先ごろ(去年だったかしら?) 空からオタマジャクシが降ってきたNEWSがあった。
今年、我が家の庭にビワの木もないのに、ビワの実が落ちていた・・・
ミ ス テ リ ~
と思ったら、梅の木に実ったウメボシの子だった。
ひとしきり庭掃除したHの背中の痒い所に届いた100均の優れもの
↑ ピンクのスポンジ ↑
有川 浩 って最初は男だと思った。
最近、 映画 『 阪急電車 』 の原作で注目(らしい) 、本作で私の2冊目
高知県出身 自衛隊三部作 作中の土佐弁が何故か懐かしく美しい
四国中央市に存在する平家落人の家
四国中央市内から南の四国山地へ車で約30分ほど入る。
山道から徒歩で少し降りた大木の緑にうっそうと囲まれた
日影の場所に立つこの家は、江戸時代中期のものだ。
玄関を入ると土間(タタキ)、昔懐かしい上がり框は本当に70~80cmありそうだ。
その框の下には地下に掘った芋蔵もある。
勿論、天井は高く暗く煤けている。
間取りは座敷がメインで、あとは部屋の形を成していない。
座敷の奥には、落人の住まいらしくオク(隠れ部屋)もある。
しかし、近隣との繋がりを結ぶ縁もある。
ここで何人が暮らしていたんだろうか?
夫婦と子供二人、決して二人の子供にそれぞれ部屋はないけれど
むしろ家族が寄り添って、家事を分担しながら清貧な生活をおくるには
足りた広さではないのか・・・!?
マイホームって、この広さで実は十分なんだ! ・・・ と思う家だった。
2009年3月から続いた高速道路休日上限1000円が終った。
当時 お遍路で四国を廻っていた私 は、随分その恩恵を受けた。
しかし、この特別料金制度が終ったからと言って、私のお遍路日記が終了する訳ではない。
始めた頃は、一人で札所間を兎に角ひたすら歩いた。
遍路とは歩く事だ、と自分に言い聞かせた唯一の義務だった。
南国土佐のGWは既に夏だった。
32番峰寺から雪蹊寺まで歩いた時、とうとう最初のマメが潰れた。
山門近くを足を引きずっていたら、呼び止められて『野菜生活100』の接待を受けた。
汗と涙で町並みが霞んだ。
後半は、同行二人のパートナーが出来た、と云ってもお大師様ではない。
RとA が 弘法大師 の身代わりになった。
結願間近に、徳島ラーメンと讃岐うどんを交互に食べながら四国を楽しんだ。
2周目の計画は今のところない。
でも、私は歩かなくてはいけない、否、きっと歩き始めるだろう。
人生の最終章のコーナーを曲がった今、私には解かなければならない答えがあるから・・・