うつ病学会双極性障害委員会の委員である精神科医・水島広子さんの「対人関係療法でなおす双極性障害~躁うつ病への対人関係・社会リズム療法」を読んでいる。対人関係療法の英語名は「Interpersonal Psychotherapy(IPT)」で直訳すれば「対人関係精神療法」というのだから、通常考えればフロイト派の流れをくむ精神科医による精神療法のひとつと考えるのが適当だろう。
病院で治療費領収証に「精神療法:○×点」とあるあの項目に該当するやつだ。もちろん、認知行動療法として一部を院内の臨床心理士に委託しその結果分析を精神科医が持つことも可能らしい(いったいいつになったら臨床心理士は国家資格になるのだろう)。
内容は「第一部 双極性障害を患うこと~1章:双極性障害という病、2章:双極性障害と社会リズム」「第二部 対人関係・社会リズム療法(IPSRT)の進め方~3章:対人関係・社会リズム療法とは、4章:社会リズム療法、第5章:対人関係療法、6章:双極性障害チームを作る、あとがき」となっている。
個人的印象から言えば、社会リズム療法は認知行動療法と非常に似ており、点数化や図表化、そしてそれを毎日つけつづけ自分の調子と調子がずれるエピソード、あるいは季節性のエピソードを拾っていく。とくに双極性障害には「躁状態」があるため、なるべく「躁」と「うつ」の揺れを小さくするため、刺激となるイベントや規則的生活を維持することが大事だと水島氏はいう。そして肝に銘じなければならないことは「双極性障害」は「一生付き合っていかなければならない病」であり、そのためなるべく揺れを少なくするための社会リズム療法はある程度「生活の制限」を受けるとする。また基本的に薬も一生飲みつづける必要があるとする。
この本の題名であり水島氏の専門である「対人関係療法」は「期間限定の精神療法」であるそうだが、双極性障害の場合、慢性的な病であるので治療のエピローグは訪れない。躁とうつのバランスを崩さないように継続されることが望ましいらしい。要点は (1)病前対人関係上の問題・変化への着目、(2)病経過が身近な対人関係の質に大きく左右される、(3)病気発症によって身近な対人関係に影響がある、という三点に着目して精神療法をおこなう。双極性障害が脳の病だとしても「対人」で病気の状態が大きく左右されるので、それを精神療法でコントロールしようということらしい。
問題なのは病気への「否認」、換言すれば治療への「動機付け」で、この段階で慢性病になってしまった十分なグリーフワーク(悲哀)が必要だとする。そして例えるなら片足を失った「人生の制限(行動制限)」への覚悟がいるのだ。このときに本人も本人家族も「病気」と「人格(本人)」をしっかり「分ける」ことを水島氏は強調する。そうでないと、結果的に病気とともに本人が責められることになり、うつ状態や躁状態に悪い形で影響する。その後本人・家族・周囲の「役割の変更」「役割をめぐる不一致」の調整を説く。その上で、病者としての「新しい役割」と新しい関係構築という方向へ進む。
ただ双極性障害の場合、慢性病であり揺れを小さくしても必ず躁とうつは出現する。これにストレスの出来事や季節性が加われば簡単に調子は崩れる。したがって、薬にしろ、社会リズム対人関係療法にしろ、継続し繰り返し行っていくことが必要となる。
大まかには上述のような感じで、結局は形を変えた認知行動療法と来談者中心法や本来の精神療法、それから家族療法であるように思う。ただそれがひとつのシステムになっているところに意味があるのかもしれない。
精神療法は精神科にいけばどこでも480~500点くらい取られるが、5分で終わってしまう薬を出すだけの精神科医は多い。けれど社会的・家族的混乱の大きい双極性章害の場合、ある程度熟練した医師による十分な精神療法が必要だと個人的には思う(残念ながらハズレを引くと病気が悪化する)。
水島氏の本を読んで改めて思ったことは、自分が大変な病気になってしまったことだ。一生付き合っていかなければならない。
そして「病」と「人格」を分けることは確かにそのとおりだし、患者にとってはありがたい話だが、ボク自身家族でさえそれが十分理解できるかといえば無理だと思う。とくに双極性2型障害の場合、「軽躁」(軽い躁と書くが病気自体軽い病気ではない)状態でいろんなことしでかすのだから、病気と人格を分けることが家族にとってもなかなか難しいのだろう。ボクだって未だにどのあたりが「軽躁」で、どのあたりが「混合状態」なのかなかなか判断はつかない(ちなみに社会リズム療法とほぼ同様のことをボクはやっている)。日内変動も大きい。おっかなびっくりである。
ときどき何もかも投げ出したくなる。