音楽の森とタイニーハウス

茨城県山間部のログハウス&音楽研修施設

『永遠の0』と筑波海軍航空隊記念館

2014-01-17 | コミュニティー
デジャ・ビュいわゆる「既視感覚」が子供のころから強くある。
スピリチュアルな体験も一度や二度ではないし、それがなぜそう
なのかは、後に神の啓示のごとく繋がってくることが度々である。

その場所はいつも何気なく車で行き来する友部の市街にあった。県立
「こころの医療センター」は良く行く市営の銭湯「いこいの家はなさか」
の先にある。この地に通うようになり、病院正門から初めて加賀田山
方面を見たときのことは、今でも強烈に覚えている。郷愁を誘う美しい
山々はまさに既視感であり、入り口の門柱は奇妙な拒否感を漂わせて
不気味だった。

昨年の暮れに北関の友部インターを降りたとき見つけたもの。
「筑波海軍航空隊記念館」ののぼり旗がたくさん。
「これって親父のいた航空隊だけど?筑波山の麓じゃないのか?」
「でも笠間って書いてあるよ」「ちょっと行ってみようか」

案内に従ってすぐに着いた場所が「こころの医療センター」だった。
「あっ…そういうことだったのか…」
自分が感じたデジャ・ビュの意味が解って愕然とし立ち尽くした。

そこはまさに戦時中の筑波海軍航空隊跡地であり、亡父が第13期
海軍飛行予備学生として訓練しその後零戦に搭乗、大戦末期には
戦闘403飛行隊にて紫電、紫電改で戦った軍歴の中核となる場所であった。
幾度となくその正門から加賀田山を見上げたであろうその場所に、自分が
なぜ偶然にも立っているのか。引き寄せられるようにこの土地に通って
いるのはなぜななのか。その回答を一気に貰ったのである。

(写真は現存する旧筑波海軍航空隊司令部旧舎)