国と接近しソ連を潰すということに躊躇し反対していた。
キッシンジャーは当時の国際政治学の定石から外れることに抵抗があった。
キッシンジャーは常識の範囲内でしか考えられなかった。
キッシンジャーは学んだこと、教えられたことしかできない。
ニクソン大統領から中国と交渉するよう命じられ、中国共産党トップに合うキッシンジャー。
中国まで行く機内でまじめに考えたキッシンジャー。
中国共産党の毛沢東、周恩来に歓待されるキッシンジャー。
毛沢東、周恩来はじめ中国共産党はキッシンジャーを褒めまくり持ち上げまくる。
懐柔されるキッシンジャー。
キッシンジャーは異常なまで親中、媚中になる。
ソ連がアフガニスタンに侵攻するなど冷戦が激化してきた1979年。
アメリカと中国の融和だけではソ連に抗せない時代になった。
アメリカは同盟国との軍事関係を強化して対応しなければならなかった。
東アジアでは日本との同盟を強化しなければならなくなっていた。
レーガン政権の東アジアの安全保障政策として、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官の主張する中国重視と、リチャード・アーミテージ国務次官補、ジェームズ・アワー国防省日本部長らの主張する日本重視の考えが対立する。
時代の変化に対応できないキッシンジャー。
同じ考えに固執するキッシンジャー。
キャスパー・ワインバーガー国防長官、ジョージ・シュルツ国務長官、ジョージ・ブッシュ副大統領らは、アーミテージ国防次官補、アワー国防省日本部長の日本重視の主張を採用した。
中国の脅威が顕在化してくる1990年代。
キッシンジャーはまだ異常なまでの親中、媚中、を主張する。
キッシンジャーは常識の範囲内でしか考えられなかった。
キッシンジャーは学んだこと、教えられたこと、経験したことしかできない。
学者で論文を書くだけならそれでいい。
本当は頭が悪いキッシンジャー。