痒い所に届くMONO

2011-06-28 | 伊予日記

 

先ごろ(去年だったかしら?) 空からオタマジャクシが降ってきたNEWSがあった。

今年、我が家の庭にビワの木もないのに、ビワの実が落ちていた・・・

ミ ス テ リ ~

 

と思ったら、梅の木に実ったウメボシの子だった。

 

ひとしきり庭掃除したHの背中の痒い所に届いた100均の優れもの

 

↑ ピンクのスポンジ ↑

 


有川 浩

2011-06-27 | 読書三昧

 

           有川 浩 って最初は男だと思った。

 

           最近、 映画 『 阪急電車 』 の原作で注目(らしい) 、本作で私の2冊目

           高知県出身 自衛隊三部作 作中の土佐弁が何故か懐かしく美しい

 


真鍋家住宅

2011-06-24 | 四国の建物風景

 

         四国中央市に存在する平家落人の家

                                 『真鍋家住宅』 重要文化財

 

 

四国中央市内から南の四国山地へ車で約30分ほど入る。

山道から徒歩で少し降りた大木の緑にうっそうと囲まれた

日影の場所に立つこの家は、江戸時代中期のものだ。

 

玄関を入ると土間(タタキ)、昔懐かしい上がり框は本当に70~80cmありそうだ。

その框の下には地下に掘った芋蔵もある。

 

勿論、天井は高く暗く煤けている。

間取りは座敷がメインで、あとは部屋の形を成していない。

座敷の奥には、落人の住まいらしくオク(隠れ部屋)もある。

しかし、近隣との繋がりを結ぶもある。

 

 

                                  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで何人が暮らしていたんだろうか?

夫婦と子供二人、決して二人の子供にそれぞれ部屋はないけれど

むしろ家族が寄り添って、家事を分担しながら清貧な生活をおくるには

足りた広さではないのか・・・!?

 

              マイホームって、この広さで実は十分なんだ!  ・・・ と思う家だった。

 

 


お遍路日記

2011-06-19 | お遍路と自転車日記

 

2009年3月から続いた高速道路休日上限1000円が終った。

当時 お遍路で四国を廻っていた私 は、随分その恩恵を受けた。

 

しかし、この特別料金制度が終ったからと言って、私のお遍路日記が終了する訳ではない。

始めた頃は、一人で札所間を兎に角ひたすら歩いた。

遍路とは歩く事だ、と自分に言い聞かせた唯一の義務だった。

 

南国土佐のGWは既に夏だった。

32番峰寺から雪蹊寺まで歩いた時、とうとう最初のマメが潰れた。

山門近くを足を引きずっていたら、呼び止められて『野菜生活100』の接待を受けた。

汗と涙で町並みが霞んだ。

 

後半は、同行二人のパートナーが出来た、と云ってもお大師様ではない。

RとA が 弘法大師 の身代わりになった。

結願間近に、徳島ラーメンと讃岐うどんを交互に食べながら四国を楽しんだ。

 

2周目の計画は今のところない。

でも、私は歩かなくてはいけない、否、きっと歩き始めるだろう。

人生の最終章のコーナーを曲がった今、私には解かなければならない答えがあるから・・・