質問者:ハイル禅師 深見東州氏は当初父親との仲が
非常に悪かったと聞きましたが本当でしょうか?
私:現在は西宮えびす神社の鳥居の柱に父親の「半田利晴」
もう片方には息子の「半田晴久」とありそれぞれ何代目とも
記されていますが阪神大震災後の献納を親子でされたからです
半田晴久が本名で⇒深見青山⇒深見東州と名前を変えて
きましたが彼の使命の大きさに比例させる意味がありました
深見東州氏の父親は戦闘機パイロットで特攻隊に志願したが
彼は出撃出来なかった為に戦後は家で荒れていたのです
父が出撃しなかった理由は先祖が門戸厄神に当時で三百万円
の献金をしていたり大きな徳を積んでいたからであります
また深見氏の祖母は戦時中に倉を開けて戦争を予期して
貯めていた膨大な食料を学生達に配って食べさせており
その徳で深見氏の口元には御馳走に有り付けるホクロがある
深見氏の家系は灘の酒屋の出身で彼自身も鳴尾付近に
家がありました
私も阪急の夙川にいた当時は夙川で魚取りをしていたが
深見氏も夙川で魚取りをしていたそうである
深見氏は父の暴力の影響で母と一緒に世界救世教に入信し
その後は内容が濃い大本教に移ってさらには道院紅卍会にも
行き来しました
実は父の利晴氏には観音様が憑依して息子の晴久氏を
厳しく追い込んで鍛えていたのが真相だったのであります
前から、少しはお聞きしていましたが…。
その裏には、観音様のお導きがあって…。
それでも、大変な思いをされてきたんですね…。
それでもお父様を愛されて…。
それでも、今、私は、本当の先生は、繊細で傷つきやすい、誰よりお優しいお方なのではないか?わがままや強がり、プライドなどは、後についてきたものなのではないか?と感じて、とても優しい気持ちになっていたところです。
誰でも、大人になれば、飾らないありのままの自分を見せることには、勇気が要るもの。
少しづつでも、心を開きあい、心を許しあい、わかり合って、信頼し続けて、支え合い、助け合って行けたら良いですよね。
眠れておられますか?
いろいろと問題を抱えて、苦しんでおられませんか?
どうか、少しでも、頭を休め、体も休め、頑張られるだけではなく、心身共に、ご自分も労って下さいね。それではまた…。】