9月1日、ベラルーシでは今日から新学年度が始まります。
しかし、全国の学校では入学式は小学校1年生だけが行い、大学などでは中止になりました。
そして、ベラルーシの複数の大学では学生によるデモ集会が始まりました。
ミンスク市内では、国立ベラルーシ大学、国立ベラルーシ技術大学(ベラルーシ最初のコロナウイルス感染者を出した大学。ただし感染者第1号は外国から来た留学生。)、国立ミンスク言語学大学、国立情報ラジオエレクトロニ連行されていましたがク大学、国立ベラルーシ経済大学、国立文化芸術大学(昨日、学長が解雇されて現在学長不在)などです。
雨が降る中、学生たちがデモ集会を大学のメインキャンパス前で行なったり、大学のからデモ行進を始めたりしました。
午後2時ごろ、治安部隊が近づき、学生の拘束が始まったところもあります。
やはり男子学生が拘束されやすいようですが、女子学生も拘束されています。
地下鉄の勝利広場駅は閉鎖されました。地下鉄は通っていますが、勝利広場駅は停車せず通過しています。近くにミンスク言語学大学があるからのようです。
ベラルーシ大学の前でデモ集会をしていた学生(主に歴史学部の学生らしいです。)のそばに治安部隊がやってきて、あわてて逃げる学生もいます。しかし治安部隊は離れたところで「解散しましょう。」と拡声器で警告するだけ。
そこへ大学側(歴史学部長?)が二人やってきて、デモをやめさせようと説得。
学生は「あの人たち(治安部隊)は何ですか? 三日前友達があの人たちにどこかへ連れて行かれました。自分はそんな目にあうのは嫌なんですけど。」などと答えました。大学側は、
「分かった。今から中で話し合いましょう。ただ、その白赤白の旗は片付けて。デモをしているように見えるから。今からするのは話し合いであってデモではない。旗は不要だろう。」
と話すと学生側は納得してカバンに旗をたたんで入れていました。そしてみんな大学の中へ。
治安部隊は黙って見送りました。
国立ベラルーシ技術大学前からミンスクの中心部に向かって進んでいた学生のデモ行進は、途中の勝利広場まで差し掛かったところでで治安部隊に止められました。
そして反対方向へ戻るよう言われたのですが、もちろん指示に従わなかった学生20人が拘束されました。護送車に乗せられ、留置所へ。
ミンスク言語大学の近くで大統領選挙のやり直しを求める署名活動をしていた女子学生二人が身柄を拘束されました。
用意していたプラカードも没収されました。
女子学生に向かって「その袋は何だ? 中身を見せろ。」と近づいてくる警官二人。顔は黒覆面。黒のジャンパーには胸元に無線を差し込む専用ポケットがついていて、警官らしいと言えばらしいのですが、よく見ると履いているのはジーパン。一人のジーパンは穴があちこちあいています。
「身分証明書を見せてください。」
と言い返す女子学生。つまり、日本で言うところの「警察手帳を見せてください。」と言っているのに、警官二人は何も見せず、一人の女子大生の腕をつかみます。
そのようすをスマホで撮影しているらしい別の女子学生が、
「女性を触らないでよ!」と言っているのに、警官は腕を引っ張って行って拘束してしまいました。
警官一人が戻ってきて、撮影している女子学生に、「撮影するな、お前も連れて行くぞ。ちゃちなスマホでつまんないことしてんな。」などと言っています。
女子学生は「連れて行く? 理由は?」などと言い返しています。(その後どうなったのか、この人が撮影していた動画だけでは不明。)
ミンスク言語学大学には外務大臣が訪れ学生と対話しようと努力しているところもありました。
しかし、多くの学生に質問されまくり大臣が気圧されているときも。
学生ではありませんが、ベラルーシ・ハイテクパークの従業員も昼休み時間にデモ集会をして、学生たちを支援しました。
(ベラルーシ・ハイテクパークにはベラルーシのシリコンバレーと呼ばれており、IT企業が多数集まっています。)
ベラルーシ大学のメインキャンパス前で、デモを続けていた学生が拘束されそうになりました。治安部隊が学生を引っ張り始めたところへ歴史学部の一人の先生が間に割って入り、その隙に学生は逃げることができました。治安部隊はこの先生を拘束。パトカーに押し込んでしまいました。先生はおとなしく連行されていましたが、学生たちに笑顔で手を振って「早くあっちに行きなさい。」と合図したらしく、学生たちは反対側へ走って行きました。
ベラルーシ大学メインキャンパスは独立広場に面しています。独立広場の地下連絡用通路は地上への出入り口がいくつか閉鎖されました。
そのためデモ集会がいくつかの塊に分散しています。そのうちの一つは地下鉄ネミーガ駅周辺へ移動しましたが、それを止めるために治安部隊が横並びになり、通りを閉鎖しました。
ベラルーシ技術大学の第18番キャンパス内で、デモ集会に参加せず、授業を受けていた学生たちが、授業が終わったので、外に出ようとしたら出入り口が外から閉められていることが分かりました。何人が閉じ込められていのか分かりませんが、相当な数のはずです。
授業の後、デモ行進に合流するのを防ぐ狙いがあったようです。その後、鍵が開けられ、学生たちは外に出ることができました。
サッカースタジアム、ディナモの近く(ベラルーシ大学付属高校に近いところ)で、人間の鎖を作っていた学生たちが200人いました。男性のほうが拘束されやすいので、男性の列の前に女性の列が立ち、拘束されないようにしています。
このサッカースタジアムには、8月30日のデモ行進のときに身柄拘束されたサッカー選手二人が所属するチームの試合でした。
一人は怪我のため出場できませんでしたが、もう一人は出場し、スタジアムに登場すると、(無観客試合ではなかったので)観客が立ち上がり、長い拍手で迎えました。
チームのメンバーは「私たちは暴力に反対」と書かれたお揃いのユニフォームを着て登場しました。
しばらく後の映像です。
何十人もの若い男子学生が全力で走って逃げているところへ、治安部隊が追いかけてきます。
男性の一人が植え込みのところで転ぶと、すぐに拘束されていました。
サバンナでチーターのような肉食動物がシマウマの群れを襲って、運悪く足が遅かったシマウマが捕まってしまった動物番組の映像を思い出してしまいました。
この付近にデモ集会をしていた人は治安部隊に追い払われていましたが、女性も拘束され、また護送車やパトカーが発進するのを止めようと大勢の人がその周りを取り囲み、車体を叩いたり、フロントガラスに取り付いたりしようとしました。しかし、無理やり発進。
「恥知らず!」という声に見送られて護送車は留置所へ。
BBCニュースの記者は拘束されそうになりましたが、逃げ出せました。
他のジャーナリストで拘束されている人が多くいるようです。
ベラルーシ大学付属高校前でもデモ集会があったのですが、この高校には今日からベラルーシ大統領の三男が通学する予定でした。しかし昨日突然入学の手続きを取り下げました。
学生は国会議事堂前まで行き、選挙戦について質問があるので、国会議員の一人を名指しで呼びかけていたのですが、国会議事堂の前には、この議員は病気になりました、質問状は手紙にして提出してください、という紙が貼ってあるだけ。
ベラルーシの大学生によるデモは昼から始まり、ミンスク市内のあちこちで集まった学生が合流し、大きな行進になっています。
ミンスクの学生デモは昼頃始まり、身柄拘束が始まり、その後午後6時にまたデモ集会が始まりました。そしてまた身柄拘束。
1日で480人が拘束されたという情報があります。
夕方にはベラルーシ医大前でも人間の鎖が作られました。それに参加していなくても、お菓子や食べ物(ドラニキ)を振る舞う支援者もいます。
そこへ合流しようとしていた学生カップルのうち男性が拘束されました。この男性は白赤白の旗を持っていたのですが、畳んだ状態で脇の下に挟んでいただけで拘束されました。
医大生(みんな女性。男性が助けに行こうとするとその人も拘束される。)が、どこへ連れていくの! と治安部隊を追いかけたり腕を引っ張ったりしましたが、もちろん止めることはできません。
「警察は拘束するのは誰でもいいのよ!」と女子大生の一人は主張していました。
そしてまたカトリックの教会(通称赤い教会)前でもデモ集会が始まりました。ベラルーシヘの入国(帰国)が認められなかったカトリック大司教を支持する集会です。
午後8時半ごろデモ集会はさまざまな方向に分かれて小さい行進を作りながら解散していきました。
喜んでいいのかどうか分からないですが、学生らしいなあという場面もありました。
音楽を鳴らしたり、歌ったり。治安部隊が並んでこっちを見ている前で、ダンスをしてデモ。
治安部隊をバックに男子学生が女子学生に
「好きです! 僕と付き合ってください!」と告白。
女子学生の答えはもちろん「ダー!」
デモは5時間続いたのですが、参加している孫娘のためにおばあちゃんが
「お腹すいたでしょ。はい、お弁当。(中身はドラニキ)」
を差し入れしたり。
ミンスク以外の地方都市の大学生も各地でデモ集会をしました。そしてまた身柄拘束された人が多くいます。
学生デモについて、支持する人もいれば、そうでない人もいます。そうでない人の意見は、
「うるさい。」「大勢で集まるな。」「学部ごとに学生代表を一人ずつ決めて、その人たちだけが学長室へ行けばいい。」「大勢が通りに集まっても意味がない。」「自分たちが恵まれていることが分かっていない。まだ子ども。」「全員退学処分にして、兵役義務に就かせろ。」「全員退学処分とし、農村に送り、ジャガイモの収穫の手伝いをすればよい。(これは大統領発言)」「そんなにこの国に不満があるなら、外国へ出て行けばいい。帰ってこなくていい。」
この最後の発言は危険です。そんなことを言って多くの学生が絶望し「これだけ訴えてもこの国は変わらないのか。だったら自分が住む国を変える。」と思って外国へ出ていくとします。
それがとても多くなったら、ベラルーシの人材が全て外国へ流れてしまって、もう戻ってきません。
「でも、学生全員外国へ行けるわけないし。」と言う人もいますが、IT企業の従業員が家族ごと外国へ移転しようとしているのですよ。
従業員数1万人の企業もあるんですよ。ベラルーシの大学生が全員でなくても例えば10パーセント外国へ出て行ってしまったときの経済的損失を考えてみてください。大学は何とかベラルーシ国内でがんばって通い、卒業と同時に外国へぽーんと行ってしまう人が激増するかもしれませんよ。
年配世代が若い世代に辛口批評するのはよくあることですが、「この国が気に入らないなら出て行け。」は禁句だと思います。
親が子どもに向かって「そんなにこの家が気に入らんのか、だったら出て行け。」と言って本当に子どもが出て行って帰ってこなかったら、その家は途絶えてしまいます。途絶えなくても斜陽の家になります。国も同じです。
(まだ国内でジャガイモ掘るほうがまし。ちなみにソ連時代、学生は秋になると本当に農村(コルホーズ)に送られて、ジャガイモの収穫を手伝っていました。ベラルーシ人の主食はジャガイモで国民一人当たりの収穫量は世界一位。ということは収穫作業の量も世界一。人手が必要です。)
ベラルーシも少子化傾向があり、これ以上若い世代がいなくなったら、ベラルーシはどうなるのか、年配世代は考えてから発言してほしいです。
そもそも独裁政治が26年も続いたのは年配世代にも責任の一端がありますよ。大学生は「その前の時代」を全く知らない人たちばかりです。
長期政権国家を作り上げたのは大統領一人の責任ではありません。支持する、あるいは黙認した年長者の世代にも責任があります。そして長期政権にも一長一短ありますが、その負の部分が今一気に明らかになっている状態です。負の部分のせいで負の人生を生まれながらに送らされている、と感じている学生も多いでしょう。(プラスの部分の恩恵も受けていますが。)
そのように学生が感じるようにしてしまったのは年長者世代にも責任があるので、「気に入らないなら出て行け。」と言うのは実は的外れの意見なのですが、発言している側はそれに気がついていません。