2011.2.7 断薬1年と3ヶ月 ぶり返し中でしんどい。
年末からベースの不快感がずいぶん減って1ヶ月近くかなり復調した日々を過ごした。
入眠時の貧血感やグラグラで苦しんだり不眠だったり消えはしなかったけれどベースの不快感が軽快していたので助かっていた。
このまま逃げ切れるかな~と期待もしたがやはりそうは甘くなかった。
いつも何かがあるとぶり返す様子。
今回は頭を打ったのとライフイベント。前回は集まりに出かけて騒音に負けた。その前は夏のヒートショック。
元々自律神経が丈夫でないので離脱も酷くなると思う。
何かというと眩暈を起こしたり、起立性低血圧であったり名前のつくような病気の陰にいつも自律神経失調があった。
自律神経のクスリを出されたこともある。ずいぶん若い頃で飲んではみたがなんの効果も分からず胃腸が不調になるのですぐに勝手にやめた。
この自律神経のオーバードライブ状態が離脱症状が出ている状態なのだが、人それぞれ突出する部分が違う。
私は眩暈と平衡感覚の不調。耳の手術をしているので平衡感覚は普通の人のようにはいかないのでその部分が中々回復しない。
しかし今回のぶり返しではやはりベースの不快感の戻りが一番苦しい。
それは自分がグラウンディングされていないという感覚。自分の中心が定まらない。ふぅと何処かに引き込まれそうになる。四六時中その感覚とつわりのような気分の悪さが付きまとい日常生活のこまごました動作を集中してできない。
これが軽快すると急に家の中を片付け始めたりするので自分でもよくわかる。
身体を意識しないで自由に動かすことができないのだ。次の動作を考えてしまう。考えてどうなるものでもないのだけれどスイッチオンしてしまった身体は自由がなんだったのか忘れてしまう。
晴れ晴れとした体調は元々あまり経験ないけれどそれとは違うスイッチオンした後は異空のhell.
そんな中生き生きしていたくてニュナのブログを立ち上げた。
hellから生還して今日までの60年とオサラバする。
永田洋子という人が死んだ。死刑囚。病死。64歳。
社会の変革を夢見た若人が殺し殺され。むせ返るような熱気を今も思い出す。デモで逮捕された人が英雄だった。あまりに幼い感性。個人的な憤りも怒りもごちゃ混ぜになって広場を埋めていたのだろう。
ヒッピー、自由、解放、革命。社会がしきたりやしがらみからの自由を叫びながらいきがって強がっていた時代。
”怖い”の一言が言えなかった時代。”私は嫌だ”の一言が言えなかった時代。
そんな波の狭間でこぼれて行った若い命たち。
レクイエムを思う。
年末からベースの不快感がずいぶん減って1ヶ月近くかなり復調した日々を過ごした。
入眠時の貧血感やグラグラで苦しんだり不眠だったり消えはしなかったけれどベースの不快感が軽快していたので助かっていた。
このまま逃げ切れるかな~と期待もしたがやはりそうは甘くなかった。
いつも何かがあるとぶり返す様子。
今回は頭を打ったのとライフイベント。前回は集まりに出かけて騒音に負けた。その前は夏のヒートショック。
元々自律神経が丈夫でないので離脱も酷くなると思う。
何かというと眩暈を起こしたり、起立性低血圧であったり名前のつくような病気の陰にいつも自律神経失調があった。
自律神経のクスリを出されたこともある。ずいぶん若い頃で飲んではみたがなんの効果も分からず胃腸が不調になるのですぐに勝手にやめた。
この自律神経のオーバードライブ状態が離脱症状が出ている状態なのだが、人それぞれ突出する部分が違う。
私は眩暈と平衡感覚の不調。耳の手術をしているので平衡感覚は普通の人のようにはいかないのでその部分が中々回復しない。
しかし今回のぶり返しではやはりベースの不快感の戻りが一番苦しい。
それは自分がグラウンディングされていないという感覚。自分の中心が定まらない。ふぅと何処かに引き込まれそうになる。四六時中その感覚とつわりのような気分の悪さが付きまとい日常生活のこまごました動作を集中してできない。
これが軽快すると急に家の中を片付け始めたりするので自分でもよくわかる。
身体を意識しないで自由に動かすことができないのだ。次の動作を考えてしまう。考えてどうなるものでもないのだけれどスイッチオンしてしまった身体は自由がなんだったのか忘れてしまう。
晴れ晴れとした体調は元々あまり経験ないけれどそれとは違うスイッチオンした後は異空のhell.
そんな中生き生きしていたくてニュナのブログを立ち上げた。
hellから生還して今日までの60年とオサラバする。
永田洋子という人が死んだ。死刑囚。病死。64歳。
社会の変革を夢見た若人が殺し殺され。むせ返るような熱気を今も思い出す。デモで逮捕された人が英雄だった。あまりに幼い感性。個人的な憤りも怒りもごちゃ混ぜになって広場を埋めていたのだろう。
ヒッピー、自由、解放、革命。社会がしきたりやしがらみからの自由を叫びながらいきがって強がっていた時代。
”怖い”の一言が言えなかった時代。”私は嫌だ”の一言が言えなかった時代。
そんな波の狭間でこぼれて行った若い命たち。
レクイエムを思う。
皆さんはどうでしょうか…また来ます(泣)
ウツ気分です。落ちてます。
ジムいったけど アップできないです。
落ちたまま寝ますか・・。
この3ヶ月くらいか、もうあんまりいつからかは覚えてないですが、超うつ状態で廃人になってました!
すごい絶望的な気分で、自分はもう一生回復しないままで、死ぬんじゃないかとか、すごい無気力で、頭は全然まわらないし、声は出ないし、だけどイライラはすごくて、家族のやることなすこと気に食わないわ、大好きな音楽や趣味も何にも楽しめないわで、多分、精神状態としては、断薬後一番の落ちっぷりでした。
打開しようと思って、以前はとても効果があった、半身浴や爪もみやツボ押しをやったのですが、体調よくなるどころか、半身浴なんて、やったらむしろ、めまいがして気を失いそうになったりして、なんだこりゃ??って感じでした。
しかも、身体を温めるはずの半身浴をすればするほど、逆に身体が冷えてしまうので、わけわからなくて、かなり絶望的になっていたんですが、ネットで調べていたら、副交感神経に傾きすぎた場合も、身体は冷えるし、イライラもするし、切れやすくなったりするそうなんです。
副交感神経に傾きすぎると、血管が広がりすぎてダルダルで、血液をポンプできないので、血流悪くて、身体が冷えるのだそうですね。
で、だったら交感神経刺激すりゃいいのかな?と思って、ちょっと恐かったですが、43度近い熱い風呂に入ってみたり、息がゼエゼエするくらいの激しめの運動してみたり、爪もみは薬指のみを刺激してみたり、朝は早くて激しい感じの音楽を聴いたり、YOUTUBEで背筋がゾクッとなるようなホラー映像みてみたりと、いわば身体を興奮させて緊張させるようなことを色々やってみたのですが(主に朝や午前中に)、けっこう、これらのことをやってみると、体調が良くなってくるので、あ、やっぱり、副交感神経に傾きすぎていたのかな?と今は思ってます。
でも、なんだかんだやってみて一番いいのは、早朝の日光浴と、筋トレでした。
特に腕の筋トレをすると、頭がすっきりしてきて、気分がよくなってやる気が出てくるんですよねー(日光浴は30分以上1時間以内がベストだそうです)。
腕っていっても前腕がいいみたいで、グリップをにぎにぎして握力を鍛える感じがすごく効きました。
グリップなくても、ただ単に、グーパーグーパーしてるだけでも、けっこういいです。
そういえば、どっかの整体の方のホームページで、腕は首とつながっているので、腕の筋肉を刺激すると、首の血行も良くなると書いてありました。
なので、あまり、交感神経を警戒しすぎるのも良くないのかなあとちょっと思いました。
副交感神経ばかりに気を使いすぎず、自律神経をトータルで考えたほうが上手くいくのかなあと思いましたが、離脱で人それぞれ、どっちに傾いてるかは違うような気がするので、一概には言えないですよね。
ちなみに、ぼくは今考えると、離脱初期時は身体ぼろぼろで症状はつらくても、「絶対乗り越えてやる!」っていうやる気はあったし、完全な不眠だったので、どっちかというと交感神経過剰だったのかと思いますが(だから爪もみや半身浴が効いたのかと)、最近のうつ的無気力な調子の悪さは離脱初期とは全然質の違うものだったので、
どこかの時点で、急激に交感神経過剰から副交感神経過剰に傾いたのかと思いますねー。
まあ、仮説なのでまだまだ様子みてデータを取ってかないとわかりませんけど。
何か、みなさんの参考になれば....。
あ、あと、めっちゃ遅くなりましたが、ネコさん、そしてみなさま今年もよろしくお願いしますm(_ _)m
交感神経と副交感神経の話しは 面白いよ。
興味ありますね。
良く考えてみると 私の場合 息苦しいのは交感神経だよね。次の日の息苦しくないけど 不安感 これって副交感神経かな・・。
一日おきに入れ替わってるかもって考えてみました。副交感の日は 筋トレしてみよう。
早朝の日光浴ね 私は 朝はうつっぽくて 何もやる気がしないのよね。
よっちゃん すごく参考になったよ。ありがとね~~。
私もちっとも回復しないでぶり返してばかりで今日も酷くぐらついて頑張れない気分。
少し眠れるとぐらつく様な気がしていたのだけどこれも交感神経と副交感神経のアンバランスかな。不眠のほうが頑張れる気がする。凄く辛いのだけどこんなにふらついたりしないのよね。
また研究して教えて頂戴。
日光浴やりすぎてドキドキがしちゃったことがあるのよ。朝日がいいのね。
よっちゃん、ということはまだ逃げ切りじゃないってこと?
私の名前をクリックすると記事のURLに飛びます。下部のコメント参照。
まぁ、世の中には色々な人が居るということで。