質問者:ハイル禅師 長い人生で生じる幸不幸の総量は
本当に厳格なモノなのでしょうか?
私:長い人生で幸不幸の差が生じる理由に当人がどのような
想念で何を行ってきたのかで厳格に峻別されるのが
真理の法則なのであります
これを神は「天網恢恢疎にして漏らさず」と言われ どんなに小さく
些細な事でも徳と劫に分かれてその人の持ち点になる訳です
徳が多いと+に劫が多いと-になる為 人生において劫が
重かった人は死後に下層の霊界に堕ちた後
転生した来世も相応の苦しい人生になる
ただ人は前世の死後三十年以内の転生者でもない限り
基本は前世や過去世の記憶がありません
それでも前世で海賊をやっており人々を殺害したり金品を奪った人
などは現世では相応の酷い報いを受ける人生の流れになります
救霊の際 異常者の男に強姦されて殺害された若い女性の
怨念霊でも過去神通で原因を精査すると前世は屈強な男で
山賊をやっており女子供も殺めていた実例もある
これほど極端ではなくても神社に千円寄付した人と
賽銭泥棒で千円盗んだ人・気に喰わない人にも優しく諭す人と
すぐ暴行する人・道端の昆虫を助ける人と踏み潰す人と言う様に
自身の日々の行いによって幸不幸が明確に確定するのである
·正直に申し上げましたがちょっとハードでしたよね。ありのままでいいですよ。
·母の事もかばってくださった事もよくわかっております。ありがとうございます。
·正直、私にも苦手な事、余り得意ではない分野があります。
·特に“お料理“だとか…。
·先生はお得意ですよね。
·商品までお出しになられるくらいですから…。
·あと昔、もどきのような面白く、先生独自の飲み物名でのレシピお出しになられてましたよね。
·作った事はありませんでしたが、こんな事もお出来になられるんだなぁと感心しておりましたよ。(·懐かしいですねぇ…。)
·それと、お仕事に関するご本も何冊か出されておられましたよね。
·あぁ、お仕事もお出来になれるんだなぁと尊敬しておりましたよ。
·人には皆、得意不得意がありますよね。
·そんな中で、得意ではない事も取り組む必要性が出てくることもありますよね。
·私も、落ち着いたら、また少しずつでも“お料理“も取り組みたいなぁとも考えております。
·先生、応援してくださいね!
·先生も余り無理されすぎない程度に頑張られて、適度に休息、気分転換なされて下さいね。
·それではまた…。]
·先生は前世の事や来世の事まで分かるんですねぇ…。
·思い当たる節がありますよ。こう言ってしまえば腹立たしいかもしれませんが、ただ、人を見る時に、あの人には沢山悪い所があったけれど、この部分に関しては、誰にも負けないほどのものを持っている人だったなぁ…と思ったりして、認めたり、感謝するというのも、一つかなぁなどと思いますよ。
·人を平等に見る目というものが大切なんじゃないでしょうか?
·自分に酷い事ばかりをしたり言ったりして自分の心を深く傷つけて来た許し難い人達の事を“許す時に出る涙“というものの尊さを、私は身を持って知ったのです。
·深く、大きく、そして強い愛情を持っているからこその憎しみが生まれ、そしてそれをも超えて大きく許す時、憎しみを乗り越えた深く大きな真実の愛の心を持ち得るのではないかと(·前からそう思っていましたが、)実感したのですよ。
·それはそれは尊い愛の形の一つなのではないかと思ったのですよ。
·先生も、きっと今は、そういう感情はご理解出来ますよね。
·それはそれは憎くてたまらない相手かもしれませんが、そんな相手に対してすら、悪い所ばかりではなく、良い所や優れている所は素直に認めるべきなんじゃないですか?
·なかなか難しい事かもしれませんが、“人類全般に対する愛“を持つ事で超えられますよ。
出来るだけ、人を見る時に、私心を無くし、平等に客観的に見るという事が大切になってくるんじゃないでしょうか?
·白か黒かや、勧善懲悪だけでは超えられないのですよ。]