日曜日、午後から熊本市内のホテルで開かれる催しへ出席する予定があったので、秋晴れのいい天気の中、早めに家を出て、熊本城へ行ってみました。
熊本城へは震災の後、一度訪れたことはあったのですが、熊本への転勤後は初めての訪問となります。
(ちなみにこの日は震災後ちょうど2年と半年となる日でした。)
まずは、熊本城への入り口付近にある「加藤清正公」の銅像です。
熊本城は、加藤清正公によって築城、1600年に完成したそうです。
入口付近には、新しい施設「桜の馬場 城彩苑」があります。
お土産屋さんや食事処、あと、休日ということもあり、いろいろなイベントが開催されて賑わっていました。
ランチはこの施設の中にある「肥後めしや 夢あかり」さんで、熊本のご当地グルメ「太平燕」(タイピーエン)をいただきました。
これは熊本にしかない中華料理で、適切かどうかわかりませんが、麺が春雨で、その春雨スープに野菜や海鮮などチャンポンの具がトッピングされたようなものです。
”熊本にしかない”と言いましたが、私が小学生のころには、福岡の給食メニューにあったのを記憶しています。
ヘルシーなランチを済ませ、少しずつ熊本城へ坂道を登っていきます。
二の丸公園まで行くと、天守閣が見えます。
復旧工事が行われており、天守閣の周りにはクレーンも見えます。
現在、天守閣に一番近づけるところは、加藤清正公が祀られている「加藤神社」となります。
ここまで行くと、天守閣の屋根あたりは既に葺き替えられている様子も見ることができます。
少しずつ、着実に復旧は進んでおり、天守閣は2021年春には一般公開となる予定だそうです。
「加藤神社」で参拝も済ませて、また戻ることにします。
途中の石垣は崩れたままとなっています。
この「戌亥櫓」(いぬいやぐら)は、櫓下の石垣が大きく崩落して角石のみで櫓を支えている状態となったままでした。
この石垣をどうやって修復するかというのが課題のようで、熊本城全体の復旧工事は2037年度までかかるとのことです。
あの西南戦争で、西郷隆盛が攻め落とすことができなかったこの名城の復旧には、まだまだ長い期間が必要なようです。
熊本城を下っていき、市内の繁華街から熊本城を見上げると、こんな感じです。
その後、無事に仕事を済ませて、家に帰りましたが、この日1日で約8㎞歩いていました。
熊本城へは震災の後、一度訪れたことはあったのですが、熊本への転勤後は初めての訪問となります。
(ちなみにこの日は震災後ちょうど2年と半年となる日でした。)
まずは、熊本城への入り口付近にある「加藤清正公」の銅像です。
熊本城は、加藤清正公によって築城、1600年に完成したそうです。
入口付近には、新しい施設「桜の馬場 城彩苑」があります。
お土産屋さんや食事処、あと、休日ということもあり、いろいろなイベントが開催されて賑わっていました。
ランチはこの施設の中にある「肥後めしや 夢あかり」さんで、熊本のご当地グルメ「太平燕」(タイピーエン)をいただきました。
これは熊本にしかない中華料理で、適切かどうかわかりませんが、麺が春雨で、その春雨スープに野菜や海鮮などチャンポンの具がトッピングされたようなものです。
”熊本にしかない”と言いましたが、私が小学生のころには、福岡の給食メニューにあったのを記憶しています。
ヘルシーなランチを済ませ、少しずつ熊本城へ坂道を登っていきます。
二の丸公園まで行くと、天守閣が見えます。
復旧工事が行われており、天守閣の周りにはクレーンも見えます。
現在、天守閣に一番近づけるところは、加藤清正公が祀られている「加藤神社」となります。
ここまで行くと、天守閣の屋根あたりは既に葺き替えられている様子も見ることができます。
少しずつ、着実に復旧は進んでおり、天守閣は2021年春には一般公開となる予定だそうです。
「加藤神社」で参拝も済ませて、また戻ることにします。
途中の石垣は崩れたままとなっています。
この「戌亥櫓」(いぬいやぐら)は、櫓下の石垣が大きく崩落して角石のみで櫓を支えている状態となったままでした。
この石垣をどうやって修復するかというのが課題のようで、熊本城全体の復旧工事は2037年度までかかるとのことです。
あの西南戦争で、西郷隆盛が攻め落とすことができなかったこの名城の復旧には、まだまだ長い期間が必要なようです。
熊本城を下っていき、市内の繁華街から熊本城を見上げると、こんな感じです。
その後、無事に仕事を済ませて、家に帰りましたが、この日1日で約8㎞歩いていました。
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