2021年8月8日。東京のオリンピック閉会式をテレビで見ながら、予想していたけれど波乱があったオリンピックだったなあと思いました。
次はパラリンピックですね。無事に開催されてほしいです。
今度はベラルーシからラトビアに難民35人が不法入国しました。リトアニアへはぴったりなくなりました。
ラトビア政府は対応に追われるでしょう。しかしベラルーシとの国境線は短いので、鉄条網を張るのもまだ簡単ですね。
リトアニア政府は80人の難民をベラルーシ側に返しました。
イラク政府はベラルーシ政府とリトアニア政府に向かって、イラクの難民を丁重に扱うよう要請しました。
リトアニアとポーランドはEUに対して、対ベラルーシ制裁を拡充するよう要請しました。
昨年8月に反政府デモ集会に参加して、警察の発砲によって死亡したとされるシュトフさんの息子が、反政府活動をしていた疑いで逮捕されました。
父親の敵討ちがしたいような心境になったのでしょうか。
8月3日にウクライナのキエフにある公園内で遺体で発見された亡命ベラルーシ人支援グループのリーダー、シショフ氏ですが、実はどういう人物なのかあまり知られていませんでした。
ネットでプライバシーを自らさらすようなタイプではなかったのでしょう。
しかし、友人たちの話がまとめられ、記事になっています。シショフ氏は地方の出身で、プログラミングの勉強をするためカレッジに入学したころ相次いでガンで死去したので、苦学して卒業。ゴメリの内装会社に就職してサイトの運営を担当していました。
そのときサイトに載せた画像のことで警察から取り調べを受け、(そんなに法に触れる危ない画像だったの?と思いますが。)そのときの厳しい警察の態度や、有罪判決を受けて短期間服役したことから、友人たちに警察嫌悪の感情を打ち明けるようになったそうです。
出所後2019年にウクライナへ行き、移住したいと希望するようになりました。その後、ベラルーシ反政府活動に参加したので、ベラルーシからウクライナへ移住希望するようになったベラルーシ人を支援する団体「ウクライナにあるベラルーシの家」を設立し、住居探しを手伝っていました。
そして趣味のジョギングに行ってから行方不明となり、遺体となって発見されました。享年26歳です。
やはりベラルーシの警察嫌悪の感情が根になっているのですね。
ベラルーシでは毎日のように逮捕者が出ていますし、取締が非常に厳しくなったのでデモ集会もほとんど行われなくなりました。
しかし、だからと言ってみんな政府支持派になったとは思えません。心の中ではどんな事を考えているのか・・・
そして黙って外国へ出国していくベラルーシ人が増える一方です。
先日ノーベル賞作家のアレクシエーヴィチが、インタビューで「すでに数十万人のベラルーシ人が外国へ出国した。」と言ったのですが、人口950万の国でそれは誇張しすぎではと思っていました。しかしこの数字がだんだん現実味を帯びてきています。
ベラルーシの高校で使用される国語の教科書からアレクシエーヴィチの作品を除外することが決定しました。(また教科書を作り直すのでしょうか・・・。)