ネコリンヘンプ

安定剤(ソラナックス0.4㎎1~2T/dayを頓服で反復服用20年近く)断薬の記録つきヘンプブログ

バアサンの誕生日

2011年08月25日 21時04分23秒 | 日々の症状
友達に頼まれて作ったプチプレゼントのストラップ。

2011.8.25
今日は62回目の誕生日。
ワーイワーイ!と祝うことにしよう!
10年前には60代の人の気持ちなぞ考えてみたこともなっかった。
今は70代の人の気持ちを考える。年をとるとはちっとも刺激的なことではない。
30代の自分も20代の自分も5歳の自分も一緒に存在している。
バアサンと呼ばれる外見とあまり落差のないように生活しようと殊勝なことを考えるようになったこのごろ。
そのほうが要らぬ詮索を受けることも減る。ずっと変わらない興味の種を見つけてウキウキするのは3歳も60歳も一緒だ。
幼児のころはまわりの景色が物珍しく身体もそうそう痛んでいなかったせいか外界と自分がよく共振してエネルギーの大きさにビックリしたり怖くなったり幸せになったり忙しかった。
陰影のあるメリハリのある世界がいつかしらノッペリした平面的な世界になっていったのはなぜだろう。
身体のトラブルや人間関係のトラブルを抱えるようになってひたすら頭を使うようになってからだろうか。小学生の時に大きな怪我をした。その頃から私はこの三次元の世界に身体を縛り付けられて能天気な生まれ性では生きていけないように仕組まれた気がする。
次から次に起こる出来事を乗り越えるので精一杯の人生を送っているうち私の目に映る風景は影を失いメリハリを失った。
冗談ではないのだ!私は私の知っているあの輝かしい光溢れる世界を取り戻さなくては!
それを思うとワクワク胸がふぅとなる。
私の人生最後の仕事。
自分が何を知っていたのか思い出すこと。楽しみで仕方がない。

最近の離脱症状
異常気象といわれる昨今
気圧の変動が尋常ではない。アップダウンを繰り返す毎日に身体も一生懸命だ。
イスやソファーに座っていることが非常に楽な姿勢だと気がついた。今更。
立つと平衡感覚がまだ十全ではないので身体のバランスを司る神経が一斉に緊張する。
立つ、歩くという動作がまだ完全には普通に出来ない。
歩く時はいつも足に神経がいく。動作を頭で補いつつ歩く感じ。もちろんなんとも言えない不快感が足に残っている。
動作が自然に出来ないのは離脱後ずいぶん酷くてかなり軽快してはいるが1年10ヶ月経っても完全回復していない。
今は次の動作をシュミレーションしなくてもよいようになっているが初めの数ヶ月から1年以上は次の動作をしばらく頭で考え左足から出そうとか、まずは右を向いてから身体を横にしようとかよくやっていた。バスタブから出るのも、ちょっとそこのものをてを伸ばして取るのも勇気が要った。
酷いものだ。今は足にそれが残っている感じ。それと平衡失調とぐらつき。それに伴うザワザワした不快感。身体の固まり、コリ。
そしてまだまだ神経がリラックスの多くを忘れている。だからスーパーもまだ辛いし、信号待ちもしたくない。孫娘の遊びに付き合う気長な時間が非常に苦痛だ。床に座るのが苦痛なのも平衡失調やまだまだ残っている神経の異常のせいだろう。
気持ちはだいぶリラックスを思い出してきていて焦って空回りするような動きを制止しようとする。
睡眠は私の場合非常に回復が遅く、今でもぶつきりの睡眠で入眠は遅く、まだ朝まで眠れないことも多い。ただ足し算するとまぁ少しは眠れているので質の悪さは致し方ない。
入眠時の気持ち悪さはたまに出るし、船底で寝ているかのようなぐらつきもたまに出る。
しかし酷さと回数は明らかに減っている。一番の変化は睡眠に拘らなくなってきた事だ。気になって恐怖すら覚える、それこそが離脱症状のひとつだ。
あとは耳鳴り。これは全く変わる気配なく続いている。
不整脈、軽い頻脈も途切れない。
気持ちとしてどこかに出かけるのは自信がない。遠出はできない。
でもいつか元気になってハワイの真っ赤な夕陽をもう一回浴びてみたい。なんて思っている気がする。そんな離脱空間に漂う毎日。





6月には負ける。

2011年06月27日 11時41分34秒 | 日々の症状
2011.6.27月曜日
今日は午前中に〒へ行く用事があって歩いてちょいとそこまででかけてきた。
天気は小雨。曇天は重く垂れ込めている。
土曜日の午後1時過ぎふっと脳が変な感じになった。いつもの平衡失調。
言葉では平衡失調となるのだけど身体を殆ど動かしていない状態で平衡失調とは、外界への対応で神経がバランスしようとしたとは思えない。
もしくは耳が持病の悪化を招いているか・・・。
でもその急な脳の変化する感覚は離脱以前は味わったことが無い。
離脱症状がある瞬間に強くなるというのをこのところ感じている。
たまごさんとこのBBSで”一日のうちで何回か起こる離脱症状”というような表現を読んだ気がするけど、その頃は意味が良く分からなかった。
症状は途切れることなく続いているので私の場合は強くなるか弱いかということだけれど、その瞬間って言うのがあるんだなぁと実感した。
そしてこんな曇天の日々、急に暑くなったり雨が降ったり、気圧の上下変動の激しさは症状を強くするのは明らかだ。
自律神経の働きがついていけないようだ。
〒へ歩く10分程度の道のりも恐怖だった。
数回貧血のようになり身体は緊張でカチカチで歩き辛い。非常に気分の悪いアブノーマルな状態。
これでも以前よりは多少改善されたのだけれど本当に辛い。まだ自分の身長が急に低くなったように感じることも、起き上がりこぼしのように頭がアチコチに振れる様な平衡失調もすこしだけ弱くはなったけど治まらない。
でも日によってはもうOKかいな?と感じる短い幸せな時間もやってくることもある。しかしそれはもうかれこれ1年以上前からあったのでこの頃は素直に喜べない。
ソラナックスの薬害。
報われる日は来るのだろうか。


浜のミサンガ

不眠の日々。

2011年05月24日 19時58分12秒 | 日々の症状


2011.5.24火曜日
ベンゾの服薬理由はパニックとメマイ。
パニック発作のときにはまだパニックという言葉さえなかったころ。投与された薬がどんなものであったか定かではない。同時期にメマイも起こして(浮動性)いたので何がしかのクスリはずっと渡されていたが飲み続けた記憶はない。だからその頃はベンゾの身体への作用も自覚していない。眠くなるとかぼ~とするとかいう記憶もないのでほとんど飲んでいないはずだ。その代わりといってはなんだがパニック発作の予後は悪く常に厳しい生活を余儀なくされた。メマイも同様で一回起きると治まるまで時間がかかり段々それも長い時間が必要になっていた。
1週間が2週間、1ヶ月になり3ヶ月になり・・・我慢できなくて耳鼻科へ。元々耳の手術の後遺症もあって耳鼻科へは定期健診が必要だった。メマイの検査はいつも問題なし。それでメマイカウンセリングへまわされた。
そこで3年半の長きに渡ったカウンセリングは特に効果なくお金が消えて行った。
生活の場面では子育てや親の入院やこなさなければならないことが目白押しの世代に入ってメマイでカチカチの首筋もベンゾを飲めば多少は楽で、店の陳列棚を見渡せばぐらつく目もキンキンしなくなる。
それを覚えてベンゾが手放せなくなって生活の必需品になっていった。
飲んだ後のふわぁ~とする解放感は苦しみぬいた身体には救世主のようだった。
数年は頓服で飲んで何も不都合は無いように思えたし自覚はなかったが今にして思えばその頃にはもう地獄の門をくぐっていたのだ。
眠っていてふっと恐怖で目が覚める。それは理由も無いなんとも説明のつかない恐怖。慌てふためいて自分の生活の中に何か恐怖を呼び起こすような事がないか一生懸命探す。長く生きていればそんなことの一つや二つはあるものだ。そんなことで納得して日々を過ごすうちにどうにも精神的緊張が強くなって自殺念慮に襲われるようになる。理屈も何も無い衝動が身体を突き抜ける。一線を越えなかったのは何故だろうか。自殺する理由がなかった、というのが理由かもしれない。衝動を抑えるために友人にTELをしたりして理屈に合わない自殺念慮を放棄して過ごした。そして次に来たのが不眠。元々あっという間に寝てしまうし一回寝たら起きないという恵まれた体質だった。それが入眠出来なくてこんなに苦労するとはユメユメ思わずに生きてきた。
恐怖と自殺念慮と不眠は自分の精神がおかしいという結論と共に受け入れてしまったクスリの副作用だ。断薬して最初に消えたのが自殺念慮、次が恐怖、で不眠はしつこく残っている。
もちろんメマイもぐらつきも痺れも身体の緊張も頻脈も残っているけど精神症状が一番先に消えて行ったのは私の服薬動機が精神症状ではないからなのではないか。
パニック発作も苦しかったがクスリの影響をほとんど受けずにいて今回の離脱では症状が舞い戻っているが酷くはない。しつこく残るのはやはり服薬動機のメマイと途中から服薬動機になった不眠。
最初に効いた部分が最後まで残るといわれる作用機序。
こう長いと最後なんだと言い聞かせて自分を慰めてみるが果たしてベンゾの毒の手ごわさはいかがなものか。

頻脈発作

2011年05月16日 22時14分46秒 | 日々の症状



2011.5.16

今日は午後2時からシルバーのお仕事。いつも通りでかけていつものようにあれこれして、女の子がひざをすりむいて血が出ているので消毒をしているうちに・・・あれれ・・・心臓がボコボコ始まった。いつもなら数秒で止まるのだけど一向に止まらない。
校舎の陰で収めようと息を止めてみたり、水を飲んでみたり・・・止まらない。どうにも仕方ないので早退を決めて帰宅。しかし止まらない。
友人にメールをなんとか送って返事を待つ。彼女も頻脈の持病があるのでお互い心強い。この数年彼女の心臓は反乱を起こしていないが。
氷をかじったり、頚動脈を軽く押さえたり、立ったり座ったり1時間半を過ぎようとした頃、友人が駆けつけてきてくれた。私の胸に手を当てていつものよりは拍動が弱いねと言う。確かにそうだ。いつもの強い収縮を繰り返す発作だととても家まで帰れない。
何とか話も出来るが1時間を越える頃から頭が白み始めて貧血状態。血の気が引く。
と、突然止まった。ほっ・・・。
頭がクラクラするのは夜まで続いているし、途中トイレに起きたら平衡失調が酷かった。ショックのあまりどうにかなりそう。もうグラグラ平失はご勘弁を・・・。
2005の初発時の診断は発作性上室性頻脈。止まればいいんですって医者は言ったけど止まらなかったら?
あのときのように救急車で運ばれて点滴をされては不可能。知らずにベンゾが入っているし。
ワソランという劇薬を頓服として一応持っている。今日は口に含んだ。飲もうとして止めた。それから10分後に止まった。良かった飲まずに。
しかし1時間以上は長すぎる。今も心臓の裏辺りの背中が痛む。頭がくらくらするしいい加減グレてしまいそうだわ。
まだまだ離脱は終わっていなかったなぁ。今日もご苦労さん、私の身体。一体どんなわけがあって騒いだのか?
また静かに思ってみようか。


最近の症状

2011年02月22日 14時23分35秒 | 日々の症状
チャムランさんのナチュラルヘンプと単色で、巻き結びブレス。

2011.2.22(火曜日)
ソラナックス断薬1年と4ヶ月に入ります。

最近の離脱症状
具体的な生活風景から。

★炊事は
キッチンに立つと何故か流し台が前に斜めっているように感じてどこかに摑まりたくなるというのが長く続いた。最近は少し平衡感覚がおかしいなぁと思う程度になっていきてる。
キッチンでの動作はあちこち向いたりしゃがんだり手を伸ばしたり色々な動作をするがとてもストレスを感じる。

★洗濯物をたたむ時に辛い
座って手を動かすと自然に頭も動くせいで段々船酔い状態になって気分が悪くなる。
断薬直後は何故か床の上にも座れなかったので回復しているのかもしれない。
仮福真琴さんところで洗濯物をたためないという記事があったと思う。

★コタツを囲んで座れない。
床に座れないのと同じなのだけれどもう1ステップコタツに入るという動作があるのでまだ床に座ってコタツに入れない。ソファに座った状態でコタツに足を突っ込んでいる。入ってみるが緊張が強くなって何処かにつかまりたくなる。

★散歩に出ると歩き始めの15分くらいがとても辛い。
グラグラして平衡感覚がおかしいのを強く感じる。息苦しさや胸の詰まり感・・・要するに身体全体が緊張してきつい。しばらくすると段々身体が慣れてくる様子で大丈夫という気持ちになるがかなり厳しい。

★入浴中
湯船が必要上に揺れる感じはまだ続行中。
洗髪のとき頭を下げたり目をつぶった状態で頭を洗うのがまだ気分が悪い。
バスタブの出入りが自然にできない。考えてから行動する。

★朝起きると
朝食を食べることはあまり無いのだけれど食べると動悸、ワナワナが始まり家事の最中もずっと続く。
朝食を食べないで(朝遅いので)動くときはあまり酷くない。
散歩の歩き始めと一緒でエンジンがかからないポンコツみたいだ。

★家の中で
沢山の人が話していたりTVの音が混ざっていたりするとパニックを起こしそうになる。
軽く起こすことも。

★寝床で
寒いのでユタンポを入れているがあまり温めすぎると頭がグラグラしてくる。しかし寒くて身体が温まらないので仕方が無い。これは大分改善されたけど最近まで酷かった。
頭位を変えるとズーンというめまいがする。これも大分改善された。
眠りに入ろうとすると急に不安で覚醒する。これも少なくなった。
眠りに入ろうとすると気分が悪くなる。これも少なくなったがなくなってはいない。
入眠困難。波があるようだが少しは良いかもしれない。しかし眠れないと朝まではかわらない。
睡眠自体は少しの改善をみて中途覚醒が減り、入眠できれば5時間位は眠れるようになった。

★出先で
電車は・・・・・遠距離でなければなんとか切り抜けられる。コンコースとかがすこし辛い。

デパートは・・・・照明が眩しくて長くはいられない。体調によって凄く違いがある。
車は・・・・普通に走っている分には問題ない。運転はしないが。

整体での施術は・・・・治療台に乗るのだが、その乗り降りと体勢を変えることに非常な負担を感じる。体調によってはぐらついてまともに体勢変化をすることができない時もある。


全体的にしゃがんで立つ、立ったり座ったり、振り向く、ソファの下を覗く(頭を下げる)などの動作がまだ苦痛だ。
まだ書くことはありそうだけれどこうやって書くとかなり厳しい日常生活だと思う。
しかしこれでも断薬直後からすれば天国のよう。
先日急に稲妻のような光の輪が見えて消えず、見ているものがチカチカしてパニックになった。
光視症という病気があるらしくそれを疑ったのだけどどうやら治まった。またニューフェース登場かもしれないな・・。




うつうつして死にたくなるので精神科や心療内科へ行こうと考えているアナタ、パニックを起こすのでノイローゼになっているアナタ、メマイや肩こりで耳鼻科や整形外科や内科で安定剤を出されているアナタ
アナタが行こうとしているところでは脳神経をめちゃくちゃにするクスリが処方されます。
アナタが飲んでいるクスリは安全ではありません。脳神経をめちゃくちゃにするクスリです。
これらのクスリによって生命を維持し生活を維持しておられる人々がいるのも知っていますので全否定はしません。
しかし他に道がある人は飲んではいけません。まして子供に投与するのはどういった見解があってのことでしょう。投与も非投与も生命にかかわるという究極の選択だと言えるのでしょうか?
数少ない断薬ブログやサイトへ先ず行ってみてください。そして読んでください。
クスリ以外の道も示唆されているはずです。そしてクスリの地獄を覗いてどうか踵を返して光の道に戻られますようにこころから願っています。








まだまだ

2011年01月29日 13時02分23秒 | 日々の症状
チャムランさんヘンプグラ太で四つ組。簡単なタイ。


2011.1.29 断薬1年と3ヶ月  まだまだぶり返すとは・・・。

この半月孫娘の滞在、母の13回忌や来客で疲れたのだろうか・・ぶり返している。それほどの体力の消耗も無い時間を楽しく過ごしたつもりなのだが。
きっかけが違うことかもしれない。心身の中核をまた失って全てが不安定なまま。
今朝からふらつきと平衡失調、胸苦しさ、ワナワナ感や気分の悪さが戻っている。
気持ちが晴れない日々が続いていたがそれが身体にも現れたのだろう。
人間の心の襞や細かい心理操作に反応してしまう自分に疲れた。反応しないようにするのが目標だが中々難しい。
抵抗しないで受け入れる。
辛いことも苦しいことも・・どうして??って思うことも。
このぶり返しもいつか終わる。そして離脱もいつか終わる。元には戻らない。
この身体という乗り物でこの次元の一生を生きるのに元には戻れない。
この症状が一生消えなくても後悔はしない。これが私のこの次元での人生。

死ぬのが怖い?

そう怖い。

時々怖くない。

沢山本を読み、宗教に頼り、何かで紛らわしても・・・手にする答えは無い。
全ては自分の中にあるから。
身体も一緒。
心身はひとつ。究極こころひとつ。宇宙は私。


日々の想い。

2011年01月22日 11時28分06秒 | 日々の症状
チャムランさんから届いたヘンプ!!お楽しみ~!

2011.1.22 土曜日 明日は断薬丁度1年3ヶ月記念日。

去年の年末からベースの気分の悪さが軽快してきてだいぶ過ごしやすくなってきている。
しかし睡眠の回復は遅々として進まない。
去年の12月初旬から睡眠の質が変化して続けて眠れるようになったと喜んだが下旬からまた戻ってしまった。
丁度娘の離婚が決定的になった時期と重なる。
離脱中はTVのニュースでもなるべく避けていたけれどこればっかりはどうしようもない。
あと少し元気になるまで待って欲しかったがそうも行かなかったのだろう。
かなり強いストレスでぶり返しが来るのはわかっていたがやはり厳しいものがある。
まだまだ問題は山積みの状態でライフイベントと無関係には生きていけないのだから仕方が無いが、なるべく全て真正面から受け止めないように自分をコントロール出来るよう自戒したい。
ヘンプは私の憩い。
断薬の記録とともにヘンプの素晴らしさを発信したいと願っている。
私の苦しい日々を支えてくれたヘンプの不思議な魅力を一人でも多くのヒトに伝えたい。



●CCHRについて(HPからのコピー)
市民の人権擁護の会(CCHR)は、1969年に設立され、メンタルヘルスの分野における人権侵害を調査・摘発する世界規模の監視団体です。ロサンゼルスの国際本部から世界各地にある支部の活動を調整しています。

昨日のコーヒー

2010年12月12日 21時59分32秒 | 日々の症状
フクロウさんがかわいいの。ブルーアップルさんのアジアンヘンプで。
ソラナックス断薬14ヶ月経過したところ。晴れ晴れした日々はまだ来ない。

日曜日
昨日のお出かけとコーヒーのせいでかやっぱり不眠だった。あさ5時くらいまで起きていた。もういいか。心配するのに疲れた。
もう眠れなくて昼間ぐらぐらが酷くてもう仕方ないから。少しずつ回復して行くなんて感じはまったく無い。
今日は畳に座って食事をしたけど、ぐらつきと平衡失調感で身体の落ち着けどころがない。不自然な力が入っているらしく身体の全体的な痛みがこのところ酷い。九州の知人の電話を受けて話したがこれもまだまだ厳しい。
珍しく夜、姉のところから帰る道すがらおぼつかない足元で車のライトや街灯を見てみた。やっぱりすごい勢いで光が筋になって放たれている。全方向へすご~く長く。こういうのも治るのだろうか。耳鳴りもうるさくてたまらない。
一つ一つ確認するとすべてが変化無く酷い。変化は回復の兆しだとか。
・・・・・全部ってのはウソかな。動悸、不整脈はだいぶ楽。しびれも骨まで痛いという頃よりいいかな。歯磨きもだいぶ楽。でもベースが苦しい。
精神症状が楽になるのが早かったのがせめてもの救い。断薬後半年くらいでなんとかなった。今も出るけど続きはしない。
この精神症状について長い書き込みをしたのだが操作ミスで消えてしまい、いまだに書き直す気力が無いままだ。
離脱症状を理解しあえる仲間がネットを通して支えてくれる。それが自分にとってこんなに大きな力になるなんて思ってみなかった、うれしい発見!!本当にありがとう~!

●CCHRについて(HPからのコピー)
市民の人権擁護の会(CCHR)は、1969年に設立され、メンタルヘルスの分野における人権侵害を調査・摘発する世界規模の監視団体です。ロサンゼルスの国際本部から世界各地にある支部の活動を調整しています。

ひさしぶりの集まり。

2010年12月11日 21時17分40秒 | 日々の症状
ソラナックス断薬14ヶ月経過したところ。晴れ晴れした日々はまだ来ない。

土曜日
今日は知人が北海道へ転居するというのでこの世ではもう会うこともないなぁと考えお別れ会に行くことに決心して行った。
久しぶりに会う人が多く、私の近況を伝えつつクスリの事も少しは話しながらだったがすぐに後悔が始まった。
思ったよりしんどい。7月にこの人たちと会ったときの方が全然楽だった。
音がまず響いて苦しい。色々な人と話すのが苦痛。段々動悸も出てきてワナワナが気になる。
それでも昼食をなんとか一緒に食べて特に親しいいつもの友人の車で退散。途中で喉が渇いたのと興奮を鎮めようといつもの喫茶YASUTAKEさんへ。
思わずメニューに無いコーヒーフロートを注文。”わがままだ”と言われながら普段から飲まないコーヒーを飲んでみた。
どうも”まずいかなぁ”と不安な状況になるとわざと普段トライしない不利な状況を作り出すへんなクセがある。
疲れているのだから普段飲まないカフェインのコーヒー飲まなくてもいいのに、疲れていても飲んで大丈夫ならもうOKかもって思いたい一心でみたいな・・・これもやっかいな性格だ。
案の定というか、コーヒーのせいかその集まりでの興奮のせいか分からないけど帰ってから体はカチコチ頭はふらふら、相当なぶり返し感。今までなら正気じゃいられないんだけど、少しは成長しなきゃだ!
大丈夫音頭♪を唄ってお風呂に入り半身浴。・・・・変わらない。キーボードを打つ手がワナワナ。
う~~ん、・・・・・・でも大丈夫!
カナダのダナちゃんからクリスマスプレゼントが届いた。うれしいな!2歳年下のカナダ人のダナは、日本にいた時半年間うちで暮らした。
ハーブティも最近送ってくれたっけ。カモミールが自分は睡眠に効くって言ってる。何でだか思ってることをストレートに口にする奥ゆかしくない外国人の女性が私の呆けた頭には楽なのか気が合う。いつかまた一緒に暮らしたい。

●CCHRについて(HPからのコピー)
市民の人権擁護の会(CCHR)は、1969年に設立され、メンタルヘルスの分野における人権侵害を調査・摘発する世界規模の監視団体です。ロサンゼルスの国際本部から世界各地にある支部の活動を調整しています。

ワナワナが出ている。

2010年12月07日 11時44分12秒 | 日々の症状
2007 ベネチア この格好で寺院見学しようとしてエマと二人で入口で止められた。テロリストみたいか?
ソラナックス断薬13ヶ月経過したところ。晴れ晴れした日々はまだ来ない。

火曜日
昨日友人が来て長く話しをしすぎたせいか夜になっていつものぐらつきめまいとは少し違う瞬間脳貧血みたいなぐらつきでパニクった。その前駆として軽い頻脈が出ていて頭がふらついていた。頻脈が治まると左の背中が痛み始め心臓自体も嫌な感じになる。これは最近顕著になっていて心臓病か?と例のごとく思うがどの道医者に行く気はないので考えるのを止めた。
自己ヒーリングに徹する。
夜は自室の窓の閉め忘れで外の騒音ですぐに眼が覚めてしまい朝方、耳のハウリングが酷くなっているのか?と思ったが窓の閉め忘れに気がつきほっとした。結局1時間ごとに起きて殆ど寝た感ナシ。
朝から胸の辺りが落ち着かずワナワナが出ている。久しぶりに胸の詰りで空咳が出ている。毎日空咳が出ていたのは断薬後の数ヶ月。全ての症状が長く続くなぁ。でもあれこれあれこれ全て神経症状だからと自分に言い聞かせ洗濯機を回した。
神経症状だからって良いわけじゃないけどすぐに肉体的な病気として現れはしないと思うから時間稼ぎが出来る。長いことこのままではそりゃ~身体もやられるでしょ。
まだ大丈夫。全て神経が騒いでいるだけだから大丈夫って言い聞かせるのは私にはかなり有効で気持ちの切り替えに使える。
勿論そうはいかない日もあるのでそんな日・・・昨日のような日は無理をしないでグズグズしている。きっかけが掴めたらヘンプアミアミをしたりするがこころをウツに覆われた日は本を読むのが一番いい気がする。
ウツウツの日は食事の支度が出来ない感いっぱい。でも仕方ないのでやるが意地になって手のかかるものを作ろうとしたり厄介な性格だわ。
最近読んだ本で印象深い本。
 がんの催眠療法 (医療現場におけるスピリチュアルケア) 萩原優 太陽出版 
横浜 イーハトーヴクリニック院長の書いた本。西洋医学との共存をところどころに出してくるのが本にしたら仕方ないのかと思うけどもうそういうの要らないんじゃないの?って思う。それ以外はとても興味深い本。
前世療法で有名なブライアン・ワイス博士から直の指導を受けたらしい。内容的に特に新しいことはないが日本にこういう施設がありヒーリングが行われていることにビックリした。

●CCHRについて(HPからのコピー)
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