この表題は、単純に「よい精神科医わるい精神科医」のつもりで付けていない。 児童精神分析家のM.クラインの「よいおっぱい、わるいおっぱい」から連想して付けている。
患者にとってよい医者、わるい医者とは単純にいえるものではないと経験的に思う。
フロイトが指摘したように、医者と患者との関係は相互の患者の内部を医者に投影してしまう「転移」と、医者の内部を患者に投影してしまう「逆転移」がしばしば起こる。
機能不全家族やトラウマを抱えた患者、双極性障害の様に躁と鬱状態で判断の視点が偏って弱っているとき、こうした転移現象は容易に起こる。
精神科医・内海健氏が指摘しているように、特に双極性2型障害の患者には、彼が「同調性」と呼ぶ独特の病前性格が伴う。 簡単にいえば、アダルト・チャイルドの様に、先んじて周囲人たちの状況を察知し、それに先回りして配慮をする。 この性格はうまく回っているときには周囲からも非常に重宝され、高い能力として評価される。 ただ一度その歯車が狂ってしまうと、その先回りの配慮は的を外すことになり空回りし、ストレスと病的な方向へと移動する。
精神科医でかつてミュージシャンであった北山修氏はこうした状況を「自虐的世話役」と名づけている。 北山氏はクラインと同様の児童精神分析家ウィニコットから大きな影響を受けている。
内海健氏は双極性2型障害のこうした過剰といえるほどの(空回りも含めた)周囲への配慮の心性を理解できない精神科医だと「安定した治療関係を結ぶことは難しい」との趣旨を自著「うつ病新時代」の中で語っている。
双極性2型障害の患者の場合、こうした心性に一定の受け止めを医者に感じないと、治療関係は早晩破綻する(実際自分も経験している)。 転移も逆転移も容易に起こる。
それじゃあ、そうしたことを受け止められない医者が悪いのかといえば、単純にそうではない。
双極性2型障害でない心の病であれば、そうした受け止めが下手な医者でもちゃんと機能するのだ。 マッチングの問題といってもいい。
ただ、問題があるとすれば、精神科医本人が自分にそうしたセンスがあるのかないのか、訓練的習得を目指すのか目指さないのか、自己洞察する必要はあると思う。 そして自分の手に余るのであれば、早めに相応しい専門医や専門病院を紹介するのが本当のプロだと思う。
「よい精神科医、わるい精神科医」がもし存在するとすれば、そこの部分だと思う。