bowbowのゆううつ~Returns

双極性障害Ⅱ型(躁うつ病)サバイバー&共生模索中のbowbowの日常。

自分は気分屋なのか?

2011-09-20 19:41:51 | 双極性障害・躁うつ病

神田橋先生の講演録でいうと双極性障害の人はもともと気分屋的な脳であるそうだ。

「躁うつ病はそうではなくて、これは後で精神療法のときに大事になります が、もともと気分屋で、気分本位にふわふわ、ひょこひょこ、いろいろとするように生まれついている脳で、波がもともとある。それがある狭いところに閉じこめられると、もともとある波が大きくなってきて、生活に支障があるほどになると、病気ということになると考えると大体、病歴と合います。生活を狭める、注意を狭める、興味野を狭める。そうすると、もともとあった波が大きくなってきます。」

気分屋であったかどうかは判らないが、自律神経失調気味の子供であった。

車に乗れば酔うし、たばこのにおいがすると気持ち悪くなるし、遊んでても突然しゃがみこむような子供であった。

それを「気分屋」と言われれば「気分屋」なのだが、育った家庭はがっちり生真面目(自虐的)な家だったから、自分を「気分屋」と思ったことはない。ただ、「中学、高校の時に好不調があった」のはど真ん中に当たっている。部活や習い事も途中で辞めたりしている。それは神田橋先生のいう通りではある。

自分の脳がもともと揺らぎやすい気分屋であるとして、問題なのは自分自身が病気になった段階や現段階でも「生真面目」であることだと思う。神田橋先生曰く「気分屋的に生きれば気分は安定する」のであれば、「生真面目」なのも「完全主義」なのも、自分のもともとの揺らぎやすい脳に無理をさせていたことになる。

「でも、気分屋的に生きるってどういうことだろ?」と思ってしまう。

とりあえず、仕事にしてもたぶん「手を抜く」程度にやっておかないと、たぶんまた同じことが起こってしまう気がする。

でも自虐的な自分は「手を抜く」ことに「罪悪感」を感じてしまうんだよなぁ。両親には悪いがそれはまさに生育環境だと思う。

たぶん自分には「気分屋的に生きる」ことと「ちゃらんぽらんさ」が必要なのだろう。

   ○ネコぶろぐ:神田橋條治先生の講演