この捨て難たい言葉を久しぶりに耳にしましたが、残念世知辛い事件です。
111歳の東京都内の男性最高齢とされていた人物は、既に三十数年前に死亡していて
遺族は死亡を知らせぬまま、年金を不正受給していたという詐欺事件です。
その高齢者と見なされていた男性は、即身成仏したいと言って部屋に閉じこもり
悟りを拓く為(?)水も食事も絶ったそうです。家族はそれでよかったんですかね?
「 成仏 」 の考えは、仏教の根底にある教えで、そこに弘法大師は「 即身 」 という概念を加えた。
はるか長い修行(菩薩行)を積み重ね、一歩でも仏に近づけたらという思いは、
仏教徒なら誰でも持っていて、更にそれが今の自分の中にあるのなら、素晴らしい事ですネ。

使った便器の便座をフタしないからです。
最近のHは、男の象徴である立ちションを放棄して、小でも便器に座ります。
特に夜中のトイレでは、パンツをズリッと下ろして座り込んだ方が確実です!
この年齢になって草食性男子になろうと思った訳でなく、別に女性化した訳でなく、
歳をとるとその方が楽だからです。
でも立ちションでも座りションでも、便器のフタをしない事とは関係はありませんネ。
確かに用を足せばきちんと後始末は必要です! たとえ家族とはいえ、一緒に暮らす
者へのエチケットであり、人間のマナーなのでしょう・・・!!!
何が言いたいかと云えば、つまり他人を思いやる心、それすなわち菩薩行なのです。
私には、即身成仏はまだまだ出来そうにありません!
今夜は、111歳事件と即身成仏と私の素行の悪さをH自身が語ってみました。